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『東中野から始めました』
私、お酒で失敗したことが山のようにある。歌舞伎町のスナックでカラオケ歌ってたら、あんまり私の歌う「高木ブー伝説」(by筋肉少女隊)がうるさかったらしく、客で来ていた少年ヤクザに胸倉つかまれて一言「殺すぞ」と脅されたりとか(なんと私、その瞬間「寝たフリ」をしたらしい。ヤクザもあきれてなんとか命拾い♪)
10代の頃、パンクのライブの帰りの電車で大暴れ。
窓を蹴破って電車停めてしまったりとか(あまりの泥酔に「判断能力なし」とポリスに言われ、ガラス代の弁償だけで済んだ・・・。奇跡・・・!)
そんなわけで、近頃は自宅でのみちゃんちゃこりんすることが多いのだが、今から8〜9年前はそれこそ「なんであんなに!?」というぐらい毎晩のように飲み歩いていた。その頃、松尾貴史さんが文化放送で夜ワイドをやっていたカンケイで、番組が終わる深夜0時半、キッチュ&担当メイン作家&当時まだ見習いサブ作家だった私、さらに下のサブサブ作家の山名宏和、田代一朗というのがいつものメンバー。
で、2次会、3次会と行くうちに最後は、私の東中野にある6畳+キッチン+ガス風呂+トイレつきの鈴木荘に流れつくのであった。
この家、東中野の不動産で「家賃5万くらいで風呂・トイレ付きって部屋ない!?」と聞いたところ「そんな安いのこの1軒しかない」と紹介された物件。風呂のところに大家が手書きで「風呂をわかす時には窓を必ず開けること。そうしないと(CO2中毒になって)死にます」と張り紙していた
───と書くと、どんな部屋か想像つくだろう。
この鈴木荘にはそれこそうちの事務所の人は言うに及ばず、作家の高橋洋二、タレントの松村邦洋など、私がその時一緒にシゴトしてた人が連日連夜やってきては飲み倒していった。
そんな中、このコラムのタイトル「大ふぐりでゴメンね」を名づけるきっかけとなった通称、玉(ぎょく)クンもやって来た。
玉クン(ヤナギサワともいう)、いいかげん酔っ払っていた私にこう言われたらしい。(私、酔っ払って覚えてないの♪)
「オイ、お前のチンポをマドラーがわりにしてこのウイスキーの水割りをかき混ぜろ!!」
そしてこうつけ加えたという(玉・談)
「それが作家だ!」
”何故、ちんちんをマドラーにすることが一人前の放送作家になることにカンケイあるのか?”そう思いながらも玉クンはその自らのちんちんマドラーでかき混ぜたウイスキーを私にうながされるままに飲み干したという。
「おいしゅうございました」(玉・談)
これぞうちの事務所に伝わる悪名高き「ちんちんマドラーの変」である。(オレ、なんでそんなことしたんだろう?いまだにワカラン)
ま、酒のうえでの失敗といえば、キッチュさんのイタズラにもエライ目にあったことが・・・・。
松尾氏の自宅でパーティーが開かれ、私はまたもや飲みすぎて朝まで撃沈!あくる日、「げっもうお昼!会議に遅れる!!」と松尾さんへの挨拶もそこそこにタクシーをつかまえるため外に出た。
三軒茶屋の通りを道行く人々にジロジロ見られながら歩き、タクシーを拾ってとりあえず自分の家にいったん帰ることに・・・・。
タクシーの運ちゃんも私を不審そうに見ている。
「・・・・・・・・?」
家に帰って、仕事道具をカバンにつめ、TV局へ向かおうとしたその時、洗面所のカガミに映る自分のカオが。
「そ、そういうことか・・・・!!」そこには、ありとあらゆる放送禁止用語をマジック(油性)で、顔面に書かれた私のカオがあったのだ!もちろん、すべては酒で寝込んだ私のカオを絶好のキャンパスに見たてた、あのモノマネのうまいASAYANのナレーターの犯行である。
三茶の通りを歩いていたら、目の前に、額に「オ○コ」と大書きされたスキンヘッドの男がいきなり現れた時のことを想像してほしい(しかも白昼!)
それはさておき、嫁と一緒に「一度でいいから××荘と××のところに人の名字のついてない家に住みたいものだ」という夢は25に上京して4年、やっと29才になってなんとか実現したのだが。
アレから10年、思えば遠くへ来たもんだ。
それもこれもみんな「東中野からはじめました」──なんちて〜!! |