映画監督の大林宣彦さんがいつか「映画の魅力」についてこんなことを言っていた。
映画の不思議とは、見る人にさまざまな影響を与えること。その映画の主題とは関係なく、何気なく写った船が忘れられなくて、見た人が船乗りになってしまったとか。
ストーリーなんか忘れてしまったのに、主人公のタバコを吸うしぐさがその人のスタイルになってしまったとか。
僕の場合は、このコラムのタイトルになっている『COOL HAND LUKE』(邦題『暴力脱獄』)のポール・ニューマンの笑顔に大きな影響を受けた。もっともあの2枚目を僕が真似しても不気味でしかないのだけれど。
見る人によってさまざま、それこそ千差万別、ちょっとずれているかもしれないが、へえ、そんなところがよかったの? という感じが好きだ。
こんなことをいうのも、実は僕のコラムを読んだ人から「コラムの表紙になっているあの写真はいつどこで撮ったのですか?」なんていう予想外のお便りをもらったからだ。
僕のコラムについての感想や意見なら分かるのだが(過激だという批判もあったり、お前は北朝鮮に行けという意見もあったりするのです)、コラムの表紙になった写真が気に入ったとは。
お答えしておこうと思う。
あの写真、とうもろこしを食べている戸惑い気味の写真は、北朝鮮のある共同農場で撮ったものだ。2000年か2001年のもの。
水害だとか、旱魃だとか、なぜかいつもうまく行かない北朝鮮の農作物。農場を見学する僕に農場の案内係りがくれたものだ。取材の自由がきかない中でのおすそわけ。
どこに行ってもいただいたものは辞退しないというポリシーを貫き、畑のそばでガブリ。
とうもろこしは、どこで食べてもとうもろこし。ことさらうまくもなければまずくもない。
「おい、とうもろこし、お前に罪はない、食ってやる」
といったところか。意味不明だがそんな気分。
思えばいろんなところでいろんなものを食ってきた。最近記憶にあるのはリビアの砂漠で食ったスイカであり、パレスチナのガザで食ったオレンジだ。
考えてみれば人間は食わなきゃならない動物だ。
イラクやアフガニスタンでは戦争が続いている。そんな中でも人は毎日何かを食っている。
それがなんとも不思議だ。
「テロリストを殲滅だ!」と叫んでいるアメリカ兵も、M-16の弾丸を撃ちつくしたあとに、何か食っている。攻撃され、家族を殺された人々も悲嘆にくれながら何か食っている。
やったほうもやられたほうも、腹は減るのだ。
人間は基本的には不器用にできている。どんなに文明が進んでも、どんな思想や宗教の違いがあろうとも、コンピュータ社会になっても、火星に行けるようになっても、やっぱり腹は減る。
馬鹿だなあ、こんなときに腹が減るなんて、と思いつつ、あっちも腹が減るんだよな、と思えたら、憎悪も軽減されるだろうか。
よく分からない。
お便りの主へ。こんなお答えでいいでしょうか。
最近はテレビ局の売店で菓子パンを食っています。
了
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