『マッチ箱跳んだ』

何年もほったらかしにしているものが結構ある。
引っ越した時のままにしているダンボールの中には忘れられた記憶が閉じ込められていることだろう。
義姉から妻がもらった赤い革張りのアタッシュケースがあった。30年以上前にもらったものだ。一度も使ったことがない。捨てるのも惜しくて同居してきた。
開けてみた。
ぎっしりとマッチ箱が入っていた。多くは東京の喫茶店のマッチだ。歌声喫茶、ジャズ喫茶。60年代末から70年代にかけて、義姉が学生時代に集めたコレクション。
あの頃は喫茶店にオリジナルのマッチがあった。100円ライターのない時代。マッチは喫茶店の顔であり、タバコの欠かせない相棒だった。
箱を振ってみると、カサカサとマッチ棒のこすれる音がした。

その喫茶店は新宿中央通り、明治通りに近いところにあった。
私の通う高校はそこから明治通りを渡り2分もかからないところにあった。
間口の狭い喫茶店は意外に奥行きがあり、私たちは決まって1階の奥、3階まで続く階段の傾斜がちょうど頭の上に来る席に座った。
コーヒーはいくらだったろうか。50円だったろうか。覚えていない。
一度学校に行ってからここに来たのか、それとも直行することが多かったのか、それも覚えていない。確かなのはその高校3年の年、一度も授業を受けたことがないことだった。
私たちは逆らっていた。

うまくもまずくもないコーヒーはテーブルの端によせ、私たちはマッチ箱を中央に二つ平行に置く。人差し指、または中指の、第一関節の先の指の腹、それをそっと一つのマッチの上に置く。マッチ箱の真ん中に置くのではない。長方形のマッチ箱の長い辺が一番無難だ。箱の端、ちょうど真ん中、指に力を加えて一瞬で放す。
マッチ箱は長い辺の真ん中を支点として、くるっと回転する。
回転したマッチ箱は、うまくいくともうひとつのマッチ箱の上に乗る。
乗ったら勝ち。
この乗ったという定義は、マッチ箱がもうひとつのマッチ箱の上に完全に乗った状態を言う。どこか一箇所でもテーブルについていたら勝ちではない。
乗らなかったら相手の番だ。相手は下になったマッチ箱のどこか一箇所を指の腹で押し、上になった相手のマッチ箱を押しのけるかして、自分のマッチ箱を脱出させる。実は高度なテクニックもあって、下になっている状態から一発で相手のマッチの上に自分のマッチを乗っけてしまうこともできるのだが、これはもう少しこのゲームを理解していただいてから。

これすなわちマッチ箱を使ったギャンブルだった。
二人でそれぞれのマッチを使って勝負する。どちらかのマッチが完全に相手のマッチの上に乗るまで交互に自分のマッチをはじく。たかがマッチ乗せと言うなかれ、やってみるとこれがなかなかテクニックのいるゲームで、奥が深い。とその頃は思っていた。

長方形のマッチ箱のどこを支点として回転させるかによって、マッチ箱の跳びかたが違う。
辺の中央に力を入れれば、箱は素直に回転する。自分のマッチの長い辺と、相手のマッチの長い辺が平行ならば、素直に適度な力で回転させれば、スコンと相手のマッチの上に乗るだろう。短い辺同士が平行ならが、長方形のマッチが一度立つような感じで、相手の上に乗るだろう。
しかし、現実はそううまく平行で対峙していない。しかも距離もまちまちである。
マッチ箱の短い辺と長い辺の交わる角を人差し指で力を入れてはじいたら、箱はどんな跳び方をすると思いますか?想像してください。
二つのマッチ箱の位置関係。マッチのどこをはじくか。力の入れ具合。そのときのマッチ棒の量(熟練してくるとマッチ箱の重さが微妙に影響してくるのである)。使う指、その湿り気具合もマッチの跳びかたに影響してくる。本当である。

相手のマッチ箱との距離はおよそ40センチ。かなりな距離だ。
人差し指に軽く息を吹きかけ、そっとマッチ箱の長い辺の下のほうに添える。
中のマッチ棒のバランスは上が軽く下が重い。
いつもより力を入れて下をはじく。
マッチ箱は斜めに回転し、テーブルの上を放物線を描き低く、いつもより長く跳んだ。
相手のマッチの前で角をテーブルにつけて着地、そしてそのまま短い辺を下にして倒れこむ、ちょうど相手のマッチ箱に上にクロスするようにストンと乗った。
負けた相手は無言でポケットから100円玉をテーブルの上に置く。
だが、勝ったほうはその金をすぐにしまうことなどしない。
すぐにマッチ箱はまたテーブルの上に適当な距離で置かれ、ゲームが再開するのだ。
どうせ今日一日、他にすることはないのだから。

私の17歳の日々。喫茶店『ウィーン』の日々はそんなゲームで明け暮れていた。
何をしていたのだろうと思う。
何もしていなかったのだ。日々マッチ箱を飛ばしながら、じっと退屈していたのだ。
すべてにむなしい牙を剥きながら、じっとじっと退屈を噛みしめていたのだった。
自分たち以外のものに対する得体の知れぬ憎悪を抱きながら、同時に無力に苛立ちながら。
あの時代、そうした愚行の日々に手に入れたものがあったとしたら何だったのだろうと考えることがある。

それにしても、あんなに暇だった時間がその後の人生にあっただろうか。
薄汚れたレインコートさえ着ていれば下はどんな格好であろうと誤魔化せ、薄い学生かばんの中と、ポケットの中には何もなかったけれど、時間だけがいっぱいあった。
気が向けば、デモにも行ったし、新宿蠍座で難解な映画も観たし、雀荘に入り浸ることもあったし、ジャズ喫茶で缶入りピースにむせることもあったが、どれひとつとして切実な時間のすごし方はなかった。時にはバイトもしたが基本的にはすねかじりで生活に困っていたわけでもなかった。
高校生なのに学業だけをやっていなかった。受験が目の前にあったが、安田講堂はこの年の1月に燃え落ちていた。
大きな希望もなかったが、大きな絶望もなかった。
大人たちは信じられないと思っていたが、自分たちにそれほどの自信もないのだった。
何か大きな価値があるものも発見できずにいたし、期待もしていなかった。
なんだかわからないが、絶対的なものはないような気がしていたし、事実すべてのものが次々と崩壊していった。
すぐ上の世代が熱くなっていることを敏感に感じていたが、ついて行けないという気もしていた。教条主義に対する嫌悪感は自然に身についていた。
かといって白けているわけでもなかった。
皆と同じ平等主義にいらいらしていたし、異質であることの栄光も掴もうとしていた。
生きるための原点のなさに愕然とし、原点がないことを原点にできないかなどと思ってみたり。
要するに時間をもてあまし、自分をもてあまし、究極の退屈を味わっていた。
毎日は退屈しないためにあった。
退屈しないために愚行と愚考はあった。
それを愛した。それを愛し続けることをささやかな目標とした。
私が手に入れたのは、退屈しないための人生論。『退屈の倫理学』といったものだった。
その倫理学は単純なものだった。
「いかに退屈であっても、権力・権威にはへつらわないこと」

考えてみたら、そうした愚行のための時間をずっと忘れてきたような気がする。
世の中は豊かになりゆとりができ、人々は自分の時間をゆったりと過ごせるはずだったのに、なんだか愚行権が許されない世の中になった気がする。
あの頃より、今が不幸だとは言わない。だが、あの頃より今が幸せだとも思えない。

もう夕方も近くなっている。
クラスメートが集まってくる。
二人の勝負はクライマックスに差し掛かっている、なんてことはない。
だが、もう5時間もやっている。疲労困憊だ。
最後の神経を使って、人差し指をマッチ箱の上に乗せる。
相手のマッチ箱が不完全なまま上に乗っている。その端はテーブルについているが、上のほうの三分の一がこちらのマッチ箱に乗っているのだ。
指を箱の下のほうへずらし、ゆっくりと力を入れる。箱が下の淵を支点に斜めに持ち上がる。ゆっくりとが肝心だ。ルールでは一度マッチ箱に触れた指がちょっとでも離れたらそれで交代だ。ゆっくりと、じわじわと自分のマッチ箱が斜めに立ち上がる。相手のマッチ箱も一緒に立ち上がり、やがて、上下が入れ替わる。こちらのマッチ箱が直立する寸前に相手のマッチ箱は、こちらのマッチ箱の端に突き上げられ上から外れる。そしてテーブルに落ちる。が、まだ指は離さない。直立寸前のマッチ箱はかろうじて人差し指の力で支えられている。今度はマッチ箱を、元のように下ろしていく。相手のマッチ箱の上に覆いかぶさるように。攻守逆転だ。
観客は固唾を呑んで見守っている。
このままマッチを下ろしたら相手のマッチの上に確かに半分は乗る。だが、端はテーブルに着いたままであろう。そこで最後のテクニック。相手のマッチ箱の上に乗るその瞬間、マッチ箱上に乗せられた人差し指は、マッチを押し出すようにその箱の表面を軽くはじくのである。指の腹がマッチの表面を軽くこするような微妙なタッチ。
するとマッチは落ちると同時に、前に滑るように、相手のマッチの上にぴったりと重なるのである。
この技を習得するのに3ヶ月はかかった。

今、喫茶店にオリジナルなマッチ箱はあるだろうか。
そこでこんな華麗な無駄な時間を過ごす人は何人いるだろうか。

マッチ箱跳んだ?