「おっと、忘れるところだった」
その人は去り際に、テーブルに置き忘れた帽子を片手に握りしめた。
クシャと丸められたコットンのよれよれの帽子。それは日曜日の普段着に似つかわしい帽子だった。
「それじゃまた」
その人は帽子を目深にかぶりその店を出て行った。
その帽子がとても似合う人だった。
日本一地価の高い街にも季節はある。
昨年の10月初旬、9月の総選挙でなんとも気持ちの悪い風が吹き、台風の集中豪雨が明けた頃、暑くも寒くもない乾いた風が吹き込む銀座の路地裏をその人は歩いて行ったことだろう。もうすぐ60歳になろうというのに、Gパンにスニーカー、レインコートによれよれ帽子。
日曜の銀座の裏道は、夏休みの校庭のようにもの哀しい。
足取り軽くというよりも、おそらく一見頼りなげにその人は歩いて行っただろう。
こんな場所は似合わないとやや照れながら歩いて行ったことだろう。
しかし、彼は頼りない人物ではなかった。身体こそ細いが、それは柳のようにしなやかで、帽子の下に隠されたまなざしは常に優しさに満ちていた。
そしてその生き方は多くの人から全幅の信頼を得ているものだった。
日下雄一さん。私が日下さんと会ったのはその日が最後だった。
あの日、すでに2度目の癌が日下さんを蝕んでいたのかもしれなかった。
その日曜日の午後、ある人の出版記念パーティがあった。
日下さんは少し遅れて顔を出した。ほんのひと時会話を交わし出て行った。
日曜日なのにわざわざ顔を出す日下さんの律儀さに彼の人柄があった。
テレビ朝日のプロデューサーとして『朝まで生テレビ』をはじめ報道の現場で日下さんは文字通り戦ってきた。
大ベテランであるにもかかわらず日下さんは決して偉ぶることのない人だった。
自分の思想や価値観を声高に押し付けることのない人だった。
年齢とともに、管理職の地位を上りつめていく企業体の中にいて常に現場を愛する現役を貫いていた。
私と日下さんは同じテレビ朝日内で仕事をする身だが、滅多に会うことはなかった。
そのくせ付き合いは長かった。直接日下さんの仕事をしたことはほとんどないのに、私の仕事はよく知ってくれていた。時々、はにかんだような面持ちで、鋭い批評をしてくれることもあった。満面の笑みを浮かべまるで一緒に仕事をしたかのように絶賛してくれることもあった。いろいろなテレビ局で仕事をしてきたが、彼ほど人を真っ向から貶める事のないプロデューサーはいなかった。人間に対して差別することが決してなかった。
居丈高になる人が多いテレビ界にあって、ベテラン新人を問わず日下さんはいつも優しかった。なんとなく照れているような口調で、どんな題材にも初心で向き合っているようだった。
それは日下さん自身が「絶対価値観」を認めていなかったからじゃないかと思う。
「こんな偉そうな仕事をしていて、なんとなく恥ずかしいんだよね、なんとなく申し訳ないんだよね」と日下さんはいつも言っているような気がしていた。
よれよれのコットン帽子を目深にかぶるのは、その面映さからなのではないかと思った。
このよれよれのコットン帽子が似合う人をもう一人知っている。
銃弾に倒れた時もその帽子をかぶっていた橋田信介氏である。
橋田さんのまなざしもどこか日下さんに似ていた。決して偉そうにしないところもそっくりだ。どんなに立派な仕事をしても「なんとなく恥ずかしいんだよね」というたたずまい。
橋田さんも「絶対」を信じない人だった。
橋田さんの故郷、山口県の宇部を訪ねたことがある。小さい頃橋田さんの家のそばには強制連行されてきた朝鮮人たちが働いている工場があったという。連日そこから「アイゴー」という嘆きや叫びが聞こえてきたという。
橋田さんはその理不尽な差別を目撃した。同時に彼らの哀しみや苦しみに対して無力な自分も自覚した。数々の戦場で権力者の傲慢が人間をどん底まで苦しめるさまも見てきた。それに対して無力な弱者をいやというほど見てきた。
そしてまた、昨日まで絶対権力だった者が次の日にはその場所から堕ちていく現場も目撃してきた。昨日までの価値が次の日にはゼロになる非情も見てきた。
そうした経験が、最下層に生きる人々への愛惜となって彼の仕事を支えてきた。
反権力だけが橋田さんの中で密やかに燃え続けてきた。
日下さんに一度聞いたことがあった。日下さんは北九州で生まれ、炭鉱の町で育ったという。そこにもまた最下層の人々がいた。朝鮮人労働者、売春婦、やくざ。弱者が弱者を差別しいたぶるさま、どん底の人間の欲望、裏切り。赤裸々な人間の姿を体験してきたという。それに対して何ができるのか、巨大な権力に対して何ができるのか。それをずっと引きずって日下さんは生きてきた。
そして自分はテレビという権力に身を置いている「なんとなくの居心地の悪さ」。
二人に共通するのはそうした体験を通じての、どこか申し訳ないような面目のなさのようなものではなかっただろうか。決して権威にはならないぞという覚悟ではなかったか。
だから日下さんは決して偉そうにすることができなかった。偉そうにしている人を軽蔑していた。自分の価値観を絶対のものとして強要する者を嫌っていた。「絶対」のはかなさと空虚さを誰よりも知っていた。
絶対を振りかざす人間の弱さに組しようとは思わなかった。
人の話をとことん聞き、その人のいいところを導き出そうとした。
日下さんは1月5日、誰にも告げずにひっそりとこの世を去った。
柔らかな帽子の似合う人がまた一人いなくなった。
了 |