| 『北を目指すな』 |
私たちを乗せたバスは北東へ向かっていた。
実際は西からやや北東に、斜めに走る軍事境界線。それに沿うようにして、バスは走っていた。
田舎の幹線道路の真中に大柄な男が立っていた。男は、ゆっくりと真っ直ぐにバスに向かって歩いてきた。運転手が急ブレーキを踏んだ。
男は止まらずバスの正面に来た。そして両手でバスを押した。
「戻れ、戻れ」というように、口を真一文字に閉じて、男は無謀にもバスを押し戻そうとした。ガイドは、その男の巨体に怯えたのか、その行為が理解を越えていたのか、ドアを開けて注意しようともせず、立ちすくんでいた。
運転手だけがしきりにクラクションを鳴らしていた。
外を通りかかった婦人がやんわりと男の腕を取った。男は抵抗もせずバスから離れた。
ほんの一分か二分の出来事だった。
男はいわゆる「アブナイ」人だったのか。声を出すでもなく、生真面目というしかない表情でバスを押し返そうとした韓国の田舎の男。
男は「北を目指すな」と言っているようだった。
私たち、ピースボートの「地雷の村訪問」グループは、南北朝鮮を分断する休戦ライン、いわゆる38度線を目指していた。
連川という小さな町についた。町の端の道の向こう側には、小さな森と児童公園があった。
森はうっそうとしていて、茂みに隠れるように鉄条網が見え、その鉄線に小さな三角マークが下がっていた。「地雷」と書かれていた。
1961年、キューバ危機。北の共産軍の侵攻に備え、韓国軍によって対人地雷がばら撒かれた。以来、そのままだ。現在町となっているあたりにも多くばら撒かれ、住民は自力でこれを排除してきた。対人地雷はきわめて小さく、一つ一つ掘り出すのは難しい。ブルドーザーで、土ごと根こそぎ掘りあげ、移動させたという。これまで3人が被害にあった。
児童公園のほうはどうかというと、地雷の野っぱらに土をかぶせただけだという。まだ下にたくさんの地雷が眠っている。その公園で子供達が遊んでいる。子供に聞いた。
「何で地雷が埋まっているの?」
「北朝鮮が攻めてくるからその防止のために」
「まだ必要かな?」
「なくなったほうがいい」
しかし地雷はなくならない。
被害者の救済や、地雷撤去の話を軍に申し入れる事も出来ない。
なぜなら、これらの地雷は、いまも現役なのだから。
こんな町や村はこのあたりでは珍しくないという。
車で1時間と走らずとも、その向こうには同じ民族が暮らしているのに、ここではまだ「戦争」は終っていない。
新炭里駅についた。ソウルからの列車の終着駅だ。この先はストップされている。昔はこのまま北に向かい、元山、今の北朝鮮の港町まで繋がっていた。かつての京元線である。
その線路の端に看板が立っていた。ハングル語でこう書いてあった。
『鉄馬は走りたい』。
鉄馬とは汽車のことだ。だがおよそ50年の分断の歴史がそれを許さない。
その駅で日本語の堪能な老人に会った。78歳の老人は、戦前、日本占領下の朝鮮鉄道で機関士として働いていたという。17歳の時には、日本に徴用され戦艦に乗って日本兵として、沖縄、フィリピンに行った。
朝鮮戦争の時、北から一人で逃げてきた。父親が後から逃げてきたが、母親と6人の兄弟は北に残された。以来会っていない。消息も分からない。
「もう一回行けるといいですね」
「いや、共産主義はひどい政治してるからね、行きたくもないし、見たくもないですよ」
「でも、去年両首脳が会って、統一も近いんじゃないですか」
「いやいや難しいと思いますよ。イデオロギーが違うからね」
無責任な日本人のおべんちゃらに老人はぴしゃりと答えた。
「連絡ぐらい取れたらいいのにね」
「それも取れないですよ、手紙も出せません。お母さんはもう死んだでしょうねきっと」
私たちのグループの中に、59歳の男性がいた。Eさん。Eさんは3歳の時、母親に連れられ、朝鮮半島から引き揚げた。Eさんの父親は、朝鮮鉄道で駅長をやっていた。敗戦の混乱の中で、父親は、妻と子を釜山まで送り届けたのだが、自分はまだ任務があるといって戻った。やがて捕まり、元山の収容所で病死した。
駅で会った老人は、奇遇にも、Eさんの父親の下で働いていた人だった。
3歳のEさんのことは覚えていなかったが、最後まで仕事を全うしたその父親の事ははっきり覚えていた。
「いい人でした」と、老人は、Eさんに語りかけた。
1910年の韓国併合以来の植民地支配、戦後の分断、そして今も緊張の続く軍事境界線の駅で、歴史が凍りついた。
老人の人生、Eさんの父親の人生を翻弄したのは「戦争」だった。
その「戦争」はここではまだ終っていない。
軍事境界線、いわゆる38度線の両側には、南北2キロずつに非武装地帯が設けられている。
南も北もそこは豊かな田園地帯だ。バスが行く。ガイドが言う。
「両側に広がるのは地雷畑です」
鉄原郡テマリ村。重要な軍事拠点の中にある小さな農村。朝鮮戦争で激しくこの地を奪い合った。分断後もここには多くの地雷が残り、荒地となっていた。
1966年。戦後の混乱はまだ続いていた。人々は生活もままならなかった。150人の退役軍人が、この激戦地域に開拓民を志願してやってきた。その時政府に一筆書かされた。
「もし地雷の被害に遭ってもその責任を問いません」
開拓で、18人の人が地雷で命を落とした。苦労して、田んぼを耕し、家を建て、豊かな農村に作り上げた。
すると、今になって、もとの地主が土地を返せと言ってきた。政府とは、土地の所有に付いては取り決めをしていなかった。誰に訴えたらいいのか。
今も無数に地雷がある。その場所は明らかになっていない。それはそうだろう。
今もそれらの地雷は、使用中なのである。4キロも行けば、そこは北朝鮮である。
韓国軍が、非武装地帯をものものしく警備する。緑の田園のあちらこちらに塹壕や、カムフラージュした基地があり、戦車の砲塔や、機関砲が見える。
その向こうには、同じ民族ながら敵がいる。だから地雷はなくならない。
そこを耕す。子供達が山で遊ぶ。洪水になると、プラスチックの対人地雷がぷかぷかと流れてきて、思わぬところで爆発する。今でも年に3,4件地雷の被害があるという。
それでも地雷は撤去されない。
北は敵だ。北が攻めてくる。どこかの国の後押しなのか、脅しなのか、韓国の田舎の人は行き所もなく怯えている。
村の若い人と話した。
「70年代から、北朝鮮の人は、頭に角が生えていると教わってきたんですよ。そしてロボットのような動き方をするって。それが去年の会談後少しずつ情報が入ってきて、そうじゃない、人間として同じだと思うようになったんです」
去年だって? 去年初めて、北にも同じような人間がいるって知ったの?
ここでは「戦争」は決して終っていないのである。
ほんの3日前には、私たちはその北にいた。
ピョンヤンの不気味なまでに広い道には、夏の陽光を受け市民が歩いていた。
アイスクリームや、金剛山の水が飛ぶように売れていた。
金日成広場では女学生達が、課外授業で歌を唄っていた。バケツで水を汲みにいき、柄杓で回し飲みをしていた。きゃっきゃっと、明るい笑い声が響いていた。
冷麺屋は大盛況だった。ゴルフ練習場の社長は、「これからヨーロッパの人もたくさん来るので、ゴルフ場も必要でしょう」と明るい未来について語った。
偉大な「首領様」や「総書記様」と言わなければ、その笑顔や表情は世界共通のものだった。
人間のものだった。
板門店では、案内の軍人が、けだるそうに案内をしていた。
丸暗記した、軍事境界線の歴史を説明し、「アメリカ帝国主義と日本帝国主義がわが国に対して攻撃を仕掛ける以上我々は軍備を緩めるわけには行かない…」のプロパガンダを繰返した。
緊迫感はまるでなかった。彼らは「戦争」を知らない世代なのだった。生まれた時から、「偉大な方」がいて、その下で忠誠を尽くす事がごく自然なだけで、銃は持っているものの、敵に発砲した事なんか一度もなかった。「戦争中」だが「戦争」の体験・実感のないまま「戦争」をしていた。
そして考えとして、「南朝鮮は、今もなお占領されている」のだった。
停戦であって、終戦ではなかったが、「戦争」は逆に北のほうが薄らいでいるように思えた。
実際には北朝鮮での取材や行動は制限されているので、その実体は不鮮明なのだが、私たちの目の前には、ピリピリしたものは何もなかった。
案内の日本語堪能なガイドは、それとなくこの体制が長続きしないことを察しているようだった。ピースボ−トの若いメンバーが聞いた。
「今後この国はどうなっていくのですか?」
「…あの、市場経済になるでしょ、だから…」と、思わず本音を吐いてしまったりしていた。
しかしまだ、偉大なあの方に忠誠を尽くすしかないのです。まだしばらくはね、と、言いたくても言えないようなもどかしさの中で、人々は、貧しいながらも生きていた。
北と南。奇妙な温度差だった。「戦争」のねじれ。
経済では豊かな南では北を極端に警戒し、貧しい北は南を哀れんでいるようだった。
しかし、どちらにも人間がいた。国家に翻弄された、ちっぽけな人間たちがいた。
そして、両方共に、日本を許していなかった。「新しい歴史教科書」や「靖国」を許していなかった。
その意味では「戦争」は今も終っていなかった。日本の「戦争」にはまだ責任があった。
その日本が、「新しい戦争」を鼓舞するアメリカに追従しようとしている。
分断の悲劇が、何によって引き起こされたのか、「戦争を知らない大人たち」が指導者になって、謙虚に学ぶ事もなく、反省する事もなく、また「戦争」を遂行しようとしている。
「戦争を放棄する」という憲法を作らされた国が、その作らせた張本人の国の戦争に加わろうとしている。狂っている。地雷畑の南や「偉大な」北よりも狂っている。
笑われるだけではない。蔑まれ、憎まれる。取り返しがつかなくなりそうだ。
私たちのバスの前に立ちふさがった男。「北を目指すな」と言っているようだった男。
男は、どこか、金正男君に似ていた。ディズニーランドに行きたかっただけの男が、何だかまともに見えてきた。
了
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