『少年とチョコレート』

2月14日。17歳の少年は2本の包丁を鞄に忍ばせ、母校である小学校を訪れ教師ら3人を刺した。警察が駆けつけた時、少年は職員室の窓辺に立ち、タバコをふかしていた。
少年の鞄の中には、使わなかった1本の包丁とチョコレートが入っていた。
その日はバレンタインデーだった。そのチョコレートは家族の誰かが彼にあげたものだという。姉が3人いたという17歳の少年。姉のうちの一人が、何気なく、慣例に従って贈ったものだったのかもしれない。ことさら意味のない、「バレンタインデーだから、とりあえず」といったものだったのかもしれない。
その日、少年はいつものように塾には行かず、わざわざバスに乗って2本の包丁を買いに行き、母校を訪ね、かつての担任がいないと知ると、近くのうどん屋で定食を注文し、残らず食べるとタバコを3本吸い、再び母校へ向かった。うどん屋での時間は、少年がもう引き返せないと決心するための時間だったのだろうか。3本のタバコを吸う時間は、長く不登校を続けていた彼が一瞬のテロリストに変貌するための時間だったのか。
凶行におよぶ際、鞄の中から包丁を引きずり出すそのとき、彼はチョコレートに気づいただろうか。
そのチョコレートは17歳のテロリストにとって、いったい何だったのだろうか。
後日、少年は犯行について「自分を変えたかった」と供述したと言う。
「自分を変える」ための選択肢。それは彼にとって殺人者となること以外になかったのだろうか。

2003年の3月、私はカンボジアにいた。イラクではアメリカが空爆を開始しようとしていた。カンボジアには10数人の若者と一緒に出かけた。
彼らの年齢はまちまちだった。春休みを利用した高校生もいたし、大学生も、フリーターもいた。彼らはカンボジアの地雷廃絶を叫ぶNGOの一プロジェクトのメンバーたちだった。
カンボジアでは1平方メートルの地雷原の駆除にかかる費用がおよそ1ドル。缶コーヒー1本の値段で地雷がひとつ無くなります。「100円地雷駆除キャンペーン」
このキャンペーンは東京の事務局を中心に全国の有志で行われてきた。
彼らは学業や仕事の合間に各地で募金活動をし、NGOを通じてカンボジアに支援金を送っていた。これまでその募金で、地雷駆除されたカンボジアの大地に小学校まで建っていた。
今回は支援するカンボジアの地雷原を実地に見てみようというスタディツアーだった。

私は、一見満ち足りたニッポンに暮らす善意の若者たちが、地雷は腐るほどあるがコンビニも携帯もないカンボジアの現実を見て何を思うのか、それをドキュメントするために同行していた。
彼らのスタディツアーにはおまけがついていた。今回の訪問に際して、彼らはひとつのキャンペーンを張っていた。「カンボジアの子供たちにバレンタイン・チョコレートを贈ろう」というものだった。彼らの元には全国からチョコレートが集まっていた。ダンボールにして10数個はあっただろうか。中には手作りのチョコもあった。全国から集まった善意を届けることも彼らの任務だった。
しかし、カンボジアは暑い国だ。プノンペンに着いてすぐに彼らはその現実に直面した。
持ってきたチョコが次々に溶け始めた。あわててアイスボックスをかき集め、氷をつめ、チョコを冷やした。クーラーも効かない安宿の彼らの部屋にボックスが積まれた。ホテルの従業員から見るとそれはなんとも奇妙な光景だった。日本から来た若者たちが、重いクーラーボックスを次から次に階段を運んでくる。汗を滴らせ、一心に協力し合って車に積み込む。「地雷駆除」と何の関係があるのか。「バレンタインデーって何?」
しかし、それはなんとなくほほえましい光景だった。彼らは嬉々として自分たちの善行に邁進していた。
無目的な高校生活に疑問を持つ少女がいた。今いる日本の生活に適応しない自分にいらだつ18歳がいた。貧しさを知らない20歳がいた。東京の日常にイラつくOLがいた。このカンボジア旅行を親に内緒で家出同然でやってきた者もいた。何でもいいから新鮮な体験がしたいと思う者がいた。高校の卒業旅行の代わりに来た者もいた。
多くは、先進国にいながら、自分が不適合なのではないかという不安を抱えている若者たちだった。今のニッポンになんとなく居心地の悪さを感じている若者たちだった。この旅のために集まった若者たちは互いに知らない同士でもあった。それが私には面白かった。ここではないどこか、彼らの動機はそんなところにあるのではないかと思った。その無邪気さはうらやましくも思えたし、危なげだとも思えた。

首都プノンペンを一歩出ると、カンボジアはどこまでも農村が続く。1975年から続いた内戦でカンボジアの大地はおびただしい数の地雷が眠る危険地帯となっている。
4WDに分乗した若者たちは、土埃舞う田舎の村に到着した。
今も村のあちこちにドクロのマークが立てられている。一見すれば豊かな農村地帯だが、ロープの向こうには今も地雷が埋まり、わずかな細道をたどって家にたどり着くという農民もいる。はだしの子供たちが、バナナや椰子の木がところどころに見える緑の海原を駆けていく。水牛を追って舗装されていない道を10歳に満たない少年が歩いてくる。
足のない農民があばら家のような売店の前でタバコを吸っている。店に軒には小ぶりのバナナがつるされてあり、わずかばかりの飴や餅菓子のようなものが申し訳なさそうに並んでいる。
地雷駆除の作業員たちの笛が鳴る。「爆破するぞ!」
陽炎の立つでこぼこの道のすぐそばで発見された地雷が爆破される。何事もなかったかのように少女が背中に赤ん坊を背負って通り過ぎていく。
今のニッポンでは決して見ることの出来ないアジアの貧しい日常が広がっている。
そんな村の真ん中に、日本の援助で地雷が撤去された敷地に小学校が建っていた。
若者たちの目的地のひとつだ。日本の小学校から見ればみすぼらしい校舎だが、屋根があり、壁があり、木の床があり、机があり黒板がある。カンボジアでは立派な学校だ、
屋根がなく、壁がなく床は地面そのままで、机もなく、黒板も教科書もない、わずかに細い木で囲いを作った程度の学校をこれまで私はたくさん見てきていた。窓があるなんて、なんと教室らしいことよ。もっともその外はロープの張られた地雷原なのだが。
日本の民間の援助で出来た小学校。生徒たちはおとなしく椅子に座り、好奇心いっぱいに遠来の異邦人を待っていた。
手に手にチョコレートの入った袋を持った日本の若者たちも、子供たちとの出会いに意気が上がっていた。
3つほどある教室に分散し、若者たちは小さな子供たちに満面の笑顔で語りかけた。
「私達の国では1年に一回、親しみをこめてチョコレートを送る習慣があります。今回私達は日本の友達からあなたたちにチョコレートの贈り物を預かってきました。どうぞ食べてください」
子供たちは、それを通訳する先生の声にじっと聞き入った。誰も微笑まない。なぜか緊張した面持ちで、子供たちは日本の若者たちが広げた袋の中身を見つめている。
チョコレート。
先生はこれをどのように通訳したのだろうか。
ここカンボジアの田舎に突如として現れた見知らぬ食べ物のようなもの。
そう。貧しい地雷原の村の子供たちは、これまでチョコレートの存在もそれが食べ物であることすら知らないのであった。目の前の色とりどりに包装された日本のおびただしい種類のチョコレート、それらは子供たちにとって何に見えたのだろうか。
日本の若者の無邪気な善意はすぐには伝わらないのであった。

カンボジアでは子供にとって大人の命令は絶対である。
先生が何人かの子供に前に来るように行った。はにかむように、おずおずと二人の少女が前に出た。その子の手に日本の若者があふれんばかりのチョコレートを乗せた。
「食べてください」
「食べなさい」と先生の声。
こわごわと、包装紙を破る手。中から出てきた茶色の固形物。まるで、あたりの土と同じ色ではないか。「なにこれ?」と不思議そうに見る少女。
「食べなさい」と先生の声。
用心深く、口を近づける少女。食べた。甘い。にっこりと笑った。
日本の若者たちに安堵の微笑。
じっとその様子を座って見ていた子供たちのまえに、チョコレートが置かれていった。
みな初めは不思議そうに、その包装紙を見、中身を眺める。だが一度食べてみれば、それは今まで味わったことのない甘味。教室はたちまち騒然となった。中には他の者に取られまいと必死に両手で自分のチョコレートを囲おうとする子供がいる。ポケットにありったけのチョコを詰め込もうとする子供もいる。
他の教室を覗いてみると、日本の若者がゴミ袋を手に必死に叫んでいる。
「皆さん、ごみはこの袋に入れてください」
見ると、教室の子供たちはみな、チョコが包まれた包装紙や銀紙を当たりかまわず投げ捨てている。床はたちまちにして紙くずの散乱状態なのだった。
混乱は終わらない。子供たちにとって、チョコレートはきれいな紙に包まれた果肉そのものなのだった。それを包む食べられない皮は捨てるのが自然なのだ。
それはそうだろう。昨日まで、村の子供たちがおやつに食べるものは、豊かな大地がもたらした果物だったのだから。バナナやマンゴーの皮は剥いて捨てるものだったのだから。皮の中の果肉がおやつだったのだから。
禁断の味はすぐに広まった。口の周りを茶色に染めた子供がニコニコ笑っている。
一方で、もらった数が少ないと、隣の子供のチョコを奪おうとする者も出てくる。
あどけない子供は残酷でもある。カンボジアは兄弟も多い。貧しさの中にはいつも熾烈な争いがある。家に帰ったら弟たちに分けなければならない、ならばここで食べてしまおうと、がむしゃらに口に突っ込む子供の姿もあった。
だって、もう二度と食べられないかもしれないのだから。
食べ終わった子供は日本の若者に「もっとないの?」とすがってくる。
「こんどはいつくるの? チョコレート」と言っているのかもしれない。

日本の若者の善意は、チョコレートを知らなかった村に事件をもたらしたのだった。
その一人にそっと聞いてみた。
「これが君たちがしたかった事なのかい?」
私が聞くまでもなかった。
善良な日本の若者たちは、自分たちの行為に戸惑っていた。
自分たちの善意は、貧しい、コンビにもない、チョコレートなんかなかった村に異変を起こしてしまったのだった。チョコレートなんか買えない村の子供たちに、消費への欲望を植え付けてしまったのかもしれなかった。明日からは決して食べることの出来ない物の味を覚えさせたことが、果たして援助なのだろうか。
必死にアルバイトをしてカンボジアにやって来た貧しい日本の若者たちの中に、来年もここにバレンタインデーの贈り物を届けようと思っているものはいなかった。
その日の帰り道、彼らの多くは落ち込んでいた。
自分たちの善意は、果たしてカンボジアの子供たちに善意として伝わったのか。
それは自己満足の傲慢な行為ではなかったのか。物に支配された国が嫌いだったのに、自分たちが持ち込んだものは、結局は物欲を駆り立てるものではなかったのか。
彼らは悩んだ。富める国が貧しい国に援助するということはどういうことか。
自分たちにその資格はあるのか。バレンタインデーなどという、能天気な繁栄した国のお遊びが通用しない場所がある、そのことに無自覚な自分たちがいる。私たちはみなそんなニッポンという国に育ってしまった。
彼らはみな真摯な若者たちだった。だからこそ、自分たちの欺瞞性に気がつき悩んだ。

だが、私は彼らを微笑ましく思った。そのことに気づいた彼らをたくましく思った。
「いいじゃないか。君たちは自分たちの常識が常識として通用しない場所があることに気づいたのだから。自分たちが住む場所が世界の中心でも標準でもないことを知ったのだから。確実性などないことを知ったのだから。
そして自分たちがまだまだ何も知らないということを知ったのだから。」

彼らのカンボジアへの旅は、「知らないことを知る旅」であった。
善意は時として空回りする。善意が大きなしっぺ返しを食うこともある。
この世界に確実性などはない。私たちの生きている世界はほんのちっぽけな価値観で成り立っている。知らないことのほうが多いのだ。
ならば、気が楽じゃないか。
一人ひとりがニッポンでがんじがらめにされている価値観から自由になるチャンスじゃないか。君たちが居心地の悪さを感じていたニッポンでもそれなりに生きられるじゃないか。

私は日本に帰る彼らと笑顔で別れ、空爆の始まったイラクを目指し、ヨルダンへと向かった。
大先輩、橋田信介はすでにバグダッドに入っていた。私はビザが取れずにアンマンでうろうろしていた。私にも確実性などなかった。中東の青空が私を臆病者と嗤った。

17歳の少年は、小学校の頃からいじめを受けていたという。そのいじめに気づき救ってくれなかった先生を恨んだという。その報復の日が17歳のバレンタインデーにやってきた。
少年は大検に受かり、塾にも行っていたという。進学したかったのかもしれない。それとも、子供の頃作文に書いたゲームのプログラマーになりたかったのかもしれない。
だが、それが突然ぷつりと切れた。
誰かが言ってあげる事は出来なかったのか。
この世に確実なことなんかないよ。
もっと選択肢はあるよ。
君は変われるよ。

私たちの社会は、おざなりのチョコレートをあげることは出来ても、孤独な殺人者に生きる選択肢を与えることも出来ないのだろうか。
鞄の中にあったというチョコレートを彼は食べただろうか。