| 『昔々…』 |
昔々『ザ・スクープ』という番組がありました。
1989年、ベルリンの壁が崩れ、激動の20世紀の終末を予感させた時、時代に真正面から向き合い、政治・経済・社会・スポーツや芸能、風俗までを国の内外を問わず、私たちの関心ごととして「検証」して行こうとした番組でした。
東西冷戦の終わり、湾岸戦争、カンボジア内戦の終結、東欧社会の変貌、経済の変化、阪神大震災、サリン、酒鬼薔薇、セクハラ、エイズ、家庭内暴力から幼児虐待、女の自立から野村野球、尾崎豊まで、全方位、関心のある所へはどこへでも出かけ、無知であることを恥とせず、その分できる限りの下調べとひたむきさと、何よりその場に集まったキャスター・スタッフの絶え間ない討論と熱情を持って、こうした番組の存在自体が危ういTVの世界の中で、ある種の使命感とともに番組は走りつづけたのです。
そこにはもっとも資本主義的なメディアであるテレビという場所でありながら、姑息に視聴率を追求する姿勢はなく、この社会を取り巻く事件や出来事を、出来る限り内側からとらえ、外側へつながるまなざしを獲得し、それをいかに映像表現として伝えていくかという無邪気なまでの躍動性がありました。
そこには自分達が何が出来るのか、または出来ないのか、という問いかけがいつもありました。ものごとに対する熱い「思い」がありました。
時には思いが先行し、失敗をしたこともありましたし、本質を捉えていながら映像表現が追いつかないこともありました。
しかし、それは恥じる失敗ではありませんでした。それはTVというメディアが、ジャーナリズムとしてどこまで、この壊れかかった現実に肉薄していくことが出来るかという、前向きな挑戦欲に裏打ちされていたからです。
だから番組スタッフは、決して傲慢になることはありませんでした。時に賞も取りましたが、それに慢心することもありませんでした。自分達はまだまだ発展途中、描かなければいけないこと、テレビはもっと可能性があるのではという探究心と表現欲がスタッフを一時も立ち止まらせなかったのです。
「お荷物番組」と言われたこともありました。しかし、いい番組を作っているのだという「誇り」がいつも心地のよい緊張感とともにありました。そこに参加する者は、演出でも、撮影でも、録音でも、選曲効果でも、編集でもナレーターでも、それをスタッフとの共同作業として伝えるキャスターも、始まりから仕上げ、スタジオワークの隅々まで、気を抜けませんでした。
スタッフはただのサラリーマンではなく、キャスターはただのタレントではなく、ものを表現するのいう場所に集まった同志でした。そこにはいつもものを創っているのだという「体温」があったのです。
信じられないかもしれませんが、昔々、そんな番組があったのです。
今だって出来るはずなのです。
2001年6月19日 後藤和夫
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