| 『青い空の下の普通の生活』 |
パレスチナ、ガザ地区。いつのものようにチェックを受け、長く白いコンクリートの道を一人歩く。抜けるような青空、汗をしたたらせてガザに入ると、いつも待っているタクシーが一台もいない。
ガザ市内に向かう道が激しく破壊されている。ほんの一ヶ月前よりさらに激しく。いたのは一台のロバ。10歳ぐらいの子供とその弟が通行人を待っていた。
この炎天下、ガザに入ろうとしていたのは私だけ。にっこりと笑う彼らに誘われて身を預けた。 使わないことには2キロあまりをくらくらするような青空に射すくまれて歩かなくてならない。日本からおよそ24時間。午前4時にテルアビブに着いて、ろくすっぽ寝ていなかった。がたがたとロバ車は走った。灼熱、朦朧。そして遠くから轟音。
陽炎の中、前方から戦車が走ってきた。幻覚か?
そうではなかった。まさしく戦車が、この戦争の象徴が、普段は人々がのんびりと歩くであろう道を、砂埃を立てながら傲慢に走ってきた。これがガザの今ある日常だった。すぐそばを通り抜ける私たちに向かって砲塔を動かしてきたのはウエルカムの挨拶か。
聞けば、昨日も4人のファイターたちが、この侵略者たちの鉄の凶器を破壊するため地雷を設置、そのさなかに殺されたとか。ならば今日はその葬儀が待っている。
4人の遺体が病院の冷蔵庫から出され、数百人の人々とともに長いデモ行進。
PFLPやアルアクサ殉教者軍団が激しく撃ち鳴らす銃声に急き立てられながら、老体に鞭打ち、前身汗まみれで10キロ近く歩いた。覆面姿のPFLPが私のカメラにささやいた。「ベリークイックリー、リベンジ」報復は速やかに行われるだろう。青空の中に無数の銃弾が撃ち放たれ、消えていった。薬莢が、こつんと私の頭にあたった。
くらくらしながら、ハンユニスの難民キャンプに向かう。
一ヶ月前には確かにあったはずの三階建ての建物が無残な瓦礫になっていた。その下に51人もの元住民が途方にくれていた。連日イスラエル兵が戦車とブルドーザーでやってきた。銃撃、爆破。昨晩はとうとう完全に破壊して行った。
なぜ? なぜって? これが占領だ。これがイスラエルのやり方だ。
過激派がいようといまいと、ユダヤ人入植地に隣接する家屋は日課のように少しずつ破壊されていく。2年前に来た時にあった難民住宅地は見事に東京ドームほどのさら地に変化していた。粉砕された家の残骸が白い大地を作っていた。
崩れ散った石の残骸が怒ったように太陽を反射させている。小さな陰の中、イスラエルのガスを吸って四肢が麻痺した少女が横たわり激しく泣いている。口の周りにたかるハエを追い払うことさえ出来ない。
取材する私の耳に、もっと立ちの悪いハエたちが撃ち放つ乾いた銃声が聞こえる。
銃弾は青空に吸い込まれはしない。路頭に迷う子供たちの足元に砂埃を上げ跳ねあがる。時にはヨチヨチ歩きの幼児の身体を打ち抜く。
それはまだ雲ひとつない青空が私を圧迫する午後3時のことなのだった。
これもまたガザの日常だった。
ここだけではない。ガザのいたるところで、日常的に行われている占領という名の蛮行だった。
占領は昨日今日ではない。35年間だ。生まれて、青春を生きて、子供を作って、その子供の成長を見つめるのに十分な時間だ。
その占領は当然ながら違法だ。国連で占領地からの撤退が決議されてからもう35年がたっているのだ。
「ロードマップ? 占領が終わってから言ってくれよ」
もっともだ。何がいまさら占領地からの軍事撤退だ。暴力の停止合意だ。
「俺たちがテロリスト? どっちがテロリストかよく見てくれよ」
もっともだ。占領という暴力が終わってから初めて「ロードマップ」が意味を成すのだ。
難民帰還権はさらに古い55年前に決議されている。その難民帰還権にいっさい触れていない「ロードマップ」を、もう孫まで出来た難民の老人は鼻で笑う。
生まれてから一度も自分の故郷を見たことのない子供たちが死ぬ。
瓦礫にカメラを向けると、子供たちがそこに集まりにぎやかにピースサインを向ける。ニコニコと笑っている。
その向こうに、イスラエルが作り上げた人種隔離のコンクリートの高い壁が広がっている。壁の向こうでは、ユダヤ人入植者たちがプールのある邸宅に住んでいる。
こちら側では一日1ドルの生活もままならない難民が今夜の寝床を探している。
どちらにも同じ太陽が降り注ぐ。どちらから見ても空はただの青空だ。
不覚にも、私の眼の中の青空が水色に薄まった。汗のせいだと思うことにした。
私に涙する資格なんかないのだから。
思ったとおり、報復は次の日すぐに起こった。
本来はパレスチナ人自治区のはずのガザの中に、なぜかミリタリーゾーンとしてイスラエルが管理する地域がある。数十台の戦車とブルドーザーが侵攻と破壊のために待機している。
二人のハマスのファイターが攻撃を仕掛けた。RBJ砲でジープを破壊、銃撃戦の末、イスラエル側にも被害者が出たが、二人も無数の銃弾を受け殉死した。
病院で遺体が搬送されてくるのを待った。ここでは死者とは呼ばない。殉教者と呼ばれる。イスラエル側が遺体を渡さない。私を含む数人のメディアがじっと待つ。
来ない。いつまで待っても来ない。
「死体なんていつでも撮れるよ」「それより暇なら病院の患者を撮れば。被害者ならいくらでもいるよ」
人工呼吸器をつけた患者。暗殺ミサイルの破片を全身に浴びた患者。
あるものは農民、あるものは学生。普通の人々。
遺体が届いたら連絡をくれと言い残して、ハマスが経営する慈善団体に向かう。
過激派といわれるハマスだが、そもハマスとは、イスラエルの占領に対するイスラム抵抗運動の意味。抵抗のために組織された団体で、当然軍事部門もあるが、占領下の人々全体の生活にも眼を向けている。病院を経営したり、教育機関も持っている。
その一つ、ハマスが経営する病院で歯の治療を受ける子供を撮影する。アーンとおびえながら口をあける少年。どこでも同じだな、と笑う。
外に出ると空に轟音。F-16戦闘機が数機、白煙を撒いて飛び去った。対空砲の撹乱用白煙。パレスチナ側に対空砲などないのに。しかし何かが起こった。
耳をつんざくようなサイレン。違う病院に走りこんだ。
次々と運ばれてくる血みどろの患者たち。
聞けばたった今、アパッチヘリコプターによる暗殺のためのミサイル攻撃があったという。病院内では負傷者を乗せたストレッチャーがいくつもあわただしく行きかう。
中に全身を布で覆われた、か細い女性の姿があった。
ミサイル攻撃のあおりを受け即死。
カメラを向ける私に駆けつけた父親が、顔だけ撮ってくれと布をゆっくりと解く。
眠ったような美しい顔。うっすらとまぶたが開かれ、虚空を見つめているような焦点の合わない瞳。「もういいだろう、ありがとう」と、父親の静かな声が遺体安置所に残った。
女子大学生。学校に向かう乗り合いタクシーの後部座席で彼女は予想もしていなかったミサイルの犠牲者となったのだった。
白昼。人々は普段どおり通りに出て、買い物をし、学校に行き、木陰でアラビックコーヒーを飲みながら歓談をする普通の生活。
ここにも同じ青空があり、当然ながら普通の人々の生活がある。
その青空から突然撃ち放たれるミサイル。それが日常であっていいはずがない。
大破した2台の車の周りには、夏休みのせいもあって数百人という子供たちが集まっていた。カメラを持ったたった一人の日本人が珍しいのか、手に手に爆発の破片をもって「撮れ撮れ」と迫ってくる。
車全体が撮れないので小高い位置に移動すると、私の眼下に子供たちが集まり、自然発生的に大声の大合唱が起こった。
「ハマス、ハマス! 」
それは抵抗を叫ぶ大合唱。意味はわからなかったが唄まで歌っていた。
車には血痕と銃痕。それを何度も見た子供たちの抵抗への確かな意志。
止められない。占領が続く限り、誰にも止められない。たとえどんな武力をもってしても。レジスタンスの意志は政治家たちの交渉を凌駕してここにある。
父を失い、叔父を失い、姉を失い、弟を失い、土地を失い、尊厳を汚された人々の抵抗の意志は決して消すことは出来ない。
「ハマス」は、そうした抵抗の意志の総体なのであった。
これらのことが、私がガザに入ってたった2日の間に起こった。このほかにも、戦車とブルドーザーがアスファルトの道を破壊し、土砂を積み上げ通行不能にする場面にも遭遇した。殺されたファイターの遺体をパレスチナ人に取り戻させないためだった。
その作業を一人で撮影していた私にも、威嚇なのか激しい銃撃を加わった。慣れっこになっていた自分が逆に恐ろしかった。
私の中で「ロードマップ」が陽炎のように揺れ、そして消えて行った。
ガザは地中海に面している。
激しい暴力をよそに海水浴に興じる人々が海岸を埋め尽くす。
初めて海に入る子供を抱きかかえる父親がいる。それをまぶしい笑顔で見つめる母親がいる。波にあらわれキャッキャッと騒ぐ子どもたちがいる。
どこの世界にも共通の普通の生活がある。
海岸線の道を、結婚したばかりのカップルを乗せた車が走る。
ほっとする。当たり前の生活の風景にあらためてほっとする。
こんな変哲もない日常の風景にほっとしていることが、不思議だった。
これは蜃気楼ではない。こちらが当たり前の風景だと信じたい。
そのための青空だと信じたい。
たった5日間の短い滞在で私は帰ってきた。
今も毛穴にガザの砂埃が埋まっている。それは深く埋もれていて、容易に洗い流されそうもない。
あした孫が来る。暑そうだから一緒にプールにでも行こう。
私の孫の名前は「空」と言う。空君と遊ぼう。
了
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