『さらば愛しき街よ』

「愛はアメリカの最大の産業ですよ」(ハートの刺青)
と作家が書いたのはいつのことだっただろう。
今、アメリカの最大の産業はテロリストを作り出すことだ。アメリカが世界中にせっせと作り出したテロリストたちが、7月7日のロンドンを襲った。
もし作家がこの事件を知っていたなら何を書いただろう。
作家は7月6日に死んだ。
「気持ちのよい春の日には誰も死のことなど考えない。死にふさわしいのは秋だ、春ではない。秋は不気味な考えを誘い出し、陰気な空気を招きよせ、すべて枯れしぼむ風景は死への憧れを駆り立てる。まったく秋は詩的だ。短く、はかなく、カビや灰の匂いでいっぱいだ。人間は秋になるとやたら死ぬ。他にも死に果てるものの多い季節だ。しかし春に死ぬなんて許されない」(10+1)
作家は初夏に死んだ。
テロリストもまた季節を選ばない。
テロリストを生む側も季節を選ばない。
街もまた季節を失った。

そう言えば9・11について彼は何か語っただろうか。
キャレラやクリングは9・11の時にどこにいたのだろう。
87分署にイスラム教徒の刑事は配属されていなかった。作家もそこまで書かなかった。
あまりにリアリティがないと思ったからかもしれない。
デブのオリ―は筋金入りの人種差別者だが、イスラム教徒を差別させるわけにいかなかったからかもしれない。オリーが黒人を差別するのは共存していくことが前提なのだが、今のアメリカにイスラムと共存する寛容はないと思ったからかもしれない。
遺作ではフセインとアラファトの仮面をかぶった誘拐犯が登場し、FBIが9・11以降の超ハイテク技術で捜査をするが、まるで役に立たないという展開を見せる。(歌姫)
犯人のもう一人はブッシュの仮面をしている。3大テロリストと言いたいのかもしれない。
結局、足で稼ぐローテク刑事たちが事件を解決するのだが、作家にはもうかつてのように街を愛する意欲は希薄だ。
かつて作家は書いた。

「街は女にそっくりだ。お前には都合がいいだろう。お前の相手は女だから。
眠りからさめたばかりの、さっぱりした、シミひとつない、初々しい街の姿。素肌の街。仕事に出かけるときのきちんとした服装の街。夜のジャングルの女豹のように、すべすべした、美しい毛皮をまとった街。蒸し暑い、気むずかしい街。街は愛し、憎み、傲慢で、柔和だ。冷酷、不正、そしてやさしく、気取っている。
この街はだだっ広く、大きい。時には苦痛に悲鳴をあげ、また時にはエクスタシーの吐息をもらす。街は女にそっくりだ。お前の商売には、まったく都合がいい。
お前は通り魔だから」(通り魔)
「彼女―夜の都会はそこにいる。彼女のふっくらとした乳房は、陶然と夜の調べに波打っている。そう、彼女はそこにいる。夜の都会はそこにいるのだった。」(殺意の契り)

かつて作家は街に尽きないオマージュを捧げた。

「この街を見てくれ。どうしてこの街が嫌いになれる?彼女は騒々しくがさつだ。彼女の歌はあまりに大声過ぎる。都会を人格化して考えられなかったら、都会を愛することはできないのだ。彼女についてロマンティックにセンチになれないものは、まだ言葉の勉強をしている外国人のようなものだ。本当の都会を知るにはぴったりと寄り添うしかないのだ。都会を呼吸しなければならないのだ。−この都会を見るがいい。どうして彼女が嫌いになれる。」(死んだ耳の男)

作家が愛した彼女は消えた。
街には無数の監視カメラが取り付けられ、地下鉄の車両のすべてに警官が配置され、切符はすべて指紋が取られ、構内からはゴミ箱がすべて撤去された。
街には私服警官が立ち止まるものを犯罪予備軍やテロリストと警戒し、ATMや自動販売機は無機質な音声を奏で、道往く者に声をかけると変質者かテロリストと思われ通報される時代が音を立ててやってきている。
街はテロリストの標的として存在し、そこにいる者はすべて容疑者となった。
恐怖と緊張が通りを包み、そこには1年中、空調が作り出した風が吹く。

作家は今ならこう言うかもしれない。
この街を見てくれ。どうしてこの街が好きになれる?
初々しい姿はなく、素肌の街はなく、夜のジャングルの女豹のように、すべすべした、美しい毛皮をまとった街もなく、ロマンティックにもセンチにもなれない都会。ただただ爆弾におびえる都会。
この都会、ニューヨーク、マドリード、ロンドンを見るがいい。
どうして彼女が好きになれる?

そうしてしまったのは誰か。
傲慢で、寛容さを失い、世界を力で押さえつけようとする“アメリカ”という記号。
恐怖と攻撃心という感情しか持たない都会を作り続ける記号。
作家、エド・マクベインの死はそこからのグッドバイかもしれない。

もうエド・マクベインを読めないのは悲しい。
でも巨匠よ、逝ってしまってよかった。
もうあなたの愛した街はないのですから。

街はアメリカそっくりだ。お前には都合がいいだろう。
お前はテロリストだから。