『偶然の殺人』

10人家族となり、新しい家に住んで2年になる。2年目の点検で我が家を施工した建築屋がやってきた。
壁や床に問題はないか、排水や電気系統にトラブルはないか、私はがっしりとした体格の建築屋さんと一緒に家の中をうろうろとしていた。
我が家には建築屋の勧めで作った床下収納がある。よく台所にある床下収納ではなく、8畳間の床下全体が収納スペースという大きなものだ。応接間の床の扉を開けると、小さな階段になっていて床下1メートルほどのコンクリートのスペースが6畳ほど広がっている。
狭いがちょっとした地下室。そこには普段使わないものや、かつて両親が住んでいた家から持ってきた思い出の品などが置いてある。
建築屋と私、太った男二人が狭いスペースに入り込み点検した。
カビは生えていないか、ひび割れはないか、換気扇は回っているか。
コンクリートの床には発泡スチロールの板が敷き詰めてある。それは老化していないか。
問題なし。もっとも床下収納は生活スペースではないのであっさりとした点検で問題ない。

面白がって見ていた6歳と4歳の孫は私たちが出た後、早速地下に入り込んだ。子供にとって地下室は冒険の場所だ。ちょっと怖い、でもわくわくする。『ドア・イン・ザ・フロア』はいつだってワンダーランドの入り口だ。

私と建築屋は2階の点検に入った。我が家の黒猫が引っかいた壁紙。張替えにいくらかかるかなどと話しながら私たちは点検を続けた。
すると6歳の暴れん坊、空(孫の名前である)が泣きそうな顔をして2階に上がってきた。
「どうした?お化けでも出た?」
「じゃなくてね、ギュ、ギュって音がして水が出てきたの」
「水が出てきた?」
私たちは再び床下に向かった。
見るとさっきは気がつかなかったが、敷き詰めた発泡スチロールの板のつなぎ目から水が染み出している。
孫二人は地下でぴょんぴょんと跳ねていたらしい。すると発泡スチロールの板と板がギュ、ギュときしみ、見る見るうちに水が染み出してきたようなのだ。
大の大人が二人乗った時には染み出さなかったのだが、子供の冒険が床下の災難を発見したのだった。
「茜ちゃん(下の孫)と空が遊んでたらね、水が出てきちゃったの」
いたずらを咎められるのではないか、孫たち二人は『ドア・イン・ザ・フロア』の異空間に脅えていた。こういう時は叱っちゃいけない。
「空君、茜ちゃんよくやったぞ。二人で問題を発見したんだ。名探偵『空と茜』の大発見!」

しかし何だって水が。
私と建築屋は早速床下にあるダンボールや衣装ケースなどをすべて運び上げた。
そして発泡スチロールの板をめくってみた。すると、床下はおよそ10センチの高さに水がたまっていた。つまり水槽になっていたのだ。
おいおい、我が家は欠陥住宅か?
あわてたのは私よりも建築屋だ。この床下収納スペースはこの建築屋のご自慢の商品。狭い家を有効的に使おうと考え出したお勧めスペースなのだ。
原因は何か。我が家の床下収納がある部屋は小さな庭に面している。雨がしみこんだに違いない。すると建物の地下部分のコンクリートにひび割れが?
修復はどうするか。
それから約一ヶ月。庭を掘り、コンクリートの補強、防水加工などの作業が続いたのだった。

応接間に積み上げられた地下にあった収納品。
その中に3年前に死んだ父の遺品もあった。父が書き溜めた原稿や切抜き。
何よりたくさんあったのはアルバムだった。それらはおよそ10個のダンボールに入れてあった。だが、それは今水に濡れ底が抜けていた。
中を見ると、アルバムの多くも無残に濡れていた。
母と私はそれらをひとつずつ開いていった。
いくつかの写真はびしょびしょになり、もう修復不可能だった。
いくつかは捨てなくてはならない。ゴミ箱を前に、私と母は父の83年間の思い出を黙って眺めていた。母の背中が少し震えているように見えた。
だが母は意を決したように、ぼろぼろになった写真や父の原稿を容赦なくゴミ箱に捨て始めた。
「乾かせばいいんじゃないの? もういらないの?」
私の声が聞こえないかのように、母は黙々と作業を続けた。
「もういらないでしょ」
邪険でもなく嘆くでもなく、母は穏やかにそういった。これらの思い出は母にとっても大事なものだろうに。来年80歳になる母はなぜ、濡れた写真を未練なさそうに捨てたのか。
私はまだ保存が効く写真を母から奪い取るようにして、庭に広げた茣蓙の上に並べた。
濡れたアルバムを開き、天日干しをしようと思った。
開いたページには幼き頃の私や家族、兄弟が写っていた。
「和夫小学校入学」「新しい我が家で新年を迎えて」「海外研修のジュネーブにて」
古い写真のひとつひとつに父の手書きの注釈がついていた。
父はこうしたことにまめな人だった。家族で迎えた正月の記念写真。旅行に行った先で撮ったもの、仕事先で撮ったもの。
戦後すぐに買ったであろうページがはがれそうになったアルバムには、若き父と母が仲睦まじく写っていた。満州から引き揚げすっからかんの中から戦後の日本を生きようとした父と母の姿。過去にも見たような気がするのだが、それらは初めて父と母の歴史を私に語っているかのようだった。
庭に天日干しされた数十冊のアルバムは、まぎれもなく父と母の歴史の記録だった。私や私の弟たちの歴史だった。私は偶然の水浸し事故によってそれらと対面したのだった。

私はふと思った。私や私の家族、私の兄弟たち、子供たちや孫たちはいつかこのアルバムを見ることがあるがあるのだろうか、と。
母が未練を見せずいくつかの写真を捨て去ったのは、「もう見ることはないでしょう?」という抗議にも似た諦観だったのだろうか。
それとも、父との思い出は、写真じゃなくて心の中にあるからと言いたかったのだろうか。
そこには父に先立たれた一人の女性の深い悲しみがあったのかもしれない。
思い出にサヨナラをしてもかまわない母なりの覚悟があったのかもしれない。

だが、私たちはそれらを将来じっと見ることがあるのだろうか。
私たちはその思い出をどうすればいいのだろうか。

「詩などを必要としない人は大勢いるが、思い出を持たない人間はいない」

人はなぜ思い出を残すのか。
それは今の自分のあり方を知るためなのか。
自分がどうしてここにいるかを知るためなのか。

私の毎日は、時間に追われ、過去の記憶に想いを馳せることがほとんどない。
過去を振り返っても仕方がない、今に生きるんだ。
本当にそうだろうか。

あまりに忙しい振りをして捨て去ってしまったものがどこかにあるのではないか。

連綿と続く歴史に向き合うことがあまりに少ない日常の中で、私は父の記憶に偶然にも再会し、それを教わったのだった。

そして同時に、もう二度と見ることのできないいくつかの思い出も殺してしまった。
びしょびしょに濡れて、手にするとクシャっと紙くず同然になった思い出の写真。
写真の中の父が「忘れることだけ上手になって」と言っているようだった。

一ヵ月後、地下収納室は再建された。
私は今度は濡れることのないようにプラスチックのケースにアルバムをしまった。
もっとも今度濡れたら間違いなく欠陥住宅なのだが。
乾燥剤を入れることも忘れなかった。
ぱちんとふたをした。
地下収納の奥にケースは仕舞い込まれた。
ドアは再び閉められた。
『ドア・イン・ザ・フロア』
記憶は今も眠っている。