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女はまるで台詞でも読むように「さようなら」と言う。その視線は向かいに立つ男に向けられているように見えるが、実際に彼女に目に映っているのは男の肩越しに見える小型犬を散歩している中年女性の姿である。中年女性は犬がガードレールの柱に鼻を寄せ匂いを嗅ぎ始めたので、視線を犬からはずし前方に向ける。目の前には団地があり、その3階のベランダでは水色の服を着た主婦が洗濯物を干している。水色の服を着た主婦は洗濯物を干してはいるものの洗濯物自体は見ておらず、その目は部屋の中でつけっぱなしになっているテレビのワイドショーに向けられている。スタジオではキャスターが住宅街で起きた殺人事件について報じている。キャスターの視線はカメラすなわち視聴者に向けられているように見えるが、実際に見ているのはカメラの下に置かれたモニターに映る自分の顔である。モニターに事件現場付近の取材VTRが流れる。この時、キャスターの目に映るのはインタビューを受ける事件現場付近の住人の姿である。VTRの中では事件現場付近の住人の顔はぼやかされているが、その下で事件現場付近の住人はインタビュアーの姿を見ていると同時に、今自分が回りからどう見られているか観察している。視界の隅を見知った姿が過ぎる。事件現場付近の住人の隣家に住む女子高生である。女子高生は自転車に乗っている。自転車を漕ぎながら女子高生が見ているのは昨夜の夢の反復である。夢の中には彼女が密かに思いを寄せている同級生が登場したが、何故か夢の中で彼は同級生ではなく生物の教師であった。生物の教師は教壇に立ち、教室を見回す。その目に映るのは男女合せて36人の生徒である。36人の生徒たちは黒板を見、教師を見、教科書を見、ノートを見、友人の背中を見、どこを見るでもなく宙を見ていたが、一番廊下側の列の前から五番目の男子生徒は机の下に隠した雑誌のグラビアを見ている。グラビアではオレンジ色の水着を着たアイドルが南の島の砂浜で微笑んでいる。アイドルの視線はカメラマンおよびカメラに向けられているが、同時に目の前に弧を描いた続く砂浜の先に立つ浅黒い肌をした現地の少年の姿をも捉えている。現地の少年が見ているのは小さな岬の先端に座る老人の姿だ。老人はいつもそこに座り海を眺めているが、実際は老人の目は白濁しており眼前に広がる海を映してはいない。老人が見ているのは遠い日の記憶である。目の前に女がいた。女が若き日の老人に視線を向けているように見えるのは、若き日の老人の瞳に女の瞳に映る若き日の自分の姿が映っているからだ。そして女はまるで台詞を読むように「さようなら」と言う。
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