『立ちすくむ』─傍観者以外の何者でもなく
もう何度も見た光景だった。
イスラエル軍との銃撃戦、または一方的な侵攻作戦でパレスチナ人に死者が出る。
死者は「殉教者」と呼ばれ、手厚く葬られる。
病院から自宅へ、自宅からモスクへ、モスクから遺体は多くの民衆とともに墓地に運ばれる。死者の境遇にもよるが、時にその葬儀デモは数百人規模の大行進となる。
死者が特定の組織に属している場合などは、その組織の民兵たちが、手に手に自動小銃を持ち空に向かって撃ち放つ。

12月21日、金曜日。
一昨日まで、ガザにいたのだが、その日の朝、エルサレムのホテルにガザから電話があった。
「昨日、ハマスのリーダーが逮捕されそうになった。銃撃戦があり一人死んだ。今日葬儀がある。何かが起こる」
ガザで頼りにしているガイドからの電話だった。一瞬迷った。
その日は金曜日。金曜日はイスラムの休息日。昼近く、多くの教徒たちがモスクに行く。
モスクでは祈りとともに、地区の指導者の講話がある。
昨年9月末から始まった、第2次インティファーダ(民衆蜂起)。指導者の講話の多くはイスラムの教えに則って、ジハード(聖戦)を鼓舞するものだった。
モスクでの祈りをあげると、人々は大挙して、それぞれの自治区の中にあるユダヤ人入植地やイスラエル軍が管理するチェックポイントに繰り出す。
インティファーダ。投石が起こる。イスラエル軍が発砲する。怒号と硝煙。ゴム弾やガス弾と石つぶての応酬。時として民兵たちの自動小銃が炸裂する。イスラエル軍の機銃がうなる。救急車はひっきりなしにサイレンを鳴らし、闘争現場を走り回る。
負傷者が出る。死者も出る。そこで流れ弾に当たったメディアの姿もあった。
昨年来、何度も見た光景。何度も撮影した現場。

その現場が、今回のパレスチナ行きでは少なかった。
9月のアメリカ同時多発テロ以来、イスラエル軍は、ここぞとばかり、パレスチナ自治区を攻撃した。10月も11月も、そして12月も。
ヨルダン川西岸、ガザ地区、多くの治安施設は完膚なきまで破壊されていた。民家の多くも破壊されていた。
F-16戦闘機による爆撃、アッパチ・ヘリコプターによるミサイル攻撃、戦車や装甲車による住宅街や民家への攻撃、ハマスやイスラム聖戦、PFLP といった、イスラエル政府が「テロ組織」と指定した組織メンバーの摘発を名目に掃討作戦を展開した。それ暗殺命令を含んでいた。
もう、ガス弾やゴム弾ではなかった。軍事的オペレーションだった。叫び声をあげて、石を投げるなどといった抗議行動は無力だった。自治区は再びイスラエルの完全占領地となった。
ガザでは多くの瓦礫の山を見た。それは一瞬にしてビルを破壊し、人体を吹き飛ばす戦争の実体だった。瓦礫の中を空ろな表情で歩いている警官や軍人を見た。
少なくともそれまでの闘争現場には、人間の顔があった。石を投げる少年たちをせせら笑う若きイスラエル兵の顔が見えた。イスラエル兵の慌てふためく姿をからかうパレスチナ少年の無邪気な笑い声もあった。互いにののしりあい、からかいあい、数時間たつと「今日はこれまで、またな、今度は撃ち殺すぞ」というイスラエル兵の声、「明日も来るからな、お前に石をぶつけてやるぞ」というパレスチナ少年の叫び。抵抗現場の人間の日常があった。それがインティファーダだった。

しかし、12月のパレスチナにはそれはなかった。
そこにあるのは、およそ人間を介在しないのではないかと思われる近代兵器の空虚で絶望的な戦果だった。無残な光景が目の前にあった。
少年たちはおとなしかった。大人たちもおとなしかった。じっと耐えているようだった。
各自治区を結ぶ道路の検問はより厳しさを増し、人々の通行や物資の流通は妨害されていた。町の出口には戦車や装甲車が配備され銃口が道行く人々に向けられていた。
人々は無力感とその屈辱の中で、じっと押し黙っているようだった。
パレスチナ自治政府のアラファト議長もイスラエル政府の有無を言わせぬ侵攻にお手上げだった。ハマスや、イスラム聖戦が最後の抵抗とばかりに自爆攻撃を仕掛けていたが、それも限界に来ていた。一人や二人の勇敢な自爆テロリストが、抵抗の意志を証明してはいたものの、イスラエル軍の報復は幼児や老人、女性と見境いがなかった。
アラファトもとうとう、身内のパレスチナ過激派狩りに乗り出していた。パレスチナ人は分断されていた。抵抗を続ける派と、しばし沈黙する派と。そして、どちらでもなくただ平穏な日々がほしいという多くの民衆とに。暗い鬱屈と閉塞感に包まれながら。
沈鬱な空気がパレスチナを覆っていた。

その朝、私は迷った。
もう散々戦禍は撮影した。これでもかという破壊の跡を撮影した。
葬儀も撮影した。ほんの二日前撮影したばかりだった。ガザ地区の難民キャンプでの銃撃戦で13歳の少年が射殺されたのだった。葬儀には、ハマスや、イスラム聖戦、PFLP、DFLP、ファタハなどの各組織が銃を持って集まった。激しく銃を撃ち放ち、葬列は続いた。
葬儀の後、わずかばかりの少年たちがイスラエル入植地に向かって走ったが、かつてのような投石はなかった。多くの者は葬儀の後、黙りこくって家路についた。
もう葬儀はよかった。これまでも何度も、今回も撮影した。
できれば金曜日、投石を今でも続けているであろうヨルダン川西岸のラマラの町に行こうと思っていた。投石が撮りたかった。イスラエルに対して激しく戦うパレスチナ人たちの姿を収めたかった。

しかしその日、私は再びガザに向かった。
ラマラの投石も日を追って縮小化しているのを知っていたし、もう何度も撮影した。
ガザでの葬儀は17歳の青年のものだったが、彼を撃ったのはイスラエルではなく、パレスチナ警察だった。パレスチナ警察が、パレスチナの組織ハマスのリーダーを逮捕しに行ったとき銃撃戦は起こった。その被害者の葬儀。これまでとは違った葬儀。それを見てみたかった。

ガザとイスラエルを隔てる国境ともいうべきチェックポイント、エレツ検問所。
何度か顔を会わせたことのあるイスラエル兵が言う。
「お前も物好きだな、今ガザは危ないぜ。ハマスはアニマルだ、気をつけろ」
よく言うぜ。ここまでパレスチナを追い込んだのはどっちだ。君は今ガザの各地がどんな状態か知っているのか。君たちの軍隊が破壊した町を見たのか。
私たちはもう何度も交わした、「お前には分からない」という笑みでお互いを見つめた。
彼も平和な日本からわざわざ戦火の中にやってきた自称ジャーナリストの気持ちが分からない。私も、20歳そこそこの若者がいばりくさって通行許可のスタンプを押しているその気持ちが分からない。自国の政府が理不尽な占領を続けていることに鈍感な青年の神経が分からない。

ガザ。ジャバリア難民キャンプ。
ガイドはさっそく私をそこへ連れて行った。目の前を黒いバンが走る。後ろの扉は開けられ、何人もの人間がひしめき合って乗っている。窓からは自動小銃を手にした黒い覆面をした男たちが半身を覗かせている。
病院から遺体を運ぶ車だ。地元のメディアの車が跡を追う。
私のガイドもそれを追う。追いながら昨日何があったか説明する。
今、パレスチナ警察は、イスラエルのプレッシャーの中、過激派の掃討作戦に出ている。
イスラエルのこれ以上の攻撃を食い止めるには、自らが「テロリスト」を摘発しなくてはならない。それが仲介国アメリカの要望だし、イスラエル政府は「もはやアラファトにその力はない」と断定し、独自に「テロリスト狩り」を始めている。イスラエルの軍事的行動をこれ以上拡大させないためにも、自治が顕在であることを示さなくてはならない。
パレスチナ警察は、ジャバリア難民キャンプでハマスのリーダーの逮捕に踏み切った。それに反対した民衆を含んだハマス支持者と銃撃戦になった。17歳の青年が撃たれた。
遺体を運んだ車が今、自宅に向かっている。それからモスク、そしてデモとともに墓地へ。
段取りは分かっていた。
もう何度も見た光景だった。

だが、ガイドが先回りしてバンを迎えようとした時、それは起こった。
パレスチナ警察の前を車が通ろうとしたとき、激しい銃声音が響いた。どちらが先に、どこから撃ったのか、判断もつかないうちにあたりは激しい銃撃戦となった。
葬儀の車を迎えていた群衆が銃撃音の中を逃げる。黒覆面の男たちが、銃を撃ちながら走る。その中を、遺体を板に載せたメンバーが通る。大きな石をパレスチナ警察の車の窓ガラスに投げつけている者もいる。怒号と銃声、サイレンの音。
パレスチナ青年の葬儀の幕開けはこうして始まった。目の前のパレスチナ警察署の中からも反撃しているのだろう。時たま機銃音も響く。
私もカメラを手に走った。音がしてから身をかがめても仕方がないのかもしれないが、なにしろ撃ち手が見えない。時に身をかがめ、辺りの混乱ぶりを眺め、狙いをつけてカメラを回す。逃げ惑う人間もいるが、悠々と歩いている人間もいる。叫ぶ者もいるが、いやに落ち着いて見える者もいる。
まさか撃たれまい。何の保証もないのだが、不思議とそういう気になる。
ここにはイスラエル兵はいない。すべてパレスチナ人。たった今も、パレスチナ人は、イスラエルに対して闘争をしているという意識がある。パレスチナ人同士の撃ち合いというこれまで体験したことのない状況に、私は混乱していたのかもしれない。私は心情的にはパレスチナ側なのだから。まさか撃たれまい。私は敵ではないはずだ。
これは、ハマス対パレスチナ警察に違いない。路上に飛び出しカメラを回しているメディアもいる。私も当然回し続けた。

およそ10分間銃声は続いた。負傷者も出たはずだ。救急車が目の前を通り抜けた。
白昼夢のような銃撃戦が終わると、パレスチナ警察署を過ぎた葬列はまた整然と死者の生家に向かった。今のはなんだったのか。
ジャバリア難民キャンプのパレスチナ警察署も、数日前イスラエル軍の激しい攻撃で破壊されていた。警察もハマスも敵は同じイスラエルのはずだ。だが一方はハマスを捕まえる命令下にあり、一方は民衆の裏切り者と自治政府のやり方をなじる。
その衝突もまた銃撃であった。

モスク。死者は生家で近親と別れを告げ、ここに横たわる。数百人に及ぶ難民キャンプ内の民衆がモスクに集まる。祈りがささげられる。
外で待つ。集まった少年たちが、燃えカスのようになった車に乗って騒いでいる。大きなスピーカーをつけた車が待機している。ガイドがやっと私を見つけた。
「どうだった?」
「ああ、すごかった。ばっちり撮った」
「それはよかった。だから言っただろう。今日は何かが起こるって」
「ああ、それにしても驚いた。パレスチナ人同士だろう?」
「今は最悪だ。みんないらいらしている。パレスチナ政府のやり方にいらいらしているんだ。」

奇しくもこの日、ハマスは「自爆攻撃停止」宣言をしていた。これ以上パレスチナが被害にあってはたまらない。内輪もめするくらいなら、しばらく自爆攻撃は控える。イスラエルとの交渉が先だ。
政治的判断だった。イスラエルの分断工作に乗ってはならない。自滅してはならない。
しかし、極限まで追い詰められた民衆の怒りは臨界点に達していた。
モスクでの祈りが終わると、広場に激しい銃声が響いた。スピーカーから掛け声がこだました。数百人に膨れ上がった群集が先導する車とともに、本格的な葬儀デモに繰り出した。
シュプレヒコールが続く。角々で銃を放つ。ハマスに加え、イスラムジハードも合流した。
もう何度も見た光景だった。何度も撮影した光景だった。

が、デモ隊が進むにつれて違う予感がしてきた。デモのコースが次第に分かってきた。
デモ隊は、再びパレスチナ警察署に向かっていた。前よりもはるかに多い群集となって。
先ほどとは逆コースで警察署に突き当たるT字路に差し掛かったとき、すさまじい銃声が炸裂した。群集は警察署に向かって投石を始めた。応戦する銃撃が始まった。角々のビルに人々が身を寄せた。どこかのビルの上から銃声、また銃声。頭上を実弾を発射する音が絶え間なく襲いかかった。
向こうから、撃たれた少年が抱えられて走ってきた。「撮れ!撮れ!」と私に向かって叫ぶ者がいる。言われなくても私はカメラを向けていた。
予想できない突発的事件だったので、救急車がすぐに来ない。「車を!」と叫ぶ者がいる。
警察署から離れた場所までけが人を運ぶ。大人たちが憤怒の叫びを上げる。
迫撃砲の音が時たま響く。機関銃音もする。そのたびに頭を低くする者、柱の陰に隠れる者、逃げ出す者、石を手に取る者、私の前を群集が走り回る。
また一人、小さな女の子が運ばれる。
一般の車があわてて走りこむ。それにけが人を乗せる。狂ったように走り出す。
銃声が途絶えると、群衆は警察署に襲いかかる。それに混じって前進する。
また応戦の音が響く。「タン、タン、タン」
ビルの陰に身を寄せる。あふれんばかりの人で、身を隠したことにならないが、それでも一時的には避難した気になる。
道路を挟んで向こう側のビルとビルの間に隠れている群衆もいる。
そこを飛び出した者の足元に硝煙が上がる。跳ね返った弾で負傷した者がいる。
今度は、銃撃を縫って救急車が走りこんできた。
急停車したその車の窓めがけて大きな石をぶつけた者がいる。「遅い」と怒っているのだ。向こうにも撃たれたばかりの若者がいる。
身を寄せていた家の重い鉄扉が開く。中からその家に住む女性が顔を出す。あきれた表情で何か言うと、扉を硬く閉ざす。
何度も繰り返される銃撃と、間隙を縫っての突進、投石。怒号。悲鳴。近づいては遠ざかるサイレン。
濃密な興奮があたりを支配する。銃声は止まらない。
道路の真ん中を悠然と歩く老人がいる。みんなに聞こえるように叫んでいる。
老人に向かって若者たちが叫び返す。「戻れ! 撃たれるぞ!」
老人は哀願するように両手を広げる。「やめろ、やめてくれ」
デモ隊のリーダーも「やめろ」と双方に叫ぶ。
それも若者たちの怒号に打ち消される。
リーダーの目の前に硝煙が「ビシッ!」と立つ。標的になっていながらもキッと警察署をにらむ。
混乱。狂乱。収拾がつかない怒りの爆発。
警察署を取り巻くあちらこちらで銃撃戦は繰り広げられた。T字路はどこから弾が飛んでくるか分からない危険地帯となった。人々は銃声が響くとそれぞれ近くの建物にへばりついた。

この日7人が死に、100人が負傷したことを数日後の新聞で知ることになったが、私は群集に混じってその一部始終を撮影していた。
本来ならイスラエルに向けられるパレスチナ人の怒り、それが今目の前で、行き場のない怒りとして爆発している。なぜだ。人々の鬱屈はこれほどまでに深刻なのか。

およそ1時間、混乱は続いた。銃撃の音がやんだ。
若者たちが路上に飛び出した。口々に何かわめいている。
私はガイドを探した。
ガイドは、騒乱を避けるように後方に車を待機させていた。
「撮ったか?」
「撮った」
「もういいか?」
「いやもう少し」

私はこの混乱の結末が見たかった。
銃声がやんで、群集は警察署の前に移動していた。
警察署の前のビルの上に黒覆面の戦士たちが見え隠れしていた。なるほどあそこから撃っていたのか。パレスチナ警察は警察署の中から応戦していたのだろう。ビルの上へ、また道路へ。だが、今は銃撃をやめている。
警察の前には人が集まっている。
ハマスのリーダーたちと警察官か。大声で怒鳴りあっている。
同じパレスチナ人同士、無益な血の流しあいに終止符を打とうとしているのか。

その時だった。二人の私服の男が、私を両脇からガシッと捕まえた。
「テープを出せ!」と言っているようだった。
私は拒否を身振りで示し、プレスカードを差し出した。
男の一人が首を振った。「分かってない奴だな」と言っているようだった。
私のカメラに手が伸び、それを地面にたたきつけようとした。
「待て!」と私は叫んだ。
「それなら出せ」と言われた気がした。男は興奮している様子ではなかった。
男の暗い眼に現れていたのは、軽蔑に近いものだった。
私はその眼に立ちすくんだ。
恐怖もあったが、それとはまた違ったものだった。
「よそ者」と言われた気がした。「邪魔者」となじられた気がした。
さっきまで「撮れ!撮れ!」と言っていたあたりのパレスチナ人たちが突然遠い存在に思えた。
男の手に力が入った。憎悪ではなく冷たい殺意のようなものを感じた。
私は今撮ったばかりのテープを渡した。
男は、犬を追い払うように「あっちへ行け!」とあごを振った。
男は私服のパレスチナ警察だった。
悔しかった。今撮ったばかりのテープを没収されて情けない気持ちだった。
今までこんな経験はなかった。どんな闘争を撮影しても「撮ったか?」と言われたことはあっても「テープを出せ」と言われたのは初めてだった。
うかつだった。甘かった。パレスチナ警察がこの暴動を撮影されて喜ぶはずがなかった。

数百人の群集がいたが私は一人だった。
屈辱感に私は呆然とした。
「分かっていない」のは私のほうだった。
そして、よそ者である自分を痛いほどに感じた。立ちすくんだ。
とぼとぼと歩いて来た私をガイドが見つけた。
「どうした?」
私は一部始終を話した。
ガイドはあきれた顔で「だから、警察署に近づくなといっただろう」と言った。
そんな言葉を私は覚えていなかった。
銃撃戦があった。興奮したデモ隊とパレスチナ警察がぶつかった。それが終わった。
パレスチナ人同士が争う。なんともいえない悲劇。やりきれなさ。
しかし、銃撃というシャッターチャンスに同時に興奮していた私。
どこかパレスチナ人は敵ではないと思っていた私。パレスチナ人の敵でもない私。
なんでもない私。傍観者以外の何者でもない私。
私はそのとき、私がここにいる意味を突きつけられていた。

ガイドはそれから慎重になった。
私をガイドしていることがばれると、彼も捕まる。今パレスチナ警察は反自治政府行動をするものを取り締まっている。
「気をつけろ、こちら側にもスパイはいるんだぞ」

そして、終わったとばかり思っていた銃撃戦が再び始まった。
「撮るなら撮れ」と言ってガイドは私から離れた。
私は再びカメラを回した。しかしさっきまで私を包んでいた興奮はもうなかった。
逃げ惑い、繰り返し石を持って突進していく若者たちを見ながら、悲しみのようなものが湧き上がってきた。
私などが到底理解できない絶望感。
今パレスチナを覆っているのは行き場のない未来への暗澹たる不安だ。
暴発せずにはいられない怒りだ。
私にこれが伝えられるのか。私にその資格があるのか。

ガイドがまたやって来た。
「もう行こう。これ以上いるとまずい。テープを持ってガザを出たほうがいい」
私は素直に従った。
ガイドは車をエレツ検問所まで走らせた。その途中、ジャバリア難民キャンプを包囲するように、パレスチナ治安部隊の装甲車やジープが待機しているのを目撃した。

エレツ検問所を通ると、またあのイスラエル兵がいた。
「ガザはどうだった。何かあったか?」
「ああ、ちょっとね」
「そう? さっき通った奴は何にもなかったと言ってたけどな、ハバ・ナイスデイ」
ジャバリア難民キャンプの一角に立ち寄らなかった者には何も見えなかったに違いない。
多くの瓦礫を見ただけなのかもしれない。それもパレスチナの現実であった。
私が見たのもまたパレスチナの現実だった。

翌日の朝、再びガイドから電話があった。
「昨日は5人以上死んだ。今日の葬儀もすごいことになりそうだぞ、来るか?」
私は断った。
その日の葬儀は荒れることなく平穏に終わったことを次の日の新聞で知った。
もうパレスチナ人同士の殺し合いはなかった。
ホッと胸をなでおろした。
だからと言って、パレスチナの現実が変わったわけではなかった。

何を伝えられるのか。何を伝えようとしているのか。
私は傍観者以外の何になれるのか……。(了)

〇今回のパレスチナ報告は1月の前半にNTV「ニュースプラス1」で放送される予定です。
また、10月に行った体験を以下のHPマガジン『見ることよりほかに』に書きました。
よかったらそちらも読んでください。後藤和夫
http://channel.slowtrain.org/index.html