恐ろしい光景を見た。その日僕は池袋で用事を済ませ、久しぶりに劇場で映画を見ようと新宿に向かって電車に乗った。休日なのに混んでいて、座れずつり革にぶら下がっていると、目の前に座っていた地味な女子大生風情の女性が携帯電話を見ながら「ムフフフフ」という声を上げて笑ったのだった。それはあたりを気づかうことのない不気味な笑いだった。
僕は確信した。テロリストだ。きっとアルカイダ日本支部の工作員に違いない。首都圏テロの作戦命令かなんかを受け取ったのだ。
気をつけなくてはいけない。アルカイダが、ひげの濃いアラブ人を送り込んでくるはずがない。こうした一見地味な、誰も見向きもしないちょっと不幸そうな女子大生風情がテロリストの一味なのだ。彼女は日がな電車に乗りテロの目標を本部にメールで報告しているに違いないのだ。「新宿駅のコインロッカーなんてどう?」「いいかも」などとメールしあっているのかもしれない。
新宿歌舞伎町も危ないかもしれない。映画館は珍しく混んでいた。30分も前に行ったのに「今からだと最前列か立ち見になります」と係りが叫んでいた。それはなかなか感動的な光景ではあったが、僕は「こうした善良な映画ファンが集まっているところもテロの標的になるかもな」とおびえていた。
そう、僕は怯えている。
新宿副都心には近づかない。ドコモタワーなんか絶対に行かない。汐留も行かない。恵比寿ガーデンも行かない。六本木ヒルズは仕事の関係で行かなくてはならないのだが、できるだけ電話で済ませようとして顰蹙をかっている。
新幹線なんか勿論乗らない。だって、アルカイダがテロの目標を探している最中にあの都知事が「絶対新幹線をやるべきだ。日本の新幹線は正確無比な運行をしているからすれ違いざまにドカンとやれば効果は絶大だ」などと、親切に教えてやってるんだもの。
大阪にロケの時も僕は車で6時間もかけて行った。いや待てよ、東名高速にテロもあるかもしれないな。もうやめよう。
国会や自民党会館などにも近づかない。永田町、霞ヶ関、虎ノ門には行かない。取材命令が出たら急性食道炎になったことにしよう。
あっ、親父の墓参りはどうしよう。金がなくて市の墓苑に安い墓を立てたのだが、あれは朝霞自衛隊の一部払い下げ地だった。親父の墓の50メートル先は自衛隊の訓練地だ。狙われるかも。墓参り中にドカンとやられたらそのまま己が納骨だ。
そういえばこのところヘリコプターが頻繁に家の上を飛んでいる。こんな郊外の住宅地にもアルカイダが潜んでいるというのか。
こうした建物や場所に対するテロばかりに怯えてもいられない。
爆破じゃないテロもある。スーパーマーケットの食品テロも考えられる。いつもチラシを見て買いに行っている1パック98円の卵は危ないかもしれない。何かが混入されているかもしれない。と思っていたら6ヶ月も前の卵を売っていたという事実が判明した。炭疽菌なんか混入させなくてもテロは起こせる。あれはアルカイダの実験だったに違いない。
築地は大丈夫だろうか。どこから仕入れたかよくわからない回転すしのネタは大丈夫だろうか。吉野家の牛丼は今やめたからっていいのか。ああ、あれはBSEだった。
あれ、待てよ。敵はアルカイダか? それとも東京をテロのノイローゼに落とし込もうとする陰謀が渦巻いているのか?
もうわけが判らない。
だが、僕は着実に怯えている。
その理由がある。
アドルフ、君のせいだ。
君は1月9日、あの気味の悪い上目遣いで陸上自衛隊に派遣命令を出したのだった。
非戦闘地に行くといっておきながら、個人携帯対戦車弾とか無反動砲とかの重火器を手に自衛隊はイラクに行くことになってしまったのだ。
君のせいで、僕たちの平和が脅かされるのは眼に見えている。テロリストたちはこれで日本を攻撃する正当性を手に入れたのだ。「やりますよ、アラーの神に誓って」とオサマが夢で言っていた。
いまからイスラム教に改宗して間にあうか。
本当に危なくなったらどこに逃げるか、亀有あたりのモスクしかない。もっともイラクじゃモスクも爆破されているが。
君はどっかの記者会見で「今後自衛隊の活動はこうしたことがメインになるでしょう」などとほざいた。
待ってくれ。イラク派遣は人道復興支援特別措置法じゃなかったのか。特別な措置でしょ?
有限でしょ? 復興したら引き上げるんでしょ?
しかし君の本音はそうじゃない。海外派兵、占領のお手伝い、そのうち続々と進出する日本企業、すなわち邦人保護のための駐留軍、それを世界に広げるための試金石、これが国際進出よ、いや貢献なのよという目論見でしょ?
そうなったら君、僕らは未来永劫テロに怯えなくてはならないじゃないか。
そこまでアメリカの真似をしなくてはならないのか。
君が夜な夜な鏡の前でマスカラかなんかでちょび髭を書いて一人悦に入っている姿が目に浮かぶ。「俺ってますますあの人に似てきたな」
君のせいで僕たちは引きこもりになりそうだ。
だがアドルフ君よ。君の欺瞞はわれわれマスコミが許さない、はずだ、はずであってほしいし、そうしたい。
それにも君は先手を打った。「取材はして欲しくないもんね」
人道支援に行くのにそれを取材してもらっては困る? それって君、自分からぼろ出してるじゃない。占領のお手伝いに行くってのが本音でしょ。抵抗するものは撃つ。でもその前に口頭で警告して、威嚇射撃して、急所を外して危害射撃しますから、と言っているけれど、それを取材されちゃ困るって言ってるわけでしょ。警告の通訳してる間に迫撃砲打ち込まれるのが関の山です。
大本営発表だけを国民は信じなさい。テレビはNHKだけを見なさい。
しかし、そうはうまく行かない。君は知らないけれど、サマワの砂漠は劣化ウラン弾の破片が塵となって砂漠の砂に混じって飛び交っている場所なのだよ。
かつてアメリカが枯葉剤をベトナムに撒いて、その後遺症で米兵が苦しんでいる例を出すまでもなく、湾岸戦争やコソボの劣化ウラン弾後遺症だってあるのだ。
被爆国の兵隊が海外派兵で砂で被爆する。または勇敢な自衛隊員がお土産に持って帰ろうとしたクラスター爆弾で怪我をする。または、失業したイラク人の息子が冗談で投げた石にムカッとして発砲する。
そんな事態が来るかもしれない。それはどんなに報道管制を敷こうがいずればれる。
マスコミは許さない。きっと。君たちの暴挙を告発、糾弾するはずだ、はずであってほしい。
そうなった時君は、どうする?
… ああそうか、いま分かったぞ。その時世間の攻撃の鉾先を変える最大の防御とは何か。それはさらに大きな恐怖が、ここ日本を覆っていることだ。
すなわちテロの恐怖だ。
テロこそ、邪悪な陰謀の暴露から君たちが逃れられるための救世主なのだ。
だから君の兄貴分は「新幹線やってください」と公言しているのだ。
そしたら君は兄貴のために戦車を何台も提供する約束になっているはずだ。
うーむ。読めてきた。
テロリストはアルカイダだけじゃない。テロを呼びこもうとするテロリスト集団を僕らは身内に持っているということなのだ。
君はその悪知恵をアメリカから教わったの? それとも「わが闘争」から?
あの電車の地味な女子大生風情は、君たちの手下だったのかもしれない。
ホームレスの皆さん、集団で暮らすのはやめたほうがいいかもしれませんよ。
ホームレスは朝鮮人だとか、ユダヤ教徒だとか、オウム信者だとかの流言蜚語が飛び出したらと思うと、心配でならない。
恐ろしい。なんとも恐ろしい。もう誘眠剤なしじゃ眠れない。
君は眠れるかい? きっとよく眠っていることだろうね。
何万人もの兵隊が君の前を行進する、あの70年前のどこかの国の光景を夢に見ながら。
それより僕から提案がある。忙しいかもしれないがTUTAYAに行って『チャップリンの独裁者』という映画でも借りて見てよ。
ねえ、アドルフ石破君。
ちなみに僕がその日見た映画は『ミスティック・リバー』です。犯人探しなので内容は言いませんが、デニス・ルヘインにはもっといいミステリーがあること、たしかイーライ・ウォーラックが酒屋の親父で出てたと思うけど、そのあたりにイーストウッド監督の映画人的人格がにじみ出ていたことなどが印象に残りました。結局、ブッシュとラムズフェルドが勝って、ついてない奴は仕方がないという今のアメリカみたいな映画。イーストウッドとしては文句のつけようのない完成度だけれど、アカデミー賞は取ってほしくない映画でした。
見る気になったでしょ?
くれぐれも人ごみにご用心。
了 |