『目的地は何処?〜不機嫌な社会主義〜』

 炎天下、「華人街」と書かれた大きな門の下を客を乗せていない力車が走る。その横を真っ赤なビューイックが走り抜ける。ビューイックのモデルは1950年代に違いない。
 暑い。9月の中旬、朝10時。日差しは容赦なくひび割れ剥がれたコンクリート通りに降り注ぐ。その暑さの中、人々は仕事に急ぐでもなく休暇を楽しむでもなく歩いている。
 華人街とはどの国にでもある中華街のことである。だが、そこは門ばかり大きくて、その奥に中華料理屋が軒を並べているわけではない。おそらくかつては夜ともなればキュッチュなネオンに彩られた中華料理屋が軒を並べていたのだろう。
 そう。あのビューイックが最新型のアメ車だった頃、アメリカの歓楽街だった1950年頃には。
 中華街の入り口近くに大きな公園がある。公園の木陰にはぴかぴかに磨かれたたくさんの車が並んでいる。シボレー、フォード、キャデラック。壮観なアメリカングラフティ状態。中古屋でもなければ博物館でもない。すべて今も動くタクシーである。
 これこそがキューバの名物だ。キューバの中に残った偉大な消費大国アメリカの象徴だ。かつてここには紛れもなくアメリカがあった。
 ハバナの町を歩くと時間軸が崩れていく。つい数時間前まで自分がいたハイブリッド車の世界はそこにはない。旧市街は16世紀からそのまんまだったであろうスペイン風の建物が続いていて、へミングウェイが通ったバーでは今も同じダイキリが人気だ。観光客は昼間からラム酒でほんのり気分を良くしながら、時をさ迷うように街をそぞろ歩くというわけだ。
 50年代のアメ車にうっとりとしていると、暇そうな若者が話しかけてくる。
「このキャデラックは親父の車さ、そっちはおじさんのビューイック。今もエンジン快調。俺もメカ手伝ってるんだ。ところで葉巻欲しくないか?本物のコイバだぜ」
「いらない。葉巻は吸わないんだ」
「あ、そう。じゃあいいけど、またね」
 拍子抜けするほどしつこさがない。観光の街ならばもっとがつがつとしていてもいいのだが、それほど金に執着していないのか。やはり社会主義は行き届いているのか。そういえば、犯罪は少ないと聞いたが、それも貧しくても平等だという社会主義の効能か。それともそれほど貧困はないのか。社会主義とは働かなくても暮らせることである?
 しかし、声をかけてきた若者の覇気のなさには何か違和感を感じる。アジアの混沌やアラブの熱気、一度声をかけた外国人にしつこく絡みつき少しでもおこぼれに預かろうというあの熱気が感じられない。ラテン系はスリでも陽気なのだが、何か中途半端な、やる気のないポン引きのような、商売っ気のなさが気にかかる。それも暑さのせいなのか。
 しかし、このうだるような暑さの中、かつてはクラブやカジノは眠ることなく店を開け、欲望に満ちた男と女が騙し合っていたのだ。荘園主は小作人を奴隷のように扱い、巨万の富で“アメリカ"を買っていたのだ。そしてもっと暑いジャングルの中ではゲバラやカストロが目をぎらぎらさせながら政府軍と死闘を繰り広げていたのだ。
 そこにはいずれの陣営にも煮えたぎるエネルギーがあったはずなのだ。欲望という名の列車が走っていたはずなのだ。

  あれから50年。首都ハバナは「革命50周年」を迎えていた。
 1959年1月、カストロとゲバラは、アメリカ文明の繁栄と快楽と堕落に満ちたこの街を解放した。かつて、アメリカ資本のもと酒とギャンブルとショーで眠ることのない街がここにあった。アメリカの大量消費の影で搾取と腐敗に満ちた軍事政権があった。それをカストロはわずかばかりの同志と怒りに満ちた農民たちの力で打ち倒した。見事な革命の勝利だった。サヨナラ、アメリカ。
 地上に残されたわずかな社会主義国家キューバ。そこは北朝鮮でもなく中国でもなかった。カストロは民主化を進め、医療、教育の無償化、土地の国有化、企業の国営化を進め独自のスタイルを守り続けてきた。長く搾取と貧困にあえいできた人々はこの革命を誇りを持って受け入れてきた。はずだった。
 もしも正しい社会主義というものがあるとしたら、スターリンの独裁で数千万人の自国民を死に追いやったソ連にではなく、文化大革命のもとにやはり多くの自国民を理不尽な死に追いやり、今は赤い資本主義のもと少数民族を抑圧し格差を拡大する中華人民共和国にでもなく、勿論金正日王朝でもなく、ここキューバにこそ理想に近い姿があるといえるだろう。
 それぐらいキューバの社会主義革命は成功したのだった。
 しかし、キューバはどこか元気がない。アメリカを駆逐した栄光と自負は何処に行ったのか。
 革命という目的地にたどり着いたのに、今はどこか不機嫌だ。なぜなのか。

  街には革命50周年のにぎやかさや晴れがましさはなかった。これが北朝鮮だったらそこら中に金日成・金正日の肖像画が張られ、賛美のスローガンが掲げられるだろうに、キューバはどこまでも控えめだった。高速道路の入り口にひっそりと革命50周年の垂れ幕が掲げられてはいたが、カストロの自画像や写真も目立つほどではなかった。
 あれから50年たった。キューバ革命は人々を幸せにするはずだった。社会主義は人々を平等に扱い、失業をなくし社会保障を充実させ、発展していくはずだった。キューバではサトウキビや葉巻などの産業は今も健在だ。400年続いたスペイン時代のコロニアル建築は世界遺産だ。観光客には素晴らしく白い砂浜が続くカリブ海のリゾートもある。
 それなのに、道路の補修はできず、旧市街の建物は老朽化し、裏路地では汚水があふれ悪臭を放つ。パンやジャガイモの配給は途切れることはないが、iPODやMACを手に入れることは至難の業だ。マクドナルドやケンタッキーなどのファーストフードの店はない。コカコーラはあるところにはあるが一般的ではない。ナイキのシューズも買えないことはないが、裏ルートなのでかなり高い。個人でパソコンは買えないのでネットカフェは開店前から行列だ。
 今も観光の目玉は「ゲバラ」と「ヘミングウェイ」。50年前と変わらない。まるであれから何も起こらなかったような。何の進歩も成長もなかったかのような街と人々がそこにあった。観光客相手のホテルやレストランにはエアコンはあるが、ほとんどの家にはない。夜の街は暗く、家の中は蒸していられないのだろう、みな何をするでもなく路上に出ている。相変わらず野球は強いしバレーボールも強い。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブは一部の愛好家を唸らせている。仕事にあぶれているわけでもないし娯楽もそれなりにある。
 それなのにみんな何かに少しいらだっているような、何かに不満なような。そんな陽気さと陰気さの間にあるような不機嫌さが充満している。
 戸口にぼんやりと立ちながら朗報を待っているような。

  アメリカは今もキューバに対する経済封鎖を解いていない。50年前キューバはアメリカなるものを一掃した。それから敵対した。アメリカは亡命キューバ人たちにカストロ暗殺やキューバ侵攻を命じそれはことごとく失敗した。かつては植民地のように歓楽地としてドルをつぎ込んだ国に対して一切の貿易、人の流れを遮断した。だからキューバにはアメリカのものが入ってこない。アメリカ製品はアメリカ以外の国を経て入ってくるために極めて高級品となる。
 それでもキューバは「正しい革命」をなしえた国としてがんばった。ソ連の力を駆りながらも、できる限り自力で生きる。電力も食料も、鉄道も海運も、建築も、医療も、教育も、酒も煙草も娯楽も、すべて自前でやろうとがんばった。
 しかし、この50年間の資本主義経済の成長にははっきりと遅れを取った。そしてソ連が崩壊し、有力な輸出入先を失い、アメリカの経済制裁にさらされると、時間はぴたりと止まってしまったのだ。
 アメリカ製品が入らないのはまだいい。しかし、高度資本主義が大量生産大量消費で成り立っていて、その大量消費大国としてのアメリカに物も人も供給できないという現実はキューバを追いつめた。成長する世界から置いてきぼりを食らうことになった。
 もし日本がアメリカに消費してもらえなかったらとか、アメリカが中国製品を買わなかったらと、想像してみるといい。日本や中国の経済はどうなっていただろう。キューバはまさにそれに直面して生きてきたのである。葉巻を、砂糖を、ラム酒を、もしアメリカが買ってくれたら。キューバの選手が亡命しなくてもメジャーデビューしたとしたら、その選手の持ち帰る金だけで旧市街の水漏れは直ってしまうかもしれない。それほどアメリカの購買力、消費力は絶大なのだ。
 それに対してキューバはやせ我慢をしてきた。カストロとゲバラの功績はアメリカに従属することを許さなかった。アメリカの資本主義に跪くことを許さなかった。「正しい社会主義」は「アメリカに抵抗すること」だった。それを完遂してきた。
 それなのにこの満たされない、いらいらはなんなのか。この現実が目的地だったのか。
 メキシコから革命のためにカストロが乗ってきたヨット「グランマ」は今も革命博物館に飾ってある。一日に何人の観光客が訪れるというのか、警備兵は炎天下に「グランマ」の前に立ち続ける。保存される革命にどんな意味があるのか。
 ゲバラの家では写真を撮る観光客は5ペソの別料金。受付嬢はたっぷり時間をかけレシートの半券を律儀に渡そうとする。そのナンバーを手書きでノートに写す。
 もはや天然記念物となった社会主義の無意味な事務作業。
 正しい社会主義も行き先を失っている。カストロやゲバラが目指した目的地は何処なのか。キューバは経済制裁の苦しみの中でそれを探している。

  かつてヘミングウェイが定宿としたというホテル「アンボス・ムンドス」の高い天井を見上げながら、私はキューバという国への好感を持ちながらも、人々の哀しみに思いを寄せていた。
 うまく行き過ぎた革命。アメリカという呪縛からの解放。それと裏腹のアメリカという国への渇望。ドル経済への誘惑。ほんの50年前、アメリカ経済の爛熟を体験してきたこの国はこれから何処へ向かうのだろう。

  私がそんなことを考えながらヘミングウェイを気取った休暇を取っていた頃、日本では新しい政権がアメリカとの対等な関係を再構築しようとしていた。キューバと対照的にアメリカとともに経済成長してきた日本はいま、行き過ぎた資本主義の見直しに直面している。高度資本主義成長経済よりも、子供手当てを手厚くし、雇用問題や高齢者医療に重点を置く社会民主主義的な政策転換。それはまるでキューバが目指した国のようでもある。
 少し今より貧しいかもしれないが平等で最低不幸な社会構築。長く追従してきたアメリカなるものからの決別。そこにどんな目的地が浮かび上がるのだろう。
 そして、キューバのように不機嫌にならないために、何が必要なのだろう。
 私たちもまたアメリカなるものの呪縛と渇望の狭間にいるのである。

  キューバ革命をなしえた後、ゲバラは第2第3のキューバを求めて旅立った。
 それはもしかしたらアメリカなるものからの逃亡と解放の旅ではなかったか。
 そしてゲバラの夢は途中でついえた。

  私たちはまだアメリカ的価値観に変わる何かを発見していない。