| 『
戦争の実相』 |
戦場の取材では大先輩の橋田信介氏がバグダッドから帰ってきた。
橋田氏は3月の18日ごろからバグダッドに入り、20日の首都空爆を間近で撮影し、4月2日には当局から追い出されるも、すぐさまムジャヒディンのビザを取り再びバグダッド、首都陥落の9日の様子も撮影していた。
私は4月の1日にはアンマンあたりをうろついていたのだが、一度だけ橋田氏と連絡を取った。「後藤さんもすぐおいでよ」と言われたが、私にはイラクもシリアもビザがなく、行く方法が見つからなかった。それで、方向をパレスチナにとったのだが、このことはいずれまた報告する。
その時私は「相変わらずやってるなあ」という感想を持った。というのも、この先輩のこれまでの戦場取材の豊富な体験を知っていたし、私も一緒の時が何回かあったからだ。おそらく今回のバグダッドに入ったフリージャーナリストの中で、橋田氏は一番のベテランだったと思う。1970年代のベトナム戦争では空爆下のハノイにいた。その後のカンボジア、1991年の湾岸戦争、ボスニア、2001年のアフガンと橋田氏は戦場を駆け巡ってきた。
私が初めてパレスチナに行った時も一緒だった。銃弾乱れ飛ぶ中の体験のあまりない私に「僕が前に行くから後藤さんは後ろから撮ってね」と言ってカメラ片手に走り出すのがこの大先輩のスタイルだった。橋田氏と行動をともにしたパレスチナのガイドは、私に「橋田はクレージーだ」とこぼしたものだ。しかし、彼はただの怖いもの知らずではなかった。おそらく戦場の恐怖を誰よりも知っている一人だった。戦場にはどんなに勇敢でも恐怖心いっぱいの兵士がいる。それ以上に、敵も味方もなく巻き込まれる恐怖に逃げ惑い、早く終わって欲しいと願う多くの無数の無辜の人々がいる。そのことをいちばんよく知っているのが橋田氏だった。
外で見ている「戦争」と「戦場」とはまったく違うものであることを橋田氏は知っていた。
私はこの先輩の動物的『勘』というものを信じていた。時々「嫌な匂いがする、ここは避けましょう」と言って前に出るのを回避したり、戦車が砲塔を向けているのに、「大丈夫行きましょう」と言ったり、この先輩の勘はなぜか鋭かった。
その橋田氏が撮影した素材を持ってあるテレビ局に行った。私も付き合った。これまで彼が現地で撮ってきた素材を私が編集するということがあったからだ。今回ももし番組が成立したら私にまとめてほしいというのが橋田氏の意向だった。
局のデッキで素材をチェックした。
首都の空爆、爆風で吹き飛ぶホテルのドア、侵攻してくるアメリカ軍の戦車、そしてフセイン像が倒壊するまで。今回のイラク戦争をバグダッドで撮った映像が並んだ。
かなりの迫力と現場の緊張が伝わってくるが、事実そのものはこれまで報道されたものだった。局の担当者も「他にないんですか?」という感じだった。
4月9日、橋田氏はフセイン像が倒れるのを見て「これで終わった」と思った。ホテルに帰ろうとして車を走らせた。
すると広い道の前方で車が燃えている。一息ついたであろう米兵たちも戦車の陰からややのんびりとそれを眺めている。
すると突然、激しい銃撃がその車のほうから起こった。突然の市街戦が橋田氏の目の前で起こったのだ。容赦ない銃撃音が、あわてて逃げわき道に走るゆれっぱなしの画面にかぶさる。わき道から覗く広い道には双方が打ち合う銃弾の閃光が行き来する。迫撃砲か、照明弾か、薄暗くなった街路の向こうのヤシの木が赤く照らし出される。道路を覗こうとしていたのんきな市民たちもあわてて後退する。さっさと隠れればいいのに、戦闘を日常とする人々の習性なのか、銃撃音の中をうろうろと野次馬のようにしている。そこに皮肉なようだが、混乱の焦燥の中に立たされた人間の実相のようなものが浮かび上がり、瞬間のユーモアのようなものも感じられる。
橋田氏はさらに後退し、カメラを地面に固定させ物陰に隠れる。相棒がその様子をも撮影する。耳をふさぎながら橋田氏は「もう戦争は終わったと思ったらいきなりの銃撃戦です」などとリポートする。予想してない市街戦に橋田氏も怖がっている様子が浮かび上がる。
これが、戦場の実体、そう思わせる緊張の数十分が記録されていた。
これはこれまでのイラク報道にはなかったシーンだった。イラク戦争の王道とはちょっと角度が違ったシーンだった。ここでの市街戦が戦争の行方を左右するものではなかったが、これこそが紛れもない戦場の実相だった。
しかし、私が伝えたいのは橋田氏のそのシーンが戦場の実相を伝えているという、そのことだけではない。
そのシーンをテレビ局の部屋で見ていた時の、若い担当者の反応に私は若干の違和感を感じた、そのことであった。
「他にないんですか?」と言っていた担当者はこのシーンを見て「すごい! すごい!」と興奮した。おそらく見慣れていないシーンを見た興奮と、いい映像が手に入ったというメディアに関わるものとしての当然の反応であっただろう。そのことに違和感はない。私もそうした仕事に従事する一人だから、彼の素直な反応に納得がいった。
しかし、彼の「すごい」には、もうひとつの意味があった。おそらくは局にいてバグダッドから送られてくる数多くの映像を見ていた彼だが、実は実弾が飛び交うすさまじい音を聞いたのは初めてではなかったのだろうか。空爆や米軍の侵攻、遠くで響く爆撃音などはこれまで、まるで映画を見るように何度も見たであろうが、こうした市街戦や実弾が飛び交う生の映像を見たのはおそらく初めてなのではないだろうか。そして、その興奮はいい映像を手に入れたという以上に、新しい映画を見た興奮なのだった。だから、彼はそこで恐怖に震えていたであろう橋田氏を見て、「面白い、面白い」と笑えたのだ。すでにこの時点で、橋田氏の撮った映像はその担当者にとってバーチャルな戦場となっていたのだ。彼には当然戦場の実感はないのだった。
「そうか、実弾一発の音も実際に聞いたことがないんだな」と私はその時確信した。
戦場に行ったことはないんだな、と思った。それが私と橋田氏と、担当局員との間にある差異だった。
おそらくそれは珍しいことではない。多くの日本人が戦場体験なんかない。ないほうがいいに決まっている。
だが、メディアの側はそれでいいのだろうか。それで、戦争の実相、戦場の実相が伝えられるのだろうか、と私は思った。人が撮ってきた映像を映画を見るような興奮で受けとめる。素材を受け取って加工して放送に持っていくテレビ局員のその実感のなさが、現場と送り手と受け手の間に、ある微妙な差異を生んではいないだろうかと私は思ったのだった。
誤解のないように言っておくが、このテレビ局員が劣っていると言っているのではない。それは至極一般的な光景であったし、どこのテレビ局であっても普通のやり取りに過ぎなかったと思う。
実際、今度の戦争でバグダッドにいたジャーナリストはすべてフリーランスだった。
私はアンマンで多くのテレビ局や新聞社の人間と会ったが、彼らはバグダッドに入ることを本社から禁じられていた。とっくにビザを取っているのに「辞表を出さないと入れないんですよ」とぼやく者もいた。実際のところ彼らはバグダッド陥落後に一斉にイラクに入った。
実はそれまで、日本の大手メディアは戦争の匂いもないアンマンでみな暇をかこっていたのだった。勿論そうした大手メディアの中の私の親しい友人たちは、それぞれ必死でこの戦争を伝えようとしていたが、上司の命令は絶対だった。理由は何か?
「危険だから」なのかもしれない。「もし何かあったら責任がかかってくるから」なのかもしれなかった。
パレスチナでもそういうことがあった。「ガザは危険ですからね。僕ら入っちゃだめだと言われてるんですよ。後藤さん行っていいの撮れたら教えてくださいよ」とテレビ局員に言われたこともあった。そのガザには日本の女性が4人も滞在していたことを私は知っていた。
大手メディアは、それぞれが契約したフリーランスからの報告を受け取るだけだった。それを本社で待機しているスタッフが戦争の実態としてそれなりに「加工」して送り出していたのである。ここに微妙な差異はないか。
橋田氏が勇敢にして、また同時に恐怖心を抱きながら現場にいたその実感、その温度や空気を知らずして戦争報道は成り立つのだろうか。
報道は戦争の何を伝えようとしているのか。アメリカの戦略なのか、イラクの独裁体制が崩れるさまなのか、戦争というゲームの推移なのか。当然それもあるだろうが、伝えるべきは、戦争が決して勇ましい物語りなのではなく、忌まわしく悲惨であさはかな人間たちの愚行であり、恐怖と哀しみという感情さえもが無慈悲にも打ち砕かれるその実相にもあるのではないだろうか。
その実感なくして「危険だから」と尻込む報道姿勢は私たちに何をもたらすのだろうか。
勿論、だからこそ私たちフリーの仕事があるのだという言い方も出来るが、今はそのことではない。私たちが私たちの言葉で表現する機会や場所はますます限られているのが現状だ。
橋田氏が著書『戦場特派員』で書いている。
「平和な国に育った日本の青年が、戦場の恐怖を知らない青年が、本当に子供たちの心を理解できるのだろうか。もし本当にケアするというなら、少なくとも戦場の恐怖の一端を体験すべきだろう。今のパレスチナの子供の心を理解するには、一発の銃弾の音を聞くことが絶対の条件となる。そのチャンスから逃避して、修羅場が終わったら戻ってきて、したり顔で平和を語る。それを偽善という」
私はNGOならそれもいいと思う。橋田氏の言うように偽善とは思わない。NGOはいつも自身の偽善性と対峙し戦っている。
しかし、私たちの報道はそれでいいのだろうか。
一発の銃弾の音を聞くこともなく「危険だから」と尻込む報道に真実は伝えられるのだろうか。
そうして、実際に銃弾の音も聴いたことのない報道人が育ち、戦争を実感のないままに伝えていく。実感のないバーチャルのままで伝えていく。まるで映画を見るように。
常に安全圏にいて、偽善かどうかの自戒もなく。まるで日本という国を象徴するように。
橋田氏は別にも書いている。
「平和主義や非武装中立は、戦争をするよりもはるかに強い勇気を必要とする」
戦争の実相を伝えることを回避している日本のメディアが、より勇気を必要とする平和について、信念のある報道が出来るかどうか、はなはだ疑問ではないだろうか。
ノーム・チョムスキーは言っている。
「民主主義のもう一つの概念は、一般の人々を彼ら自身の問題に決して関わらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間の間だけで厳重に管理しておかなければならないとするものだ」
だとしたら、実相を回避した報道は、一部の特権的な階層が愛する、抑圧の装置としての民主主義に奉仕するものに成り下がりそうな危機にあるといってもいいのではないだろうか。
勿論これは、その報道に関わる私自身の大きな問題でもあるのだが。
橋田氏の著書は実業之日本社から出ています。面白いですよ。了
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