『17歳の頃』
7月に2度ほどアメリカに行ってきました。
ニュージャージー州アトランティック・シティ。東のラスベガスと並ぶカジノの町です。
その街の野球チームに『アトランティック・サーフ』があり、そこに一人の日本人選手が在籍しているからです。
彼の名は谷口功一。1991年、天理高校の快速球投手として甲子園をわかせた選手です。
その年のドラフト、巨人に1位指名されました。
天理高校は前年も甲子園出場。そして優勝。彼の名はその時からとどろいていました。同期にイチローがいました。
プロ入りは谷口の方が注目されました。契約金9000万円。
イチローはオリックス4位指名でした。

それから10年。イチローはいまやメジャーリーグを代表する選手。
彼、谷口功一は、日本のプロでは成績を残せず、あまり知られていない「独立リーグ」で、中継ぎピッチャーとして、月30万に満たない給料で、野球をやっています。
独立リーグとは、メジャー傘下ではないリーグで、彼の在籍する「アトランティックリーグ」はアメリカ東海岸の七つのチームがリーグ戦を繰り広げています。
選手の中には、元メジャーリーグでやっていたベテランから、ドミニカやプエルトリコから明日のメジャーを目指してやってきた選手など、玉石混合。
5月から9月までおよそ140試合をこなします。ちょうど今頃は34連戦です。
移動も多く、谷口は、ホテルの二人部屋に同僚と住み、移動の時はチェックアウトするという生活を送っています。
食事は試合後のロッカールームに用意された、売れ残りのようなハンバーガー、それを選手達は奪い合うように食べ、連戦をこなしています。
ハンバーガーリーグといわれる所以です。

好きな作家、スティーヴン・グリーンリーフの本の中に、「決して頂上に到達しない人間もいるのよ」という言葉がありました。
人は誰もが夢や能力を持っている。しかし、誰もがその二つが手を結んで成功するとは限らない。いやむしろ、頂上に到達する人間の方が少ないにちがいない。

谷口選手と何日間か過ごしました。イチローが出たメジャーリーグのオールスター戦を彼の部屋で一緒に見ました。
彼はくさってなんかいませんでした。イチローはイチロー、自分は自分。
長い間怪我で野球ができなかった。日本の野球界からはクビを言い渡された。
しかし、自分はまだ野球が好きだ、野球ができる。だから、どんな場所でも、それが出来るなら幸福だ。恥じることなんか一つもない。
真っ黒に日焼けし、同僚達と英語やスペイン語で冗談を言い合いながら、彼はとても楽しそうに、誇りを持って、野球に打ち込んでいました。
「人間は、夢を自ら壊すようなことはしない。そんなことはしないものである。行動を起こすことは未知への挑戦であり、行動なしには何も起こりえない。しかし、行動を起こさぬことは逃避であり、臆病さのために影の生じた人生を歩むことになる」
『無実の領域』―S・グリーンリーフ

誰でも17歳の時がある。彼、谷口功一にも栄光の17歳があった。
「日本では野球をやらされていた。ここに来て今自分から野球をやっている」
それが大きく違うと彼は言いました。17歳の頃の栄光はないけど、17歳の頃の夢の続きはあるのでした。

日本に帰ってきてから、今、子供達をテーマに番組を作っています。
14歳、17歳。昨今の少年犯罪。今少年達は壊れているのか。
私たち大人とは理解しあえないのか。
何が今の10代と違うのか。
自分自身の10代の頃を思い返さずに入られません。

先日、ある映画の自主上映の案内がきました。それは70年代のアンダーグランドと言われた映画を集めて上映するというものでした。
私の1970年は、18歳。高校卒業の年で、仲間と映画を作っていました。
1969年に、在籍していた都立竹早高校を舞台にした8ミリも主催者がビデオ化してくれました。『竹早1969』。味も素っ気もないタイトルですが、そのフィルムには、世の大学紛争に影響を受けた当時の「私」が写っています。
モノマネのように作ったバリケード、屋上で受験参考書を破く少年、大きな旗に『全闘委』と書き振り回している少年。ナレーションは「小学、中学、高校と一所懸命勉強してきたが、その意味が分からなくなった。何かしたいという欲望はあるけど、何をしていいのか分からない」と言い、少年はカメラに向かって、「退屈なんだよ、退屈だからやってんだよ」と叫ぶのです。あの頃から大人なんて信用してなかった。

その私が、すっかり大人になって、若者に向き合おうとしています。これは偽善か?
年下の友人が今はすっかり良いママになっています。
彼女の息子は、小学6年から不登校で、中2になる今もまったく学校に行っていません。
最初彼女は、学校に行かせようと努力しました。病気だったらどんなにいいだろうと思い込もうとしました。
しかしある時、「学校なんか行かなくて良いよ」という事が出来ました。彼女も息子もそれですっかり楽になりました。
世間体なんか気にしなかった自分達の10代の頃、それなのにそれを息子に押し付けていた「親の仮面」をかぶった自分に気づいた瞬間。
完全な人間なんかいない、たとえ親になっても。その自分を認めることからしか始まらない。そしてあるがままの息子を愛することしか出来ない。彼女はそう思ったのでした。

みんなそれぞれの自分を承認することからしか始まらない。

「1年を無駄にしたわ、外の世界も嘘だらけよ、多分世の中全てがバカげていてメチャクチャで…、でも構わないわ、そこで生きるのを選ぶわ」―『17歳のカルテ』

ひとつも変わっちゃいない。あの頃の「私」と今の「彼ら」と何が違うというのだろうか。
願いはひとつ、それでいいんだと、誰が言ってあげられるのか。
そんな想いで、今50歳を目前にした自分が、日本の若者と向き合ってみようと思っています。
今の若者もまた、私が17歳の頃「退屈なんだよ」と叫んだ、その同じ気持ちでいるのではという不確かな予感の中で。

17歳の頃、進学校であった私たちの高校に一人の朝鮮人がいました。
彼は入学当時、「俺は東大を目指す」というガリ勉でした。
それが3年になると、突然革命家に変身しました。
在日である自分が、革命をやるのはここではない、と思ったかどうか、彼は行ったこともない北朝鮮に帰国しました。
あれから30年近く。
彼は10代の頃の夢のどこにいるのか。
もう会う事などほとんど考えられませんが、8月の終わり、去年に続いて再び北朝鮮に行くつもりです。

それがすんだら、そうだな、1年も続いている民衆蜂起、インティファーダが終わりそうもないパレスチナの10代に会いにでも行きますか。

「確実さなんか知らなかった年頃の心情を、臆面もなく再発見すること。つまり幸福に向かって駆け抜けること」―アニエス・ヴァルダ
「私たちは就寝時刻が来たのに、まだむずかって眠りたがらない老いた子供にしかすぎない」―ルイス・キャロル


谷口功一君については友人のメイルマガジン『スロウトレイン』の「コラムトレイン」に書きました。 
http://channel.slowtrain.org/index.html
放送は9月17日の「ニュースステーション」の予定です。

10代の番組はテレビ朝日で8月25日午後1時半からの特番です。
お時間あれば。