『ジハード(聖戦)はある』

昨年の6月24日。私は一人の老人の前にいた。車椅子に座り毛布を身にまとった彼は支えなければ倒れてしまいそうなか細い身体をしていた。
私のガイドは老人の頬に軽く自分の頬を当て敬虔な会釈を交わした。
「こちらへどうぞ」
澄んだ眼で老人は私を呼び寄せた。
「遠方からの客人よ、何でも聞いてほしい」
周りを取り囲む男たちに険はなかった。みな穏やかな表情をしていた。
逃げているのでも隠れているのでもない。普段どおりの静かな空間。いつもどおりの彼の生活。彼が信徒たちに会う決して広いとはいえないいつもの居間。
彼に会いに多くの市民が訪れる。私の面会が終わるのを待つ人が控え室で待っている。

ほんの数時間前、老人の自宅を訪ねる前に私は難民キャンプにいた。
数日前からイスラエル軍の戦車とブルドーザーが難民キャンプの民家を完全に破壊していた。
家を壊された住民は行くところもなく路上に座っていた。ガス弾のガスを吸って四肢が麻痺した子供を抱いて母親は訴えた。「テロリストはどっちだというの?」
あたりには途方にくれた市民と、瓦礫の中で行き場もなく、それでもじっとしていられない子供たちが笑い声を上げて遊んでいた。こちら側に銃を持った男たちなどいなかった。
それでも200メートル先の監視台からの発砲が続いた。私を狙ったのではない、だろう。瓦礫が散乱する砂埃の路上で遊ぶ子供たちを面白半分で撃っているのだ。
こんな日常がそこにあった。
「どちらがテロリスト?」
2000年9月以来、完全に武力制圧されたパレスチナ。ユダヤ人入植地と境をなすガザ地区の難民キャンプ。自治政府の機能はストップし、追い出された市民たちに援助の手は届かない。
「誰が助けてくれる?」
「誰も助けてくれない」
「食べ物は?」
「ハマスがわずかばかり援助してくれる」
「アラファト政府とはハマスとどっちが頼れる?」
「ハマス」

ハマスは人々を支えていた。ハマスは人々を助けていた。その最高指導者は人々の大きな尊敬を得ていた。

私は緊張していた。目の前の今にも倒れそうなか細い老人がハマスの最高指導者なのか。
この優しい眼をした老人が「自爆テロ」の首謀者なのか。

「私たちを過激派と呼ぶのはやめてください。私たちはイスラエルが占領をやめて、私たちの独立を認めればそれでいいのです。私たちは土地を奪われ50年以上難民生活をしているのです。私たちの欲しいのは自由と独立だけなのです。そのための抵抗運動なのです」

「過激派ハマス」の最高指導者は小さな声で簡潔にこう言った。
至極当然のことを言っていると思った。ユダヤ人を武力で追い出すとか、殲滅するとか、過激な発言はなかった。
「客人よ、私はただ普通のこと、当然のことを言っているんですよ」
と、老人は笑った。

老人の家は50年前、国連が難民のために建てたコンクリートの家と同じような質素な一軒家だった。指導者といえど決して贅沢な家ではなかった。普通の人々と同じ家だった。ガザに住む人たちは皆この家を知っていた。歩いて10分ほどのところに老人が最初に説教をした小さなモスクがあった。ここも有名だった。みんなが知っていた。
決して華美な生活をすることのない聖職者、だから彼はパレスチナ人の精神的指導者だった。彼は逃げも隠れもしなかった。彼は堂々としていた。
それをイスラエル側も当然知っていた。

占領からの解放。当然の権利。
自由と独立。当然の要求。

3月22日。イスラエル軍はこの老人、シェイク・アフマド・ヤシンを暗殺した。
イスラエル国旗のダビデの星は鉤十字に変わった。
ナチによって600万人の同胞を虐殺された記憶の持ち主アリエル・シャロンはヒトラーとなった。逃げも隠れもしない車椅子の老人をミサイルで虐殺したのだ。
恥を知れ!
多くのユダヤ人たちは、自分たちの同胞の中から第二のヒトラーを生んだことを今後背負っていかなくてはならないだろう。

反撃は必ず起こるだろう。
占領に大義などない。

私は平和主義者になれない。被占領者たちの抵抗の闘いを否定することができない。
ジハードを否定することができない。

不当な占領はパレスチナで続いているだけではない。
イラクもまた。
そこには大義なき占領に加担し、「サマワ温泉」にはしゃぐ日本の自衛隊がいる。

老人を撃ち殺したミサイルはアメリカ製で、それを撃ったのもアメリカ製のヘリコプターで、ジャパンはアメリカのしもべだ。

ジハードはある。

そこまで分かって私たちは自衛隊を送り出したのだろうか。