『アフガンは笑う』
駆け足で、アフガニスタンに行ってきた。
本当なら昨年の10月に行きたかったのだが、そのときは珍しくTV局の要請もあり、アメリカ同時多発テロの影響を取材に、パレスチナに行っていた。
気にはなっていたがアフガンに行く機会を逸していた。

で今回。NGO団体『ピースボート』のメンバーが視察に行くという。それに便乗。初めてのアフガン。
アメリカの空爆、北部同盟の侵攻、タリバン政権が倒れ、人々は解放された。それって本当? 俺はこの『解放』って奴にかなり懐疑的だった。それについては第6回『水汲みロイちゃん』で書いた。それを確かめるための旅だった。

でいきなり結論だが、本当であって、本当でない。タリバン政権が倒れて、タリバン政権の厳しい政策からは確かに解放されたようだが、それは、本当の『解放』なのだろうか、ということである。そも『解放』って何なのよ。

アフガンにはパキスタンから入る。今回はイスラマバードから陸路ペシャワールに行き、ペシャワールから、また陸路、カイバル峠を越えアフガン入り、ジャララバードに行き、またまた陸路で首都カブールに入った。帰りも同じ陸路で帰ってきた。
普通、というか多くのメディアは、イスラマバードから国連機に乗って空路でカブールに入るのだが、なんとこれが片道600ドル! おいおい、聞けばアフガン人の給料は、すごくいい奴でも100ドルぐらいだぜ。それもタリバン後、国連関係や、外国資本の入ったNGOに雇われた恵まれた一部の人たちだ。一般庶民はとてもとても、地方なら、それで家が建ってお釣りが来るってもんだ。
こちとら貧乏、そして今回はこれまた貧乏なNGO『ピースボート』のメンバーと一緒だったので、節約の意味もあるが、陸路で見なくて何が分かる! の精神で陸路を選んだ。

しかしこの陸路、私としましてはかなり久しぶりの大悪路行。ジャララバード・カブールは200キロもないと思うのだが、曲がりくねった山間道路、アップにダウン、加えて路面ぼこぼこ、ところどころ落石、戦車放置、山賊注意というわけで、5時間かかった。
イスラマバードから一気に行くとしたら、4時間、3時間、5時間で、計12時間揺られっぱなしのしがみ付きっぱなしとなる。帰りは、一気に帰ってきたことを考えると、帰国後内臓疾患で苦しむことになった(今も後遺症)原因は、この強行軍にあったと思う。とにかく胃も腸も踊りっぱなしだったのだ。
で、車中から見る光景はというと、岩山、岩山、砂漠、砂漠、乾ききった土色の大地、砂埃、石ころしかない川の跡、おおむねこんな風景が続く。これが3年に続く旱魃のためなのか、それとも元々こうした風土なのかは分からないが、何回も渡る橋らしい箇所の下が川床のように見えるところをみると(勿論チョロッとでも水は流れていない)、やはり旱魃は深刻だったようだ。時々村をパスすると緑の木々や田園が顔を出す。ほっとする。井戸があるんだな、灌漑してるんだな、水があってよかったなと思う。
そこに、泥粘土のレンガで作った砦のような村落がある。大地と同じ色。一瞬、人工なのか自然なのか分からないほど、土煙の中に混じっている。その大きな砦の中に、何世帯かが共同で暮らしている。アフガン人の多くは元々こうした部族単位で共同体を作り農業や放牧をやってきたという。
土地がある、人がいる、水がある、共同で使い、田畑を作り、羊を飼い、自給自足する。
都会から来た者にとって、こうした風景は「何もないなあ、自然のまんまやなあ」ということになるが、ここではこれが当たり前の風景なのだ。

で、ここで戦争があったわけ? と不思議な感じになる。何で? という気になる。
「水さえあれば何とかなる」、その水さえもわずかしかなさそうな、この乾ききった大地で人々は生きてきた。ただ生きてきた。自然と闘いながら。
その生活圏を脅かされると、共同体を守るためにアフガン人は勇敢に戦ってきたという。
国のためなんかじゃない、自分の家族、自分の共同体を守るために。大きな敵には、その共同体がいくつか連合して戦ってきた。
そうした長い歴史をこの国の人々は生きてきた。あくまで、地方地方の部族として。

それがいつのころからか、まあ、1970年代からなのだが、おかしくなってきた。
王政に反対する社会主義政権ができた。しかし、長いイスラム教農民部族社会は近代社会主義になじまない。政府よりも村の長老のほうが人々をまとめる。元々中央に従うなんて国家概念はない人たちなのだ。国はあっても、あくまで地方地方での共同体自立主義。だから押し付けには戦う。
1979年。ソ連が侵攻してくる。ソ連型国家の押し付け、古い部族社会が崩れる。いやだから戦う。この間のソ連のアフガンに対する殺戮はあまり伝えられていないが、歴史的犯罪といえる。各地で大虐殺が起こっている。
当然、戦う民アフガンの人々はジハードしちゃう。
ソ連が去る。
戦いの中から、各地で民族の違う集団ができる。中には、その集団を率いて国を統一しようなんて奴が出てくる。権力の奪い合いが起こる。内戦になる。
アフガンは、パシュトゥン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人など民族が入り混じっているので、それぞれの権力亡者が群雄割拠して、ソ連が去った1989年から1994年ぐらいまですさまじい内戦が繰り広げられた。一般市民も悲惨な目にあった。ある一派が来る。略奪、強姦を繰り返す。その一派が去るとまた別な一派が来る、また略奪、強姦、破壊、虐殺。多くの人々が、回りの国に難民として脱出した。脱出できた人々はまだいいほうで、そのためのわずかな金があったのだから、そうでない人々はじっと耐えた。
こうしためちゃくちゃな状況の中にイスラム神学校から生まれたタリバンが、パキスタンの後押しで進軍してくる。とにかく秩序の回復をめざす。略奪や強姦、破壊や虐殺の大地を平静に戻そうとする。そのために厳しいルールを作る。それは人々を不自由に縛ったかもしれないが、とにかく無闇に死ぬことはなくなった。
不自由さはあるが戦争はないというところまでやっと来た。
と思ったら、アメリカの空爆。アルカイーダ=タリバンということで、昨年10月から12月まで、今も一部の場所で、これでもかと爆弾を落としていった。

というわけで、アフガンには何もない。すべてが破壊されつくしている。特に首都カブールは悲惨だった。
元々たいしたビルはないのだろうが、ひとつとしてまともな建物がない。
銃痕が残っていない壁はない。建物の上の部分が平らなものがない。シルエットで見るとみんなギザギザの形で空に向かっている。その上の空の青さがここでは悲しい。
俺の少ない体験でも、これほど破壊された町を見たのは初めてだった。

だが、町の人々はすこぶる明るい。笑顔が耐えない。
昨年、北部同盟がカブールに入った時、歓喜の表情で迎える人々の映像が流れたが、やはりあれは本当だったのだ。人々は喜んでいたのだ。
20年以上の戦火・抑圧から解放されて、やっと平和を取り戻した喜びだったのだ。

だが待てよ、と俺は思った。カメラを向けると、ニコニコと笑顔で答える子どもたちを見て俺は思った。この少年たちは、どう見たって10代前半。となると生まれたのは1980年代半ばから1990年ぐらい。つまり、アフガンがソ連軍と戦い、その後内戦に明け暮れていたときに生まれた世代だ。その後はタリバンの圧政下で生きてきた少年たちだ。
やっと平和を取り戻した喜びだって?
それは『平和な時代』を知っている者だけに通用する言い方じゃないのか?
この少年たちは平和な時代なんか知らないじゃないか。平和って見たこともなけりゃ、言葉も知らないんじゃないの。

ここに来て俺は、平和ボケした近代資本主義の繁栄の国からやってきた、俺を含んだ外国人の勝手な言い草に気がついた。
「アフガンの人は、やっと取り戻した平和に喜んでいます」なんていうのは嘘っぱちだ。
勝手な解釈だ。平和だと思っている国から来た人間の傲慢な言い草なのだ。
一度として平和なんかなかった国の人が『平和を取り戻した』などと言えるわけがないじゃないか。

しからば、アフガンの笑顔とは何か?
なぜアフガンは笑っているのか。なぜ子どもたちはニコニコと手を振るのか。

今回、俺はジャララバードという田舎と、カブールという一応ほかの場所に比べれば都会といえる首都で、この『アフガンの笑い』について考えた。

ジャララバードは、パキスタンから入って初めての町だ。ここも破壊されている。空港の前は地雷原だし、羊が放牧される草原にはアメリカがばら撒いたクラスター爆弾の不発弾がゴロゴロしている。道は、戦車が激しく通ったせいか穴だらけだ。
車を走らせていると、そうした穴のある場所には必ずといっていいほど子どもがシャベルを持って立っている。子どもはシャベルで穴に土をかけている。道の補修をしているのだ。
車が近づくと、笑顔いっぱいに子どもは手を振る。ドライバーの中には感心な子どもにわずかな金を窓から落とす。子どもは金を拾い、笑顔で手を振る。
なんというたくましさ。
中には、車が来るとあわてて作業を始める子どももいる。
なんというしたたかさ。
たまに車を止めてみる。村の子どもたちが近寄ってくる。少し大きい少女たちは決まって小さな妹や弟を抱いている。ニコニコとこちらを見る。カメラを向けると、我先にレンズの前に立つ。何が嬉しいのか、みんなニコニコしている。
アフガン人は元々人なつっこいとは聞いていたが、この無邪気な笑顔はどこから来るのか。

おそらく、彼らはこんなに外国人を見る経験をしたことがないのじゃないかと思った。
アフガン自体がこれほど他の国から関心を持たれたことはこれまでなかったのではないか。
それは生まれて初めての奇妙な体験なのではないか。
そしてそれは初めて経験する、武器を手にした、強面の軍人じゃない人間の到来なのではないか。
それが無性に楽しい。面白い。
笑顔で外国人と接することは、ひょっとしてこれまで経験したことのない娯楽なのではないだろうか。
俺は「何がそんなに嬉しいんだよ、お前ら」と、奇妙な感動を覚えた。
同時に彼らが「何で私たちを見に来たの?」「こんなところまで来る外国人て面白い」と言っているような気がした。
それは、内戦や空爆の悲惨さを訳知り顔で同情しようとする、こちらの偽善を笑い飛ばしていたような気がする。
「あのね、おっさん。戦争を知りもしないのに同情する必要ないよ。来てくれただけで嬉しいから」と言っているような気がした。
何もないアフガンに、俺なんかの想像を超えた、底知れぬ強さを見た。
悲惨を見にきた自分が恥ずかしくなった。
俺たちのスタンダード(標準)が通用しない世界があることを思い知らされた。
何がグローバルスタンダードだ。この野郎!

ならば、首都カブールの笑顔もまた、そうしたアフガンの強さなのだろうか。
カブールは今国際援助ラッシュ、NGO銀座化している。国連治安援助部隊の基地がズラーっと並び、ドルが流れ込み、にわかに沸き立っている。
おそらくこんな自体はアフガン始まって以来だろう。
バザールに行けばそこはあふれる人でにぎわっている。電気屋には野次馬がテレビに見入っている。路上のケーキ屋は繁盛している。ザルに薬を山のように載せた商人もいる。どれもタリバン時代には禁止されていたものであろう。
空き地では子どもたちがサッカーに興じている。
活気がある。みんな嬉しそうだ。どこへ行っても笑顔笑顔。

しかし、それは平和を取り戻したからだろうか。
サッカーをやっている少年たちに聞いた。
「タリバン時代はできなかったんでしょ?」
「いや、タリバン時代もやっていたよ」
何だと! 報道と違うじゃないか。タリバン時代は、何もかも禁止されていた厳しい時代じゃなかったのか?
どうもそうじゃないらしい。タリバン時代は半ズボン禁止、試合時間がハーフ45分が禁止で、30分だったという。モスクでのお祈りが優先されたからだという。
なんだ、やってたのか。
そういえば、あの女性が顔を隠しているブルカスタイル。これもタリバン時代厳しく義務づけられていて、女性はブルカなしでは歩けず、それも一人歩きは禁止されていたという。
だから、解放後はみんなブルカを脱ぎ捨てて、抑圧からの解放を喜んだという報道。
でもって現実は。顔出して歩いている女性なんかほとんどいない。みんな今でもブルカしてるじゃないか。
何だ、これは伝統なんじゃないか。抑圧じゃなくて、これが自然なんじゃないか。
誰だ、ブルカを脱いで女性が解放されたなどといった奴は!
一体どうなってんだ報道って奴は?

とは言っても俺は報道のいい加減さに激怒したわけではない。俺も報道の端くれ。もし俺が、カブール陥落後ここに入っていたら、おそらく同じような報道をしたと思う。
長い戦火、タリバンの抑圧、それから解放された人々を、サッカーができるとか、髭が剃れるとか、ブルカを脱げるとかで描こうとしただろう。だって、人々があんなに笑っているんだから、きっとそれは『解放』に違いないと思っただろう。

だが、カブールの人々が喜んでいたのは、そうしたタリバンの厳しい政策から解放されたからというような単純なことではなかったはずだ。
第一、タリバン時代もちゃっかり闇で学校を開いていたり、音楽を聴いていたりする者はいたのだ。どんな時代でも、どんな強権政治下でも、地下で活動する者はいるのだ。しっかりと権力に逆らって生きる人間はいるのだ。人間はそれほどしたたかな動物なのだ。
まして、ソ連の圧制、内戦を潜り抜け、何をしてもまず生き延びることに存在のすべてをかけてきたであろうアフガンの人々がそんなに軟(ヤワ)なわけがない。
軟でなく生きてきた。内戦もあった。いやというほどの悲惨を見た。空爆もあった。罪のない人間がたくさん死んだ。死や破壊が日常としてあった。
ここでは、罪のない人間が死ぬことが当たり前だった。悲惨は当たり前だった。悲惨が当たり前である以上、誰もそれを悲惨とは思わなかった。それがノーマルだった。
平穏という言葉がなかった。外国人が援助に来ることはなかった。関心さえ持たれたことがなかった。それがアフガンの人々のスタンダードだった。

それは我々のスタンダードとはまったく違っていることだろう。
おそらく今回訪れたものは、つかの間の平穏という奴に違いない。まだそう思っているに違いない。これまでも何度か、戦火の合間につかの間の平穏が訪れたことがあるだろう。
それはたった一日だったかもしれない。数時間だったのかもしれない。
そのつかの間に、「生き延びた」という歓喜が人々を襲ったことだろう。
それは絶望的な日常から一瞬解き放たれた「笑い」を生み出しただろう。
極めて悲しい現実だが、真に生きている喜びをそのときに感じただろう。それは、心からの喜び、笑顔を生んだだろう。もう二度と笑えないとしたら、人間はどんな笑顔を見せるのであろうか。そんな経験をいやというほどアフガンの人々は繰り返してきたに違いない。

今カブールにある笑顔はそうしたものなのではないだろうか。
それは勿論作られた笑顔ではない。
本当に無邪気な、天真爛漫な、生きる喜びに満ち満ちたすばらしい笑顔が、今カブールの町を覆っている。
「平和を取り戻した」ゆえの笑顔などという我々の安易な解釈を無視して、アフガンは笑っている。
「平和っていいでしょう」などと浮ついたことを言えばこちらが笑われているのではないかと思わせる最強無敵の笑い。
アフガンの笑いは、いくつものあっけない死を知っている者だけの輝ける笑いなのだ。

なだれ込むドル経済。援助ラシュ。やがて高騰するであろう物価。貧富の差。近代化という奴。文明化という奴。市場経済という奴。民主主義という奴。故郷に帰って農業がしたい、という単純素朴な夢を持つ本来農村共同体の人々の笑いが、金欲しさの「卑屈な笑い」に転化しないことを、俺は、「これも余計なおせっかいなのかな」と自戒しながら思い、アフガンを後にしたのだった。