| 『連動するポピュリズム』 |
自民党本部の壁に、小泉純一郎の大きな肖像写真が掲げられている。あれを見てすぐにスターリンや毛沢東を思い浮かべた。
どこかの観光会社が、ツアーも企画したとか。小泉詣でをして、小泉グッズを買っていこう! ということらしい。
カリスマ的人気の指導者を支える大衆的熱狂。大衆は支えることによって自分が主人公だと思い、指導者はその熱狂を利用する。
大衆迎合と、大衆煽動。相互に補完しあうその様をポピュリズムと呼ぶ。
スターリンで思い出したが、好きな映画に『インナーサークル』がある。
スタ−リン独裁下のソ連。平凡な青年映写技師がある日突然、クレムリンに呼ばれ、スターリン専属の映写技師を命じられる。カリスマ、スターリンにすっかり心酔した男は、熱狂的な共産主義者となり、党の命令に従い、結婚したばかりの妻を指導者のためにと、奉仕活動に差し出す。奉仕とは党幹部の慰安である。別れ別れになった妻は妊婦となって戻り、自殺する。それでも、スターリンを信奉してならない青年に、同じアパートに住み、スターリンを悪魔と言ってはばからない老人がこう諭す。
「お前はいい奴だ。純真で人を疑わぬ、物言わぬ大衆の一人だ。だが、そういう人間が、この国に独裁者や人殺し、悪魔を誕生させたんだぞ」
良い映画だった。青年を「アマデウス」のトム・ハルスが演じていた。
市川崑の『穴』という映画がある。なんと若き石原慎太郎が出ている。シャンソンなんて歌ってる。怪演。その中の雑誌社での会話。
「大衆心理なんてクソ食らえ!」
「それだけは言っちゃいけない。大衆の悪行だけはね」
ポピュリズム下では、大衆の悪行は言いにくい。真紀子や、康夫ちゃんや、純ちゃんの悪口を言うと、一斉にバッシングに合う。だからあの気味の悪い、スターリン、毛沢東まがいの肖像写真も面と向かって文句が言いにくい。純ちゃんが何をやったけ? 貴乃花に大臣杯を渡し、ブッシュとキャッチボールまがいのスタンドプレイをしたこと意外に詳しく知っている大衆は少ないだろう。
しかし、このポピュリズムは誰が作ったのか。言わずと知れたメディアである。
どのように?
『論座』で、田原総一郎が、「小泉政治はポピュリズムではない」という一文を寄せている。
小泉政治がポピュリズムでないかどうかはさておき、この一文の中にこんな記述がある。
「国民のほとんどが、『変人』小泉ならば自民党が尋常ならぬ打撃を受け、派閥が崩壊しかねない『構造改革』を本当にやってのけるのではないかと期待したのである。」
だから小泉が総理になったというわけだ。でも「国民のほとんどが」ってどういう事?
ちょっと待てよ。ありゃ自民党の総裁選であって、国民が選挙したわけじゃないぜ、自民党員だけが選挙権がある選挙だぜ。
それを、国民が選んだ、国民が選んだ、と、田原総一郎だけでなく、あらゆるメディアがそのようにリードしてきて、「国民のほとんどが」にしてしまったのではないか?
その結果が、純ちゃんフィーバーになったことは明らかなのではないか?
『メディアとは本来、権力の行使をチェックするもの』であるとしたら、自民党総裁選の報道は、明らかにそうではなかった。4人の候補の内、誰がなるか、予想屋よろしく、どの番組も4人の候補を並べ、結果として自民党のイメージアップに貢献した。
例えば権力の行使をチェックするならば、橋本派を支える特定郵便局という国家公務員が政治活動をするのは憲法違反であるとかいう観点でのチェックはなかった。国会会期中に総裁選をやる自民党の国民を馬鹿にした専制政治も批判しなかった。仕事を休んで自己宣伝している税金泥棒を、スタジオに「お招き」していた。どこが権力のチェックでしょう?
そして、総裁選への期待感を煽り、それを国民の期待のごとく報道を重ねた。
その間にKSDも、えひめ丸も、外務省機密費も、沖縄から随時飛び立っているスパイ機の問題も、個人情報保護法案などメディアにとって致命傷になるかもしれない問題も忘却の彼方に追いやった。(もっとも個人情報保護法案に関しては新聞とテレビは特例となったので他のメディアのことは無視したのだが)
小泉人気が、こうしたメディアのあり方で生まれたのは明白だ。
結果として自民党を補完した。野党がどうしようもないのもわかるが、結果、小泉をカリスマにしたのはマスコミに他ならないだろう。
どうしてこうなったのだろう?
実は総裁選前に、自民党は、党内に「報道検証委員会」を設置した。簡単に言えば、テレビの政治報道を監視・規制する委員会だ。それまでにも7つもあった番組検証委員会に加えて新たにぶち上げた。自民党を批判する報道を監視し、放送免許取り上げや、スポンサーへの圧力も辞さない恫喝委員会だ。つまりはっきりいって脅しですね。
『メディアとは本来、権力の行使をチェックするもの』であるなら、この自民党の委員会そのものを検証して欲しかったが、そんな根性のある番組は一つもなかった。
みんな自民党の申し出どおり、4候補の出演を奪い合った。その番組を拒否したキャスターもいなかった。
その結果、小泉フィーバーが出来あがった。
そして自民党の報道攻撃はぱったりと止まった。「報道番組検証委員会」は一回しか開かれなかったという。何だこりゃ。何もしてないのにメディアの方が勝手に気を使っちゃのですね。やくざの脅しは私も怖い。テレビ界ではこれを自主判断とか自主規制とか、時には、報道の公平性とか言うらしい。
自民党のテレビ報道への規制強化から規制緩和の豹変について、朝日新聞で、田原総一郎、鳥越俊太郎、筑紫哲也の三氏がコメントを寄せている。
「自民党の本質が変わったわけではない」
「メディアとは本来、権力の行使をチェックするものと認識できない証拠であり、そうした無理解は与党も野党も同じ」
「政治家は絶えず報道に不満を持ち、折あらばどうにかしたいと思っている。風向きが少しでも変われば同じことが繰り返される」
何を言ってんでしょ? 自民党は、三方に「どうもありがとう、おかげで今日も自民党は安泰です、貴方たちのおかげです」と言ってんですよ。
メディアのおかげでしたと言ってるんですよ。
貴方達は、結果として自民党に感謝される報道をしてきたんですよ。
その自覚あって今更ながら批判めいた事を言ってるんでしょうか。
メディアが大衆を乗せた。大衆は小泉を煽動した。小泉は大衆を煽動した。自民党もそれに乗った。
そしてポピュリズムが、大衆迎合だとしたら、もっとも大衆迎合することで成り立っているのがテレビというメディアなのです。
今日のテレビ局の各部署では、「これじゃおばさん達が見ないよ」「これじゃ視聴率取れないよ」と大衆の研究に余念がありません。
田原総一郎は、前述した一文で、「国民は恐ろしいほどの情報のプロ」であるとして、「国会中継の視聴率があがったのは、国民の政治への関心が確実に高まったためである」と書いている。
何年テレビやってんですか。政治への関心? 違います。タレントへの関心です。
今純ちゃんや真紀子がタレントだから国会中継見るんです。タレントでなぜ悪いというなら、それはテレビのタレントさんに対する侮辱です。
御覧なさい参院選の候補達、腐ったタレントばかりで、政治家になろうなんて思わない真面目なタレントさんは迷惑してるんですから。
そのへんの勘違いが、今、政府もテレビも大衆も一段となってポピュリズムに酔っている証拠といえないでしょうか。
もしも今、テレビというメディアが権力の監視、検証をするというなら、鈴木アホの坂田似宗男対真紀子なんて追いかけずに、松尾室長が仕えた4人の事務次官の犯罪を暴くべきじゃないかと思うし、去年はあんなに騒いだ沖縄サミットなのだから、真紀子がどうアメリカと交渉するか、失敗したら面白いななどという観点だけでなく、米軍基地問題を真正面から報道しようとすればいいし、成長率が0.9%ありながらなぜ失業率が上がるのかとか、不景気で国民が困っているなら(国民ですよ、貴方達じゃないですよ、貴方達が局から貰うギャラが下がって困ってるんなら、不景気でねと言ってもらってもいいですけど、そんなことないでしょ? 身にしみたことないでしょ?)公共料金を値下げしないのかとか、新しい歴史教科書に対してなぜ韓国・中国があんなに騒ぐのかきちんと検証すればいいし、そういう報道企画をやればいいじゃないですか。
ええっ? それじゃ視聴率取れないって? それじゃ大衆が見ないって?
そのとおりですね。おっしゃるとおりです。
「国民の政治への関心が高まった」と言ってもそういう企画は視聴率が取れないからやらないのです。つまりテレビは、大衆が迎合してくれるであろう「政治への関心」しかやらないのです。
すなわち、大衆迎合こそがテレビの本性なのです。自明のことなのです。
これではっきりしました。今のポピュリズムは、もっとも大衆に迎合したメディア、テレビそのものなのです。ポピュリズムはこのように連動しているのです。
今、心あるジャーナリスト、報道に関わるキャスターは、ケツを拭くべきです。
スターリンよろしく肖像写真を掲げる男を生み出し、物言わぬ大衆がそれを煽動し、熱狂だけが政治参加だと誤解してしまうような状況を作り出してしまった事を自覚するべきです。
かつて尊敬するプロデューサーが、自分の番組が間違いを犯したとき、なぜその間違いが起こってしまったかを、自らも出演し、詳しく検証したことがありました。
そうしたことはもう出来ないのでしょうか。
なぜメディアは「怪物」を作り上げてしまったのか。自らの構造を改革しないで、小泉の「構造改革」を弄んでいるばかりではどうしようもありません。
社民党のどうしようもないCMが民放各局で放送拒否に会いました。明らかに自民党を批判しているからです。「批判」が売り物のテレビが、批判を封じ込める。もうこうなると自民党の手先です。表現の自由への妨害です。
これに対して抗議したり、出演拒否したりしたキャスターはいたでしょうか?
筑紫哲也さんは以前「TBSは死んだ」と言っていながらTBSで「多事争論」とか言ってますな。だったら貴方は墓守かと言いたい。
これで分かることは、テレビのジャーナリストやキャスターは、その前に単なるテレビタレントだということです。これも自明だったのかな?
こういう人たちが、石原慎太郎が新党をぶち上げたら、すぐにでも入党して立候補しそうな悪い予感がする。テレビと言うポピュリズムを一番よく知っている人たちだから。
その時彼らは田嶋陽子のように言うのだろうか。
「何言ってんですか。私は政治家になるためにテレビに出てたんですよ」と。
テレビはいつまでこんなに馬鹿にされ続けなくてはならないのだろうか。
後藤和夫
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