『報いの銃弾』

世間では20数年ぶりに“疑惑の銃弾”が賑やかだ。
当時はまだ小学生以下だったかもしれないリポーターたちが、三浦被告に群がっている。
「三浦さん、一言」「三浦さん、眠れましたか?」「三浦さん、三浦さん」
いったい何が聞きたいのだろう。いったい何が知りたくて叫んでいるのだろう。
こうした取材態度が、かつての三浦事件で露呈したメディアの醜態であったことなど、若きリポーターたちは知らない。朝青龍に群がるリポーターたちにも同様なものを感じる。

テレビメディアは長い間、人の不幸を娯楽化して生きてきた。だが、それを正面から言うのは憚られるので、それを誤魔化したいがために大義だとか人道とか、報道する意義だとかの正当性を後からくっつけてきた。しかしそれが後付けにもかかわらず、多くのテレビマンが勘違いをし、いつのまにか自分たちを品位のある“正義の味方”という自己欺瞞に陥らせた。本来“不幸を娯楽化する下品な輩”が正義を振りかざすとみっともないことが起こる。「三浦さん、一言」が「おい、三浦、こっち向け、何とか言ってみろ!」になる。
三浦事件とはそうしたテレビの一面を露にした事件だったと記憶している。
疑惑の銃弾の真偽は知らない。
私は違う銃弾に苦しめられていた。

2月の9日。正確には10日、夜中の3時。突然の痛みだった。
「ああ、またいつもの奴か。食いすぎたかな?」
慢性胃炎というありがたくないだけでなく、みっともない持病を持っている私は、痛み止めの点滴でも打ってもらおうと行きつけの総合病院に車を走らせた。
当直の医者が触診後、超音波診断をした。痛みが増して朦朧としていた私の耳に医者の言葉がうつろに響いた。
「すぐ入院」
完敗。

日ごろの不摂生どころではない。
56年間の不摂生というか、戦後経済成長のツケというか、私の体内には、飢えから解放され飽食に明け暮れた私のような世代が溜め込んだコレステロールという爆弾が臨界点に達していた。
それは脂肪を分解すべき補助役として胆のうに溜め込まれるはずの胆汁を直撃していた。
胆石という報いの銃弾。胆のうの機能停止どころか悲鳴をあげていたのだった。
入院後の検査で知ったのだが、私の場合、造影剤を入れてMRIという磁気共鳴装置で見たところ、胆のうが写らなかったらしい。これは何を意味するのか。
すなわち胆のうの中に液体としての胆汁がほとんどなし。おそらく石ばかりというのである。
そいつがいきなり報復に出た。じわりじわりではなく、臨界点に達したところでいきなりの自爆テロ。冬の稲妻であった。

聞くところによれば、胆のうなんぞなくてもいい臓器。胆のうがなくても胆汁は肝臓で作られる。取ってしまっても何の問題もない。この際、さっさと取ってもらいたい。
その旨を担当医に伝えるが、担当医いわく「それはもっともですが、今は炎症が半端じゃない。この炎症を抑えてからどういう手術にするか考えましょう。それまでゆっくりと過ごしてください。大体ここまで病状が悪化していたら一ヶ月は覚悟してくださいよ。胆石をなめちゃいけませんよ」と宣告された。

かくて覚悟を決めた。仕事を休むのはいたたまれないが、爆弾抱えたままのほうが今後迷惑をかける確率が高い。この際胆石摘出までの長い道のりを楽しんでやろうじゃないの。こうして人生初めての長期入院となった。素晴らしき点滴生活である。
胆石によって肥大化炎症を起こした胆のうは私の身体を一気に破壊した。
なにやらCRPという血中タンパクから炎症を示す数値は18を指していた。通常は1以下なのだそうだ。白血球は14000。
「立派な感染症だねこれは。しばらくは栄養剤と抗生物質と、胃の炎症を防ぐ薬と、あれとこれと」と、とにかく食事は一切ダメ、水もダメ、寝ていて点滴を交換するだけの生活。
退屈と戦うことだけを人生の目標として生きてきた男にとって、人生最大の苦難の日々が始まった。
ベッドから起き上がるのは、トイレに行く時だけ。点滴を吊るしてあるスタンドをガラガラと道連れに、点滴を連れて歩いているのか、点滴に連れられて歩いているのか。尿を自分の名前が書いてある袋に溜め込むことだけが、“何かをしてるんだな”と自覚する行為。
その後の予定は一切ない。

入院病棟の時間割は当然のことながら、これまでの私の生活とは大きく違っていた。
朝6時。枕もとのスピーカーから「おはようございます。患者様は検温してお待ちください」の声で起こされる。普段夜中の2時か3時に寝て、朝はゆっくりの生活をしてきた私にとってこの起床時間の新鮮なことといったらない。
看護師さんがやってくる。私の点滴を交換する。点滴の針を打ち代えようとするが、私の腕に適当な血管が見つからない。細いというのである。腕は太いのに血管は細い。点滴するのにも欠陥だらけなんだな、俺の身体。
8時に朝食。「歩ける方は廊下まで取りに来てください」
歩けるよ。空腹だよ。でも私にだけは食事はないのだった。朝も昼も夕食も。
消灯時間は夜10時。各ベッドの天井に固定されたテレビも消してください。
ちょっと待って欲しい。『報道ステーション』が始まる時間なんですけど。ここからなんですけど私の仕事は。
しかしここでは『報道ステーション』は存在しない。ニュースどころじゃない。早く回復して退院したい。そういう人々の巣窟。それが入院病棟だ。その当たり前のことにいまさらながらに驚く自分がいる。ニュースを送り続けるという自分の仕事が一切届かない人々がいる。それが当然と思えなくなっている自分がいる。なんとなく俺って傲慢だなあ、と思う。
これもまた新鮮な驚きなのである。
消灯はあっても病院は寝ない。看護師さんたちは忙しい。一晩中痛みを訴える人、認知症なのか、人の名を叫び続ける人、眠れない私に誘眠剤を持ってきてくれ、時に座薬を入れてくれる。入院病棟は一人では何もできない人々の縮図であり、職業としての優しさが溢れているところである。
「テレビの仕事ってかっこいいですね」と彼女たちは言う。
いや、あなたたちの仕事のほうがかっこいい。実業だ。実体だ。
知らなかったな。こんなに慈しみに満ちた場所があったなんて。
間違いなく、あなたたちのほうが私よりも人の役に立っている。

点滴、検査、点滴、検査、時々採血、また点滴の生活が158時間、およそ1週間続いた。
胆のうの炎症による感染症からようやく脱出した。やっとお粥の食事となった。
さあ、いよいよ胆石退治だ。胆のうそのものを摘出してしまうことにした。
方策は三つある。開腹手術で完璧に取ってしまう。腹腔鏡で取る。この方が術後が楽であるが、内視鏡手術のため肝臓に癒着していた場合リスクが高い。三つ目は今回手術はやめて退院する。様子を見て手術する。
結論は開腹手術となった。手術自体は盲腸の次に簡単なものだという。開けてしまえばすぐ取れる。取ってしまえばもう安心。そうしましょう。

かくて手術までの約1週間。今度は手術のための検査が入る。肺機能はどうだ。
ウム。コソボの独立がもめている。
胃の炎症はどうだ。肝機能は低下していないか。血中タンパクはどうだ。CRP数値はどうだ。
イージス艦が漁船とぶつかった。国会がもめている。

手術前日。長きにわたって生やしてきた髭を剃る。35年ぶりだ。
全身麻酔で手術、酸素の管などを差し込むため鼻の下はテープがはれるように剃っておいてください。男のこだわりあっさり無視。

深夜の洗面台で一人わびしく剃る。「さらば髭よ」
鼻の下がスースーしている。間抜けな顔がそこにある。

手術当日。
外科では手術にどんな感傷も持ち込ませない。切る、開く、取り出す。
それだけ。麻酔医が言う。
「これをかぶせたらすぐ眠くなりますからね」
全身麻酔。即、意識不明。

「はい後藤さん、終わりましたよ。はいこれが胆のう、全部取りました」
麻酔が覚め、痛み止めが効いたままで、やや朦朧としている私は、取り出したばかりの憎っくき胆のうを眺めた。わずか4.5センチ。戦後高度成長の飽食の証左。謙虚さを失った己の悪食の報い。
「先生、ところで石は?」
「はいこれ。あげますよ」
と差し出された小さな壜。

その中には、玉砂利を思わせる黒ずんだ石がたくさん入っていた。
病室に戻って数えてみた。
その数33個。
飽食と驕慢の報い。不摂生と無自覚の報い。
報いの銃弾33発。

驚愕と同時に納得。
痛いはずだ。こんなに石を溜め込んでいたんだもの。
この不幸は、どうにも娯楽化できそうもない。

13センチ11針の手術のあと。
お見舞いにもらった柳家小三治師匠の本を何気に読んだら、笑い転げて傷が痛んでしょうがない。
これも誰かの報復に違いない。