Jan.31(Thu.)
■今日という日。

12時半、恵比寿で会議。30分で終わる。

14時、目黒で会議。某番組、演出氏から伝え聞いていたが、現場は大変なことになっているらしい。まあ、ある意味、異人との仕事だから仕方ないが。

17時半、汐留で会議。粛々。

18時半、赤坂で特番会議。タイトル案を出すだけで終わる。

20時半、赤坂別場所で打ち合わせ。『感謝祭』の分科会。今回から演出氏が変わった。初めての担当回ということで、気合が入っている。この春は、赤坂TBS前再開発のお披露目的な意味もある「感謝祭」。こちらも新鮮な気分で、打ち合わせにのぞむ。

22時、六本木で打ち合わせ。某番組の演出氏と、食事をしながら、某番組の基本姿勢について相談を受ける。こういった土台の定期的なメンテナンスは、番組を長く続けるためには必要。

24時帰還。
 
Jan.30(Wed.)
■今日という日。

12時から、築地で会議。某社のサイトを1年かけてリニューアルするという仕事。新しいジャンルの人々との仕事は新鮮だが、まだ手探り状態。

その後、食事をしながら事務所スタッフと打ち合わせ。細かな案件を整理する。それにしても、ビジネス誌などから「テレビ番組の企画書が見たい」とリクエストされることがよくあるが、残念ながらテレビ番組の企画書の多くは、期待されているようなものではない。先日も、某局のPに「2枚でいいから」と言われたほどだ。

『ダンシング・ヴァニティ/筒井康隆』を購入。待ってました!雑誌時に3分2は読んでいるが、最後は我慢しておいた。移動中に読む、というのには適していない小説である。

15時、六本木で会議。会議の流れで、80年代後半のインディーズブームの話になった。JAGATARA、ナゴム、スターリンなど、若いスタッフがきょとんとするような言葉が飛び交う中、Pが言った。
「僕、ウィラードのオーディションで最終選考まで残ったんですよ」
人には意外な過去があるものである。

17時、六本木別場所で会議。

19時、汐留で作業。

夕方から体調があまりよろしくなかったのだが、ここで本格的に悪くなり、緊急帰還。
 
Jan.29(Tue.)
■今日という日。

午前中は、クリーニング屋に行くなどの雑事。時間に余裕があるからこそできることではあるが。あ、そうそう、ようやく人間ドックの予約も入れた。

14時半、赤坂で打ち合わせ。シリーズ特番にも関わらず、新規参入のスタッフと組むことになった。内容もさることながら、番組の手触りを微調整していく、そんな打ち合わせ。

17時、汐留で会議。粛々。

今日は、会議と会議の間が中途半端に時間が空く。でも、読みたい本があるからむしろ歓迎だ。『赤朽葉家の伝説/桜庭一樹』を読んでいる。

20時、お台場で会議。まあ、なんというか、想定外の大変な事態となっているのだった。

23時半、帰還。
 
Jan.28(Mon.)
■今日という日。

昨日までの疲労を引きずっており、午前中はゆっくりする。

13時、築地でPV。サブ出しのVTRにも関わらず、もう6回目のPV。収録まで時間がたっぷりあるというのもよくない。

この後、予定が大幅に狂う。

17時半、神谷町で、イレギュラーの会議。

19時半、赤坂で会議。粛々。

21時半、赤坂別場所で打ち合わせ。種まき。企画が通るかどうかは、その内容もさることながら、タイミングも大事。最近、ある着想を得て、資料を集め、さて、どこに提出したものか、と思っていたアイデアがあったのだが、ついつい、今日の打ち合わせで漏らしてしまった。う〜ん、この場でよかったのか。まあ、ダメだったら、少しアレンジして、別場所に持っていけばいいか。

帰還して、『アニーホール』を少しだけ見る。
 
Jan.27(Sun.)
■今日という日。

朝9時半から、告別式。もろもろ終わって、帰還したのが15時。

精進落としの席で、お寺さんから、話を聞き、読経の際のいろいろなアクションにも、ちゃんと意味があることを知る。たとえば、冒頭、長い線香を宙で弧を描くように動かすが、あれは剃髪の代わり。かつて、お坊さんによる葬儀はお坊さんしかやってもらうことができなかったので、形だけまず坊主となり、それから葬儀が始まる。そういう意味なのだそうだ。なるほど。

帰還して仮眠。

夜は、家人たちと『ガラムマサラ』でインド料理三昧。

それにしても、今年は年頭から、友人が亡くなり、家人(大)が寝込み、伯母の病院通いそして葬儀と、とにかく慌しい。しかも、よくないことばかりで慌しい。正直、かなり疲れた。2月は心静めるためにも、旅に出ようかと思う。作家仲間の村上さんを真似て、週末旅人を目指す。
 
Jan.26(Sat.)
■今日という日。

朝9時半から、港区内で小学校5年生を対象にした作文教室の講師を務める。もともとエントリー数が少ないと聞いていたが、日程後半の今日はいよいよ参加者が少なく15名程度。以前、別場所で講師をやった樋口さん、鮫肌さんから小学生は一筋縄ではいかないと聞いていたが、確かに手ごわい。まあ、詳細は略すが疲弊。自分の指導力のなさをふがいなく思ったが、ウチの事務所が担当した前2回と比べると、今回はかなりの曲者という話。そうだったのか。

近くのカフェで、事務所スタッフと打ち合わせ。またしても宿題が増える。

帰還して、すぐさま川崎市内の斎場へと向かう。家族葬にも関わらず、我が家で貸し切り状態。優雅。

湯灌、納棺と、初めての体験を次々とする。家族はやりきったという思いもあるし、おそらく故人も生き切ったという感じがあるので、微塵の暗さもなく、粛々と儀式をこなしていく。それにしても、湯灌などをしてくれる業者の方は大変だ。ここにまた、普段は目にせぬプロの姿を見た。

通夜、そしてお清め、すべて終わって21時に帰還。

急いで連載原稿を書いて、送信。
 
Jan.25(Fri.)
■今日という日。

午前中、家の用事に追われる。

13時、汐留で会議。思えば、丸二日、間があいての会議参加。休暇と病気以外で、こんなに会議があいたのは、何年ぶりか。

会議中、誰かの携帯が鳴る。音が聞こえる場所に座っているのは、なにわ系の作家だ。みんなの注目を浴びて、「俺、ちゃいますよ」。さらに、携帯は鳴りつづける。と、「あ、俺や」。なんだ、それは。ポケットの携帯の入ったジャンバーを持って、廊下に出ていく。すぐさま、戻ってくる。その手にジャンバーはない。どうやら、ジャンバーごと携帯を廊下に置いてきたらしい。なんだ、それは。あまりにデタラメな行動に笑った。

15時、同じく汐留で会議。

17時、麻布十番で会議。予想外に長引く。おかげで次の会議をやむなく休む。

中途半端に時間が空いたので、恵比寿のカフェで、明日の小学生セミナーのレジメ作り。久々に人前で話すのだが、大丈夫なのか。小学生にいじめられないようにしたいものである。

22時、恵比寿で会議。収録まで1ケ月しかないじゃん。またしても、普段、使わぬ脳を使うので、嫌な汗をかく。

24時半、帰還。
 
Jan.24(Thu.)
■今日という日。

午前中から、実家〜病院〜役所と飛び回り、手配と手続き各種。家族だけの密葬でも、これだけ面倒なのだ。普通の葬儀となるとどれほど面倒なのだろうか。想像しただけで、気が重くなる。
 
Jan.23(Wed.)
■今日という日。

浅い眠りの後、便所に入っていると、母親から電話があった。伯母の入院する病院からスクランブルがあったのだ。よりによって外は雪。伯母も、記憶に残る日を選んでくれたものである。慌てて着替えて、家人(大)とともに病院に向かう。

その道中、家人(大)に「臭い」と言われる。どうやら、昨夜遅くに食べたキムチのせいらしい。こんな緊急事態の中、キムチのにおいがして臭い。絶対にドラマではありえないシチューエション。だから、とても劇的に思えてしまう。

病院に到着すると、スクランブルがかかった時よりは、容態が安定。もちろん、カウントダウンは始まっているが、「今すぐ」というわけでもないらしい。拍子抜け。途端に手持ち無沙汰になる。病室に空ろな空気が漂う。これはこれで、静かな劇的ではあるが。

家人(大)とともに先に昼食を摂りに出る。どこへ行こうか迷っていると、「あそこのカレー屋がおいしいんだって」。どこで、そんな情報を。なんでもネットで調べておいたらしい。決して気楽ではない見舞いの日々の中、病院の近くの美味い店を検索しておくとは。家人(大)の妙なバイタリティに感心する。そして、そのカレー屋は、嬉しいぐらいに期待を裏切ってくれたのだが。

午後になって、弟夫婦も合流。医師から説明を受ける。今さら腎臓の機能の説明からされるが、弟は獣医、僕も生物学は得意、そして、家人(大)は検索の末、腎不全およびその周辺の症状にかなり詳しくなっている。医者の説明は、母を除く全員にとってかなりの蛇足。早くその先を説明しろよ!という空気がみなぎっている。それがおもしろかった。

医師の説明を聞き、この状態が長引きそうだということで、家族でシフトを組む。我が家は今日の午後から夜までの担当。そこで、単身自宅へ、仕事道具を取りに行く。途中、家人(小)をピックアップ。家人(小)、最近の伯母の苦しげな形相に、病室に行くのは嫌だと拒んだのだが、いざ、病院に行くと、積極的に病室に入っていく。さらに、酸素マスク下の伯母の幾分おだやかな表情を見て、ちゃんとあいさつして帰る。彼女の今の夢は小児科の医者になることだそうだ。なるほど。

病室に一人残り、椅子で30分ほど仮眠した後、仕事をする。病室は暖かく、適度なノイズがあり、思いのほか仕事がはかどる。もはや伯母に意識はない。だから、顔ばかり眺めていても仕方ない。手が冷たくなるとよろしくない事態と聞き、時々、手を握る。温かい。バイタルをチェックしたナースが「がんばってますね」と言う。だが、伯母はがんばるという言葉とは対極の人間。ある意味、流れるままに、というタイプだった。だからナースの言葉を聞いて、危うく「そういうキャラではないんですけどね」と言うところだった。

ずっと病室にいると、どうしてもナースの仕事ぶりに目がいってしまう。何度も書いているけど、すごいよ、ナースは。たとえば痰を吸引するときの手際のよさや、おむつの交換などの汚れ仕事を厭わず行う姿にも頭が下がるが、氷枕を交換する際に患者の髪があまりに乱れているのに気づいて櫛で梳かしてくれたり、あるいは痰の吸引のような患者が苦しい思いをする処置の後、髪を撫でながら声をかけてくれたり、まあ、陳腐ない方になってしまうが、そういうさりげないやさしさに、むしろ心が動かされる。まったく、すごいよ、ナースは。

夜、母と交替して、帰宅。病室で書いた原稿を見直して、送信。長い一日はようやく終わった。

いや、終わりではなかった、真夜中に電話が鳴った。午前1時40分。病院からの電話である。すぐさま急行する。30分後には病院に到着した。だが、そのときすでに伯母は亡くなっていた。はやっ!ここまでの粘り越しとは対照的な、素早さである。葬儀社に電話して、もろもろ手配する。自宅ではなく、斎場に送る手配をして、病院から見送り、帰宅したのが午前4時。わずか2時間半の出来事だった。
 
Jan.22(Tue.)
■今日という日。

午前中、宿題をいくつか片付けて送信。

昼過ぎから家人とともに伯母の見舞いに。昨日から個室に移った。まあ、つまりそういうことだ。話しかけると、微かに頷くが、それ以上の反応はない。苦しげな呼吸音だけが、部屋の中に響く。ナースから現状とこの先について説明を受ける。顎を上下させるように呼吸する下顎呼吸が始まったら、家族に連絡すると言われる。なんとなく病室を去りがたく、夕方からの会議を休んで、病室に残る。といってもすべきことはない。ずっと顔を見ているわけにもいかないので、病室で仕事をする。

伯母と書いているが、僕にとっては祖母に近い存在だ。母親が店をやっていたので、小学生の頃から僕たち兄弟の面倒を見てくれた。ある時期からは、ずっと同じ屋根の下に暮らしていた。伯母なのに、ここまで熱心に見舞うのは、そういう事情だ。

18時半、築地で会議。収録まであまり時間がない。

21時、お台場で会議。想定外の事態が起きる。

23時、麹町で打ち合わせ。

26時帰還。

夜中に仕事上のショックな出来事がある。体温が3度ぐらい下がる。嫌な予感はあたるものだ。厄払いにいかないといけないなあ。
 
Jan.21(Mon.)
■今日という日。

11時、麹町で打ち合わせ。今週末に行う小学生を対象とした作文教室について。思えば、小学生の頃、作文が苦手だった。そんな僕が作文を教える日が来るとは。感無量。

時間が空いた。事務所に行き、雑務いろいろ。

15時半、西麻布で会議。粛々。

17時半、汐留で会議。粛々。

19時半、赤坂で会議。何故か会議途中からお医者さんが参加。しかし、今日のタイミングで来てもらっても、具体的な話ができず、とても申し訳ない気分で1時間ほど過ごす。なんで呼んでしまったのか。まあ、いろいろな裏話が聞けて興味深かったが。やはり人間だから、心づけをもらうと、ついつい丁寧・親切になってしまうとか。

22時半に経堂に戻って、駅前の新中華で夕食。いつも空いているが、つぶれないでほしい。水餃子と焼きビーフン、それから青島ビール。

帰還して、ほろほろと考え事。
 
Jan.20(Sun.)
■今日という日。

久しぶりにゆっくり眠った気がする。

午前中、ナレ書き、連載原稿を2つ書いて送信。

午後、今日も伯母を見舞う。とりあえず毎日誰かが顔を出そうという暗黙のルールがあり、今日は家人も母も無理なため僕が行くことになった。見舞いに行っても、もはや会話はできない。声をかけると、微かに頷く程度。だから、病室に行っても、すぐ手持ち無沙汰になる。苦しげな呼吸音を聞きながら、本を読む。帰り際、声をかけると、またしても頭を撫でられた。やはり、今の伯母の中では、僕は子どもの頃の僕になっているのだろう。

夕方帰還して、少しだけ宿題。入院病棟に行くと、何もしていないのに体力を奪われる気がする。最低限やるべきことだけやって、今日はもうこれ以上仕事はしない。

夜、前から気になっていたうどんの店へ。鍋を食べる。客がいない。大丈夫か。味はまあまあだが、店内にFMを流しているのは頂けない。そんなことを思いながら食事をしていると、焼肉屋の店主にて陶芸家の李さん登場。経堂は狭い。その李さんから、ご主人が病に伏しているため長い間休んでいたある店が、今夜から奥さんが店に立って再スタート、そこに須田さんたちも子連れでいると聞いて、ちょっと立ち寄る。顔見知りも何人かいる。苦しい境遇を少しでも助けてやろうという心遣い。経堂は3丁目の夕日的な匂いを残した街である。
 
Jan.19(Sat.)
■今日という日。

12時、赤坂で会議。急遽店じまいすることになった番組。それが予期せぬ出来事だったことは、配られた新年会のお知らせを見てもよくわかる。あまりに能天気な内容。思わず苦笑。出演者も来るそうだが、どんな気分で来るのか。

その後、家人(大)と合流して、伯母を見舞う。もう尿がほとんどでていない。意識も朦朧としているらしく、苦しげに息をしながら、眠っている。「宏和ですよ」と言うと、小さな頷く。再度「宏和ですよ」と言うと、微かな声で「ヒロカズ」と名前を呼んで、頭に手を置かれた。もしかすると、子どもの頃の僕に話しかけられた、と思ったのかもしれない。

17時、神泉で映画企画打ち合わせ。大混乱。物語より、まず構造を作りたがるが、流れではなく、パーツごとに構造を考えていくため、そこに見えてくるのは都合のいい人物もしくは精神分裂症。疲弊。

須田さんから誘いがあり、経堂に戻って『ガラムマサラ』。すでに店は閉店しており、店主のハッサンを交えて飲む。経堂に関する情報交換。ご馳走になってしまった。飲み足りず、すぐ近くのバー『EL SOL』へ。ここでも経堂界隈の情報交換。この店の店主は、経堂の飲食店事情に詳しい。経堂にも何軒かキャバクラがあるが、どの店は安全で、どの店はコッチ系とか。どこから情報を集めるのか。

25時帰還。
 
Jan.18(Fri.)
■今日という日。

11時から虎ノ門で会議。粛々。

13時から汐留で会議が2つ。こちらも粛々。

16時半、麻布十番。しつこいようだが、これも粛々。

18時、赤坂で会議。しまった。収録まで時間がない。
さらにある特番の第2弾、収録まで時間がないからと、週2回、会議をすると連絡が。
夜遅くなる日が増える。憂鬱。

帰り、鮫肌さんに誘われ、久々に下北沢『和楽互尊』。豚バラを堪能。

23時半帰還。
 
Jan.17(Thu.)
■今日という日。

午前中、いくつかのナレーションを書く。

午後、伯母を見舞う。ベッドサイドにバイタルチェック用のモニターが設置されていた。もはや喋ることもままならぬ。「そろそろ仕事だから」と帰ろうとすると「行くの?」と声をかけられた。会話はほぼそれのみ。しかし、見舞いに行くたびに思うのは、ナースたちの仕事ぶりだ。まるでおもちゃのようなナースが、てきぱきと尿を片付けていく。あるいは、今日、少し話したナースは、まあ、なんというか、やや派手だが、かなりの美人。でも、老人たちのおむつを嫌な顔ひとつすることなく変えていく。その働きぶりには、頭が下がる。

16時半、汐留で会議。

17時半、築地でPV。ここに来て、構成が大きくいじる。

21時、赤坂で打ち合わせ。

経堂帰還後、顔見知りのバーで、オムレツとビール。

23時半帰還。
 
Jan.16(Wed.)
■今日という日。

12時から某代理店で打ち合わせ。webの仕事だが、相変わらず勝手がわからない。もうしばし探る時間が必要か。

もろもろあって長引き、次の会議に間に合わず。

15時半、南青山で打ち合わせ。

その最中に次の会議と打ち合わせが急遽中止の連絡が。
妙に時間が空いてしまった。

南青山から乃木坂まで散歩し、千代田線で赤坂へ。で、マッサージ。

まだ時間があったので、近くで読書。その最中に、ある小さな番組終了の知らせ。特に数字が悪いわけではないので、止める必要もないと思うが、実験枠につき、もともと半年か1年かって話だったのだ。

20時から赤坂で会議。種まき。

その後、巨人演出家ともに、新宿御苑で遅い夕食。いろいろと局内の話を聞く。

24時半帰還。
たいしたことはやっていないが、予定変更の連続で、妙に疲れた。

そういえば『犬は鎖につなぐべからず/ケラリーノ・サンドロヴィッチ』を読了。舞台は見ているが、戯曲を読むとさらに理解が深まる。
 
Jan.15(Tue.)
■今日という日。

午前中、ロケ台本を1本書いて送信。

11時半、赤坂で会議。TBS前の再開発が驚くべきスピードで進んでいる。

時間が空いたので、村上さん・一文無君と『ナムサオ』で昼食。

14時、赤坂で分科会。シリーズものの特番なのに、毎回、新規のスタッフが増えるため、基本的な姿勢の確認からしなければならない。

16時半、汐留で会議と打ち合わせ。

19時、築地で会議。

21時、某代理店で映画企画。再び迷宮入り。キャラ、エピソード、理屈。階層の違う3つを同時に語り合うから混乱する。もはや人生修行である。

真夜中、歌舞伎座付近で樋口さんと会って、あれこれ話す。

27時帰還。
油断していたが、歌舞伎座から世田谷は激しく遠い。まるで小さな旅だった。
 
Jan.14(Mon.)
■今日という日。

午前中、台本の修正作業など。

午後、家人とともに伯母の病院へ。一進一退。見ていると、無呼吸状態になるので、ハラハラする。果たして、今後、どんな展開が待っているのか。神のみぞ知る。

移動中、マルクス・ブラザーズの写真集を見つけたので、購入。まあ、写真を見ても仕方ないのだが、手元には置いておきたいので。

17時、汐留で会議。そろそろ本格始動。

19時半、赤坂でPV。収録からオンエアまであまり時間がないので、サブ出しの段階で追い込んでおかなくてはいけない。

さらに同じ場所で、別特番の会議。こちらはまだ企画を練る段階。

23時半帰還。
 
Jan.13(Sun.)
■今日という日。

朝から仕事部屋にこもり、連載原稿を書き、企画書を書き、女優が登場するネイチャー物の長いナレーションを書くが途中で力尽き、ラジオ用のスケッチを2本書くうちに夜。

夜。恵比寿で『クイック・ジャパン』の「TV・オブ・ザ・イヤー」という企画の座談会へ。今年で3回目。毎年暮れにやっていたのだが、昨年暮れに連絡はなく、お声がかからなくなったかそれとも企画自体がなくなったのかと思ったら、年明け早々、オファーがあった。中堅放送作家9人が集まり(ちなみに僕が一番年下)、アレコレ、話す。詳しくは本誌をごらんください。まあ、だが、一番面白いのは、雑誌に載せられない部分なのだが。笑いすぎて腹筋が痛くなる。明日は月曜だからと、1軒目で散会。その前に、街角で記念写真。男9人の集団に、シャッターを撮ってほしいと頼まれた若者たちは、驚きながら爆笑。確かに異様な光景。まさかその集団が、全員放送作家だとは夢にも思うまい。彼らもいい話のネタとなったに違いない。そんなことをしているうちに散会の予定が、もう1軒飲みに行くことに。カップルばかりの間接照明の飲み屋で男9人。またしても笑いすぎて腹筋が痛くなる。それにしても、こうして集うと必ず高須・中野・村上の三大独身貴族の結婚話になる。あのトライアングルが崩れる日は来るのか。

26時帰還。
 
Jan.12(Sat.)
■今日という日。

11時から赤坂でPV。ちょっと不安な事態になっている。

午後、我が母とともに伯母の入院する病院へ。担当医と面談。ターミナルケア的な話し合い。実は、正月に一時退院できたのも、奇跡的だった。もはや家族の気持ちは固まっている。あとは静かに「その時」を待つだけである。

15時半、代々木の某出版社で打ち合わせ。僕の都合で延び延びになっていた新書企画がいよいよスタート。夏ぐらいに出せればいいが。ただ、今日は朝から立てこんでいたため、頭朦朧。たいした話ができずに、申し訳ないことしきり。

夜、池袋のサンシャイン劇場で『夢のひと』を観劇。終焉後、楽屋へ。升毅さんをはじめ、野田晋市さん、宮吉康夫さん、木村美月さんなど、多数知り合いが出ていたので、挨拶しまくる。いつもなら流れで飲みに行くところだが、どうにもこうにも疲れているので、失礼する。

経堂まで戻って、駅前で中華。新しくできた店である。青島ビールと青菜炒め&水餃子。よく考えたら、本日一食目だった。

帰還して、「白州」を飲む。サントリーの方にもらったのだ。美味いね、「白州」。
 
Jan.11(Fri.)
■今日という日。

午前中、依然、体調不良の家人(大)に代わって、家事など。

13時から汐留で会議が2つ。

17時、麻布十番にて会議。

19時、赤坂にて会議。

21時半、麹町で事務所スタッフと打ち合わせ。新しい媒体への参入。あるいは新しい思考を必要とする書き物。どちらもまだブレスト段階だが、いずれもいつもと違う脳を使う。微熱。

24時半、六本木で新年会を兼ねた、事務所の作家陣の幹部会。

27時半、帰還。
 
Jan.10(Thu.)
■今日という日。

午前中、連載原稿を一部改稿して送信。テレビの手法をビジネスに生かしては?という主旨の連載だが、まあ、難しい。

午後からパソコンマンのオバタ君が、暮れから調子の悪いPCのメンテナンスに来てくれる。昨年から、自分のHDに収められたプログラムをコピーしていたオバタ君。晴れて、コピーが完成した。しかもこのプログラム、今後、成長をしていくという。恐るべきプログラムである。そんなオバタ君を久しぶりに見た家人(大)曰く「雰囲気が変わったね」。確かに。

18時、赤坂で会議。狭い会議室にいるD&AD3人がマスクをしている。一応、心配して「大丈夫?」と尋ねると、その中の一人が「熱は下がりました。タミフルを飲みましたから」。インフルエンザじゃねえか!

20時半、目黒で会議。まあ、なんというか困った事態になっている。しわ寄せはいつも弱者に来るのだ。

23時半、渋谷で食事をしながら打ち合わせ。

26時帰還。
 
Jan.9(Wed.)
■今日という日。

家人(大)が体調不良につき、早起きして、家人(小)を学校に送り出し、二度寝。

午前中、ロケ台本とラジオ用のスケッチを書いて送信すると、ようやく病院に行った家人(大)が「ノロウイルスだって」。げ。

14時から神谷町で会議。
その後の会議が2つ、急遽、流れる。

途中で、夕食の材料を買い込み、すぐさま帰還。

お腹に優しい夕食を作りながら、並行して台本を書く。毎日これだとたまったものではないが、たまにはこういうのもいい。なんというか、自分がよく出来た人間になったような錯覚ができるからだ。洗濯物を取り込む。風呂を洗う。その合間で台本を書く。家事と仕事。村上春樹的な世界。それにしても、今年は年初から、異例の出来事の連続だ。そういえば、伯母の様子も見に行かなくてはいけない。家人(大)に行ってもらうつもりだったが、今、老人病棟に行くのは、生物兵器を投げ込むようなものだ。困った。

真夜中。HDに溜まった正月番組をゆるゆると見る。
 
Jan.8(Tue.)
■今日という日。

朝から家人(大)が体調不良。家人(小)を学校に送り出した後、弟の病院に預けている犬を受け取りに行く。

15時、築地の某代理店で打ち合わせ。初めて手がける類の仕事。まだなんとも茫洋としているが、新しいジャンルの仕事は新鮮で刺激になる。ただし、今日は、朝からのバタバタで頭は朦朧だったが。

17時、西麻布で打ち合わせ。

18時半、築地で会議。頭朦朧。無口な人になる。

21時、お台場で会議。1時間遅刻したら、到着して15分で終了。

本日、『鹿男あをによし/万城目学』を読了。それにしても、これ、どんなふうにドラマにするのだろうか。

23時半帰還。
 
Jan.7(Mon.)
■今日という日。

朝風呂に入る、11時に宿を発つ。なんという慌しさ。

企画書の催促のメールが入り、帰りのロマンスカーの中で慌てて書き始め、そのまま事務所に行って、何とか完成させて送信。

16時半、汐留で会議。今日まで、いつオンエアする番組かわかっていなかった。へー。そうなんだ。

夜、恵比寿で食事をしながら打ち合わせ。そんなに飲んだつもりはないが、ここ数日の疲労のせいか、妙な酔い方をし、気分が悪くなる。

帰巣本能のおかげでどうにか帰還。
 
Jan.6(Sun.)
■今日という日。

午前中に家を出て昼過ぎに箱根の桃源台近くの宿で家人たちと合流。芦ノ湖で船に乗り、元箱根で蕎麦を食べる。宿に戻って温泉に入ったら、疲労が噴出してきて、爆睡。起きて夕食を食べ、家人(小)と再び温泉に浸かり、部屋に戻っているうちに睡魔が襲ってきた。早々と就寝。
 
Jan.5(Sat.)
■今日という日。

昼過ぎから友人の告別式に参列する。
弔辞や、知人たちとの会話で、僕の知らなかった新たなエピソードを知る。

式場を出たところに、棺に収めるためのものなのか、彼のお気に入りの品々が並べられていた。本、DVD、彼が書いた音楽紹介の記事、いつも使っていたボロボロのペンケースもあった。その中に、ウイスキーのミニボトルもあった。僕が土産に買ってきたアイラの酒だ。本当は彼と一緒に行くはずだった。とても行きたがっていた。だから、せめてアイラに行った気分を味わってもらおうと、買ってきた酒だった。その下に台本があった。手術をした後、久しぶりに演出を手がけた台本だ。それが、彼が大好きだったその番組の最後の演出となった。僕が書いた台本だ。アイラで見て、感じたことを綴った台本だ。収録を終えた後、台本を褒めてくれるメールが届いた。そんな僕の台本が、新たな住処へ旅立つ荷物の中にあった。光栄なことだ。

斎場へも同行し、最後の挨拶もした。何か声をかけようと思ったが、喉の奥に熱い塊があり、声が出ない。だから、代わりに心の中で、「また飲みましょう」と言った。

まさか友人の骨を拾う日が来るとは思わなかった。僕より8歳も年上なのに。今回の出来事は、僕の今までの人生の中で、最も辛い出来事の1つだ。だけど、落ち込むのは止めようと思う。友人は病床にあってなお、見舞い客の僕を心配するような人だ。奥さんから聞いたのだが、病が悪化し、パソコンを開くことも辛くなってきたにもかかわらず、このページだけは読んでいてくれていたそうで、見舞いに来た僕に「伯母さんは大丈夫」と苦しい息の下で言ってくれるような人だ。だから、ここで落ち込んでしまうのは、彼の本意ではないだろう。がんばる。落ち込まない。そして、忘れない。それが最高の供養だ。そう思う。

気がつけば、厚かましくも精進落としの席にいた。帰りがけ、料理が余ってしまったからお持ちになりませんか、と奥さんに言われ、断るのもなんなので頂いた。黒い服を着た数人が、揃いの大きな紙袋を持って歩く。ネクタイが黒いことを除けば、どうみても結婚式帰りだ。我ながら、なんとも妙な姿だと思う。しかし、それも友人との別れの日にはふさわしいエピソードだ。

この日々の記録をつづり始めてから何年になるだろうか。実は、この記録には自分で課したルールがいくつかあり、それを破ったことは今まで一度しかない。でも、今回、再び破った。しかも、今回はいくつか同時に。それは、今は亡き友人が、これを読むのはずっと楽しみにしていてくれたからであり、もし新しい住処からでもこのページが読めるなら、ぜひとも読んでほしい。そう思うからだ。

堀井さん。
今日聞いた、あなたにまつわるエピソードや、僕が目にした光景の数々は、きっとどこかで使いますからね。いや、どこかではなく、まず、AVANTIで。おもしろかったこと、楽しかったことをネタにしてきたように、悲しいこと、辛いこともネタにしていきますからね。僕がそういう人間であることは十分わかっているはずだから、恨まないでください。

18時半、帰還。
先に箱根に行っている家人たちと合流する予定だったが、疲れてその元気がない。だから、家で仕事をする。昔、知り合いの脚本家がこんなふうに言っていた。「どんなに辛いことがあっても、私たちの仕事って、仕事をしていると辛いことも忘れるよね」。確かにそうだ。
 
Jan.4(Fri.)
■今日という日。

起きるなり、連載原稿を1本書いて送信。夢の中で書いていたので、さほど手間がかかることなく書けた。

さあ、ここから我が家は非常事態宣言だ。友人の通夜に家人ともども行くことにしたのはいいが、家人たちに喪服がない。しかし、明日から旅に出る予定だったので、犬を獣医である我が弟のもとへ預けなければならない。そこで、僕と家人(小)で市ヶ尾まで犬を預けに行き、家人(大)は喪服を買いに新宿へと向かう。

犬を預けた後、帰還。着替えて、夕方からテレビ朝日へ。今夜放送の『地球環境2008』の打ち合わせに参加。

その後、友人の通夜に行く。まだ実感が湧かない。

通夜の後、テレビ朝日に戻る。4時間という大型特番のオンエアに立ち会う。途中、生中継部分で、森タワーの屋上に上がる。東京の夜を一望する。

番組終了後、スタッフルームで乾杯。

25時帰還。
 
Jan.3(Thu.)
■今日という日。

昼から実家に戻る。一時退院していた伯母を病院に戻すためである。弟の車で運ぶ。今の伯母にとっては、自宅より病院の方が過ごしやすいのかもしれない。

夕方、友人の訃報を受ける。
しかも、その友人の見舞いに行った帰り道に、である。
詳しく書こう。
いつものように事前に連絡することなく、病院を訪ねた。
ナースステーションに面会に来た旨を告げると、
「退院されました。ご家族に連絡してみてください」
と言われた。
とても退院できる状態ではなかったのに、と思いながら病院を出た時、留守電が入っていることに気づいた。地下鉄に乗っている最中に、かかってきたらしい。
聞いてみると、それが今まさに見舞いに行こうとした友人の訃報だった。
俺はなんてまぬけなことをしてしまったのか。看護士の方々も呆れたに違いない。今朝、亡くなった患者のもとに見舞いに来たバカな客がいたのだから。
まだ、友人の死に現実感のないまま、仕事先へ向かっていると、携帯が震えた。
見ると、そこに表示されていたのは、今は亡き友人の名前だった。
電話に出る。
電話の相手は、友人の奥さんだった。
直接、連絡をくれたのだ。友人の携帯をつかって。
その友人は、みんなにとても愛されている男だった。
だから、僕たちは、彼が病と闘っている間も、よく彼のことを話題にした。
その多くは笑いに還元されるエピソードだ。
最後の最後に、僕の迂闊さが引き起こしたこととはいえ、まさかこんなエピソードを残してくれるとは。
僕は今日のことを、この先、何度も話すだろう。そして、話すたびに、彼のことを思い出すのだ。

17時、六本木で打ち合わせ。
明日の『地球危機2008』の生放送部分について詰める。

24時帰還。疲れた。あまりに疲れた。
 
Jan.2(Wed.)
■今日という日。

午前中、ナレ書きをし、WOWOWで始まる新番組の台本を書いて送信。

昼過ぎから実家へ。雑煮を食べて、買出しに。

夜は、恒例の新年会。高校時代の友人が集う。今夜はカレー鍋。一年経つと、みんなの状況も変わる。両親が亡くなり、遺産相続をめぐり親族でいろいろあった話など聞くと、そんなことがわが身に起きたらとぞっとする。まあ、我が家には相続するような財産はないのだが。ただ、荷物整理とかは大変だ。彼の場合、廃棄するものを、どこが高く引き取ってくれるかちゃんと調べたそうだ。なんともマメな男である。

二次会は外で飲んで、25時帰還。
 
Jan.1(Tue.)
■今日という日。

午後から実家に戻る。昨日から伯母が一時退院しているが、長期入院の影響で、もはや1人では歩けぬ状態。その他、いろいろと不都合が生じている。本人が喜ぶかと思って一時退院させたが、いざ家に戻ってみるとそうでもない様子。食事が口にあわないことを除けば、確かにプロがケアしてくれる病院の方が居心地いいのかもしれない。まあ、いずれにしろ、正月から我が実家の空気はあまりよろしくない。

早めに夜に帰還。
正月休み明けが締め切りの仕事が多数あるが、今夜だけは意地でも仕事をしない。いろいろなテレビ番組をオンタイムで見る。