『午前2時のナマズ』

午前2時。いつもの帰宅時間。
門灯のスイッチを切り、私は暗いリビングにひとり座る。家人は眠っている。
リビングには小さな水槽のポンプ音だけが、ドゥルルルルというような微音を響かせている。水槽の中には3匹のザリガニと、一匹のナマズがいる。
ザリガニたちは、3個の小さなコップの中にそれぞれ身体を縮ませ眠っている。
ザリガニも眠るのである。
ナマズは昼夜を問わずじっとしている。ひょいと覗いてみると、その眼は左右に、何を見るともなく開かれている。
「何を見ているのだね、ナマズ君。そんなに狭い水槽の中で。」
ナマズが答える。
「君こそ何を見ているんだね。僕より数段広い世界を見ているとでもいうのかい?」

わずか、幅30センチ、縦20センチ、奥行き20センチの水槽が世界のナマズより、私は世界を知っているとでもいうのか。
毎夜、私はナマズと会話する。

この夏、突然ザリガニを採ってみたくなった。
小さい頃、おそらくは小学生低学年の頃、よくザリガニ採りをした。タコ糸の先にスルメをつけ、山手線の線路脇に流れる溝にたらす。すると、ザリガニがスルメに食いついてきたものだ。
あのザリガニ採りは今も可能か。ザリガニがいる河や沼は今も健在か。
日曜となると私は近所の小さな川や沼を求めて車を走らせた。二人の孫がお供だった。
孫がそれを面白がるかどうかは別だった。私は孫よりも、森や、小川や、土を求めていたのかもしれない。日々、人工の極みの中で生活してきたせいかもしれない。

近くに武蔵野公園がある。
休みとなると、その公園には多くの家族連れが、森の中でバーベキューをしたりしている。
小さな川もある。私達は網とザリガニ採りの道具を持ちザバザバと川の中を進む。
水草の中に網を入れガサゴソとつつきまわすと、時としてザリガニが入ってくることがある。のんびりとタコ糸をたれるもよし。今もザリガニは健在なのだった。
かくて我が家には日曜日ごとにザリガニが増えることとなった。

ザリガニ採りに飽きた頃、川に泳ぐ3ミリに満たない稚魚を採ってきたことがあった。
メダカか、それとも?
ザリガニの餌になってしまうかな、と思いながらの水槽に泳がせた。数匹いた稚魚は一匹死に、二匹死に、たった一匹だけが残った。
幸いというか、当然なのか、その一匹はザリガニに食われることもなく、彼らの餌を横取りしながらぐんぐんと大きくなった。
あれから4ヶ月、稚魚は体長15センチのナマズに成長し、今ではザリガニたちを睥睨し、水槽の主のようにどっかと居座っている。
深夜2時。どこかとぼけた酔眼のようなナマズ君は、私を繰り返し挑発するのだった。

「君は世界を駆けずり回って何を見てきたのかな? それが今の君に何をもたらしているのかな?」
「世界の不平等と、哀しみを見てきた。人間の傲慢さと身勝手さと、愚かさとそれでも生きる喜びを感受したいという欲望と、矛盾と」
「そんなものか。そんなものはこの小さな水槽にいる僕だって見ているよ。君の78歳になるお母さん。夫を失って、足を悪くして、ひ孫を抱く時だけが楽しそうなお母さんの深いしわ。彼女が満州からの引き上げについて語る時、決まって涙するその訳を、僕は曇ったガラス越しに見てきた。君の29歳になる娘。3人目の子供を生み、5歳と3歳の子供を時に叱り時におだて、彼らの嫉妬心をうまく懐柔しながらミルクを上げる姿を僕はこの狭いスクリーンの向こうに見てきた。君の妻が一人ワインを飲み、深いため息をつく姿や、君の2番目や3番目の娘が深夜の冷蔵庫からそっと甘いものを出し、うつろに未来に希望や絶望を抱いている姿、僕はここにいながらすべて見てきた。君よりは早く帰ってくるが、やはり仕事がら遅い帰宅となる娘婿が、独り食事を取る後姿。僕は毎晩見てきた。君はそれらを見たかい?」
「僕が家庭を顧みない男だと言いたいのか?」
「そうじゃない。君は世界を見てきた、そう思っている。君は世界について語ってきた、そう思っている。でも、何を見なかった?何を語らなかった?そう聞いているんだ」
「僕が見なかったもの?」
「そう、君が見なかったもの。そろそろ、それに思いを馳せてもいいんじゃないか。人はすべてを見ることはできない。でも、見なかったことは、それがなかったということではない。君はアウシュビッツを見なかった。君はベトナム戦争を見なかった。君は君の言葉に打ちのめされる友人の涙を見なかった。君は君の夢に寄り添ってきた人たちの哀しみを見なかった。君は君の周りにある善意を見なかった。君は君を見なかった」

生意気なナマズ野郎は、こうして私を打ちのめす。
深夜2時。コップに水を入れ、私は長く付き合っている胃炎の薬をのむ。
そして、善意について考える。
私は周りの人の善意で生きている。
しかし、善意の人の集団がいつも善意をなすとは限らない。
世界は善意に包まれているが、善意が民主主義をもたらすといって爆弾を落としている。
善意が人の苦悩を救済するといって他者を排斥する宗教を育てている。
善意が弱者を救うといって、より弱者を差別している。
善意の人々が善意の人を選び、独裁者を生んでいる。

「ナマズ君よ、確かに僕は人々の善意で生きている。しかし、善意が集団となった時、それが善魔となる時がある。僕はどうすればいい?」
「水槽の中の僕に答えを求めてどうする。見なかったことに想像力を働かせるしかないじゃないか。それを共有できる場所を確保するしかないじゃないか。」

時代は狡猾な善意に包まれている。チルドレンもITにも悪意はない。
しかし、ゆったりとある種の心地よさを持って、善意が世界を蝕んでいる。

午前2時。水槽はブクブクと泡を出している。ナマズが世界を見ている。
12月26日。3匹いたザリガニの一匹が死んだ。