| 『メールの世界』 |
パソコンといっても私は、メールと文章しか打てない。その他は一切できない。
それもキーがよく分からなくて、一気に消えてしまうという惨事に度々あっている。
仕事がら表などを作ろうと思うともう大変。パソコンに向かって罵詈雑言。
機械に侮辱されているような屈辱を日々味わっている。
でもメールやネットは面白い。この通信は、友人達に気まぐれに送っているのだが、それが古舘プロジェクトのホームページにも転載されている。
先日、バンコクで報道の仕事をしている写真家の奥さんからいきなり通信がきた。
なんでも、旦那さんが、インドネシアのアチェに行く予定なので、何か資料をと思って検索していたら、私の駄文に出会ったというのだ。
最近の新聞にも出ていたが、アチェでは、連日インドネシア国軍による虐殺が行われている。私ももう少しで標的になりそうになったことは、以前通信に書いたが、正直言って、私の駄文が見ず知らずの人に読まれ、返事が来るというのは嬉しいものだ。
返事を出すと、その方達は、バンコクを発信基地にいろいろな活動をしていた。いろんなホームページを作っていて、情報の交換をしているようだ。
そこからも何か文章をと頼まれた。で送ったので、末尾に転載しますのでよかったら読んでいただきたい。
先日取材に応じてくれた不登校児を持つ主婦も、息子さんが、ネットにはまっていて、世界中に友達がいるらしいと言っていた。で、英語を勉強しようかなと言っているらしい。
また、何だかネットの世界で最近映画『パール・ハーバー』についての議論が活発らしく、その息子さんが「お母さん、今度『トラ、トラ、トラ』借りてきて」と言ったともいう。
歴史への興味が湧いてきたってことか。なんだ、不登校でもしっかり勉強への興味がでてるじゃないか。こんな子に学校なんか必要ないし、まして「新しい歴史教科書」なんか必要ないじゃないか。
子供に歴史教科書なんか要らないといういい例じゃないか。興味があれば自分でするんです。ネットで世界が広がる。ネットで勉強できる。
先日、鳥越俊太郎さんと温泉に行った。といっても遊びではなく、鳥越さんの思春期時代を撮影しに氏の故郷に行き、せっかくだから前日に入って温泉で一泊しようという事になったのだ。およそ1年ぶりにゆっくり話す機会だった。
僕の通信を読んでいただいている方はご存知だと思うが、これまで僕は、事あるごとに、鳥越さんがやっている「スクープ21」の批判をしてきた。鳥越さんとは「ザ・スクープ」で長い付き合いなので、僕ぐらいしか嫌味な批判をする人はいないと思って、相当過激なことも失礼省みず言ってきた。勿論鳥越さんにも送っている。こんな通信を始める前にも忌憚のない意見を言ってきた。でもさすがに怒っているだろうな。気を良くしてる筈はないよな。
と思っていた。
で豪華な料理を食べつつ、酒が進んだところで
「鳥越さん、俺の通信読んでるの?」
と遠慮がちに聞いてみた。
「読んでない。だって俺のパソコンマックだから添付開けないのよ」
何だと?
知らなかった! 添付が開けないだと!!
あれれ、と拍子抜け。効果ないじゃん。
テレビでは、小泉前倒しの靖国参拝ニュースをやっていたが、私はこれまで送った鳥越批判を酔いに任せてエンドレスで…。
なんでも次の日鳥越さんは体調崩したとか。申し訳ない。
メールは不思議だ。送ったと思っても読んでないかもしれないし、意外な人が読んでたりもするし、やはり会える人には会ったほうがいい、とつくづく思ったのでした。
では読まなくても構いませんが、
『記憶に残る一冊』
「サイゴンのいちばん長い日」近藤紘一著
1991年にベトナムに行った。北の中越国境から、南のメコンデルタまで国道1号線を南下。
およそ1500キロ。一ヶ月ぐらいかかっただろうか。
初めてのベトナムは、私に極めて大きな財産を残してくれた。
ベトナム戦争が終結して、15年余り。アメリカは湾岸戦争に勝利していた。
アメリカは「ベトナムの悪夢からやっと解放された」と、正義の宣言を高らかにしていた。
アメリカの正義。それは一体何か。
それを検証するために、1991年のベトナムを取材しに行ったのだった。
私が10代の頃、日本では「ベトナム戦争反対」を叫ぶ若者が、新宿駅の西口で反戦フォーク集会などを開いていた。高校生になりたての私は、そんな時代の空気を興味深く感じていたが、ベトナム戦争とは何かなどとは考えていなかった。
ただ何か、日常の価値観がボロボロと崩れ去っていく様を、反抗期を迎えた若者として、面白く眺めていたに過ぎなかった。大学紛争も起こっていた。それも背伸びしながら眺めていた。大学に行ってもしょうがないらしい。受験勉強の重圧から逃れるために、そう考えた。
気が付いたら、友人達のほとんどは進学していた。私は浪人生をさっさと辞めて、「学歴=高卒」で行こうと決めた。
それから20年余り。私はテレビの世界に身をおいていた。
親しいカメラマンが、暖めていた企画を私にくれた。
それは報道カメラマン、石川文洋氏のベトナム体験をベースに、氏が当時撮ったベトナム人の今を訪ねるというものだった。
幸いにして、テレビ朝日のプロデューサーがゴーを出してくれた。
時期も良かった。湾岸戦争で勝利したアメリカの正義を改めて問うという狙いもあった。
私は石川氏の本をはじめ、数々のベトナム書を読んだ。
私が10代のときに起こったあの戦争とはなんだったのか。
そんな中で、近藤紘一の「サイゴンのいちばん長い日」に出会った。
どんな本よりもこの本が面白かった。
近藤氏は、産経新聞の記者であるが、文章は、報道記者のそれとは違っていた。
勿論、冷徹な政治情勢の分析や、戦争の実相は見事に書かれているのだが、そこにある視点は、国際情勢を新聞記者というインテリが解説するというものではなかった。
あくまで人間のまなざしがそこにあった。
その頃、世論は、侵略するアメリカ、独立の戦いをする北ベトナム、という構図が一般的だったが、近藤氏は、そうしたパワーポリティックスよりも、微笑ましくも時には意地悪にも、北であろうが南であろうが、思想の奴隷になった人間には厳しく、国家の犠牲になったものには優しく、アメリカにもベトナムにも媚びへつらうことなく、人間の愚かしさ、たくましさ、ずるさ、そして哀しさを描いていた。
ドップリとその国にはまってしまい、逃れられない、ひょっとしたらジャーナリスト失格ではないかと思えるほどの、おのれの心情までも吐露していた。
何しろベトナム人の奥さんをもらっている人なのだ。
冷徹にして純朴なジャーナリスト。そして何より人間に愛着を持っている。
近藤さんの本は、これから取材を始める私にとって、具体的に役立つ資料とはならなかったが、ドキュメンタリ−を創ろうとする私にとって、極めて刺激的な本となった。
私はそれまでテレビに身を置き、情報番組などを多く手がけてきた。
テレビは視聴率が第一なのであって、それ以外の価値がなかなか認められない世界だ。
お堅い話はなおさら嫌われる。別にお堅い話を作りたい訳ではなかったが、日々流されていくテレビの世界で、私はある種の限界を感じていた。
そんな時にこの仕事に出会い、近藤紘一に出会ったのだった。
私は、この本の面白さに酔った。なぜ面白いのか。それは明確だった。
そこには人間の姿が生き生きと描かれていたからだ。
人間を描く。それはテレビでもできる。いやテレビでやりたい。私はそう改めて思ったのだった。
この年、私はベトナムに続き、カンボジア、北方4島などのドキュメンタリーを作った。
石川文洋さんとの出会いも大きかった。ベトナムの農民達との出会いも貴重だった。
ある農民が言った。「もう主義はたくさんだ。主義なんかいらない。私には、平和に耕せる土地があればそれでいいんだ」
近藤紘一に出会っていたから、私は番組の主題をこの言葉で締めくくろうと思った。
「サイゴンのいちばん長い日」の文庫の扉には、優れたベトナム戦記をしたためた開高健の一文が寄せられている。
「おかしくもあれば凄烈でもあり、必死であるが悠々ともしているあの国の路上の人びとの姿態が率直、公平、柔軟にスケッチされ、簡潔のうらにしみじみした優しさがあって、それがなければとらえるすべのないさまざまのものが収穫となっている。これは、顔もあれば眼もある本である」
しかり。私は、カンボジアには同じ近藤紘一の『戦火と混迷の日々』を大事に持って出かけたのだった。
後藤和夫 2001年8月16日
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