| 『見ることより他に 〜パレスチナの青い空〜』 |
昨年の11月9日の夜9時。東京から12時間ものフライトでくたくたの身体を、5時間ものトランジットでもてあまして、俺はチューリッヒにいた。9時発の予定の飛行機がまだ表示されない。
10時。やっとテル・アビブ行きのスイス航空のゲートが表示された。
初めてのパレスチナでありイスラエルである。国としてはイスラエル。気分としてはパレスチナ。仕事ではなかった。というか、できれば仕事にしたかったのだが、『パレスチナで今何が起こっているか』という企画に興味を示してくれるテレビ番組がなかったのだ。今回も自腹の旅。
10月にベオグラードに行った。ミロシェビッチ政権が倒れた後のベオグラード、そして1997年に出会った若者たちのその後が知りたかったからだった。さまざまな若者の意見。コシュトニツァ政権になってからの変化。そんな物を撮りまくったが、全く仕事にならなかった。コシュトニツァに偶然会うという快挙もあったのだが、日本のメディアにとってミロシェビッチもコシュトニツアもストイコビッチもみんなまとめてユーゴ人だというだけで関心はなかった。
そうそう。ユーゴの俺の友達が言っていた。なぜコシュトニツァが大統領に当選したか。
ユーゴの有権者にはロマ人、すなわちジプシーが多い。「ジプシーたちは、コシュトニツァとクストリツァを間違えたのさ」と俺の友人。クストリツァはあの名作『アンダーグランド』の監督だ。映画に詳しい奴ならこのジョークはよく分るはずだ。
ま、とにかくベオグラード行きは一銭にもならなかった。自腹出費50万円。イテエ!
パレスチナ行きも保証はなかった。だが行きたかった。なぜか。
一言、日本が退屈だからさ。
出発の前の日。重信房子が逮捕された。パレスチナの大義に共感し、世界革命をパレスチナ革命を遂行する中で目的としてきた日本赤軍最後の大物、重信があっさり大阪で逮捕された。昨年の初めには、足立正生らがベイルートから国外追放になって公安に逮捕された。
みんな日本に帰ってきた。この28年間、彼らは何をやってたんだろう。28年間、パレスチナ人民のために戦うってどういうことだろう。で、何でパレスチナ人なんだ?
28年間、日本の東京で俺は何をやってきたんだろう。何で今更行きたいのさ。
俺も分かんねえ。
しかし、個人的にも知っていた足立正生の30年間はとても気になる。
やっとチューリッヒ発、テル・アビブ行きが出発だ。
機内はユダヤ人達で満席だった。真夜中便といってもいいのにおそらくアメリカからきたご一行様はすこぶる元気だった。頭に、小さな丸い布っきれを乗せているところを見ると敬虔なユダヤ教徒なんだろな。マスコミじゃドンパチが伝えられているのに、聖地巡礼とやらに行くんだろうな。無宗教の僕チンとしてはよく理解できないが、約4時間のフライト、とにかく休みたかった。
だがなんとこの宗教集団、すこぶるやかましい。
機内にビートルズが流れりゃ、調子ッパズレでがなるし、エルビスが流れりゃ、顔つきまで真似して仲間に受けようとする。わいわいガヤガヤ、修学旅行よろしく、チョコレートをいろんな奴に投げまくっている馬鹿もいる。
スイス航空は全席テレビがついているのだが、隣のオッサンはそれが面白いのか、しょっちゅうスチュアーデスを呼んでは、やれゲームはどうやるのだ、映画はどう見るのだと少しも落ち着かない。その隣のお母さんは、初めての聖地巡礼で興奮してるのか、5秒と黙っていることがなく喋くりまわる。
人の迷惑なんて一切お構いなし。悪気がない自己中心主義者たち。『やかましい!』と言ってもおそらく通じない。他人が目に入らないのだ。いや他人と同席しているという意識がないのだ。いくら長い間、差別と抑圧の歴史を背負い、ホロコーストの犠牲となった民族だからといって、常識がない輩はやはりいかんのじゃないか?
はっきり言って田舎者の集団だ。降りる時気がついたのだが、酒飲みすぎてゲロぶちまけている奴もいた。
究極の自己中心主義者たち。声でかく、身勝手で、周りに遠慮することがなく、妙な被害者意識を自己チュウの正当化に使いやがって。
俺は思わず叫びそうになった。
『ハイル、ヒットラー!!』
テル・アビブ。ベン・グリオン空港。旧ロッド空港か。入国はすこぶる簡単。
「オカモト」じゃなかったからか?
真夜中2時。予約してたホテルが満杯で、仕方なく他のホテルに。
4時に寝て9時に起きて、さてドンパチは何処でやってるの?
新聞なんかで見ると、今イスラエル中でパレスチナ人少年たちが、イスラエルに対して投石、これに対してイスラエル治安部隊が銃で応戦、たまにミサイルで撃破、雨時々戦争ってな具合に思うかもしれないが、そんな事はない。少なくともテル・アビブにいたら、そこは田舎臭い天国、映画「グローイング・アップ」の世界。地中海に面したビーチではビキニの姉ちゃんが「太陽がいっぱい」ごっこをやっている。戦争のセの字もない。
イスラエルの地図をご想像あれ。
国土の約20%に当たる地域がパレスチナ人自治区。ヨルダン川西岸とガザ地区だ。
パレスチナ人たちのほとんどは、この自治区に押し込められている。その自治区内にも、イスラエル人入植地というのがあって、そこは別天地。まるでハワイの別荘地タウンを形成している。そこをイスラエル治安部隊というのが守っている。イスラエルの大地のほとんどは荒涼たる岩と乾燥した灰色の土、もうすぐ砂漠化ってな具合で、起伏の激しい山が連なっている。空だけが能天気にどこまでも青い。
だから舗装道路も少なくて、それも縦横に走ってるわけでなく、幹線道路が、パレスチナ人たちの町から入植地を経て、またパレスチナ人の町へという具合に数限られた主要道路で繋がっている。その幹線道路にはいくつものチェックポイントがあって、そこはイスラエル兵士が守っている。そしてまた入植地のいくつかにはイスラエル正規軍の軍事基地が隣接している。
とまあこういう構図。
で、そのパレスチナ人自治区の中の、イスラエル入植地の近くや、基地の近く、またはチェックポイントあたりで、毎日のように、少年たちが投石闘争を繰り返しているのだ。
初めての俺としては何処に行ったらいいのか分からない。とりあえず、タクシーに乗って「ガザ地区」と頼む。テル・アビブのタクシーだからイスラエル人。
走りやすい高速を1時間半ばかりでガザの入り口なのだが、運ちゃん迷う迷う。生まれてはじめて来るらしいのだ。自分の国に、パレスチナ人たちを占領下で押し込めている地域がある、そんなの知らんもんね、行きたくないもんね、というのがどうやら庶民感覚らしい。
まるで国境のようなチェックポイント。
およそ500メートルにわたって、両側にゲートがある。イスラエル側に立派な検問所。そこでパスポートチェック。日本人観光客。な訳ないけど、あっさりとパス。荷物を持って炎天下テクテク歩くと、向こうにパレスチナ側の検問所、手を振ると、待機していたタクシーがやってくる。勿論パレスチナ人。
ここで俺は、自宅のワープロで作ってきた自家製「プレスカード」を胸につける。
普通ジャーナリストの取材は、その国のプレスセンターに申請してカードを作ってもらうのだが、面倒くさいので、今回は自家製にした。ひっくり返すとただの名刺。もし撃たれたりしたら役に立つかも。
で、パレスチナ人タクシーが頼みもしないのに俺の荷物を勝手にトランクに入れ「さあ何処いく?」って聞く。その前にチェックポイントは?
「ハイハイここよ」って、暇そうにしていたパレスチナ兵士が、ニコニコしながら俺のパスポートを見る。で新聞を見せる。「昨日もイスラエルの発砲で一人死んだ」「そうそう日本人のジャーナリストも撃たれたぜ、ほれほれ」と写真つきのアラブ語新聞を見せてくれる。
「おお、これは何処だ? 何処で撃たれたんだ? 俺はそこに行きたいんだ!」
「そうでしょうとも、俺たち知ってる、日本ジャーナリスト、パレスチナの味方、心配ない、ドンパチ、毎日やってる、でもまだちょっと早い、子供たち今学校、午後からあるよ」
と向こうもいい加減な英語。コッチはもっと怪しい英語。
しかし、日本からきたハイエナの匂いをいち早く感じとった兵士は、実に嬉しそうに親切な情報をくれる。毎日、誰かが死んでんだろ? そう笑うなよお前、と思わず言いたくなるぐらいの笑顔の大安売り。
飛行機の中のユダヤ人のメンタリティも理解できなかったが、こいつらのメンタリティもいまいち理解不能。
でそこには、こうした外国からのジャーナリストの通訳兼アシスタントをやる人間がたむろしていて、俺は、その一人と契約した。「さあ行きましょう、ガザの過激派ハマスのデモからご案内」てな具合に取材はスタートした。
ガザ市とイスラエル入植地のボーダーあたり。国道の向こうに煙が立っている。歩いていくと、ガイドの腰が徐々に低くなっていく。「気を付けて、撃たれるよ」
と言われても敵、すなわちイスラエル兵が見えない。
国道の脇に、工場の塀らしきものが見える。その手前に数十人のパレスチナ少年たち。
やってます。石投げてます。パチンコ使っている奴もいます。ロープで大きな石を巻き、グルグル回してブン投げている奴もいます。石が大きすぎて投げる前に落としてるドジな奴もいます。
おそらく向こう側がイスラエル兵。または駐屯地。
ガイドの導きでそこまで行く。塀に出来た穴から向こう側を覗く。
あれ、何にもない。誰もいない。こっちと同じ荒れ野だぜ。で、そこにイスラエルの装甲車が1台。そこから撃ってるらしい。穴から撮影。ちょっとビビル。穴めがけて撃たれたら、俺の顔面。ガイドに「お前撮れ!」「嫌です」「ごもっとも」
漫才のようなことをやっていると、俺のカメラに気付いた少年たちが続々とやってくる。
カメラの前でピースサインをする奴、パチンコをこれ見よがしに見せる奴、おもちゃのコルトを持っている奴、何やら中国語のマネをしてはしゃいでいる奴もいる。
「おい、まじめに闘争やれ! カメラの前に立つな! 俺は中国人じゃないぞ、その下手な物真似やめろ!」
言えば言うほど、ガキどもははしゃぎ、中には何が面白いのかレンズを手でふさぐ奴もいる。そのあいだに撃たれた少年が救急車に運び込まれたりしている。
何だこれは?
ひとまず、救急車を追いかけ病院へ。なにせ「プレスカード」があるから強い。銃を抱えた兵隊が緊急治療室へ「ここだここだ、入れ入れ」と誘ってくれる。中では医師が4人がかりで、撃たれた少年の人工呼吸中、少年の瞳孔は開き、イッチャッテル。
医師は、カメラを意識している。「毎日何人も死んでる。イスラエル兵たちは悪魔だ。お前ちゃんと撮ったか?」だって。
ここでは命が安いのか? どうなってるんだ? この戦いは?
で、またあわただしく闘争現場に戻る。
イスラエル兵の装甲車はもういなかった。
先ほど石を投げていた少年たちが、イスラエル入植地に繋がる道路に集まっていた。
タイヤを焼いていた。電信柱が倒れていた。それを切って薪にしようとしている老人がいた。またまたカメラの前に少年たちが集まってきた。
「何で毎日石投げてるんだ?」
「自由と人間の尊厳のためだ」「エルサレムを自分達の首都として独立するためだ」
「恐くないのか?」
「恐くない」
「どうして、毎日君と同じ少年が死んでんだぞ。本当に恐くないのか?」
「ああ恐くない」
ニコニコと、中にはピースサインまでしながら、少年たちは話す。
ここにリーダーはいない。少年たちを洗脳している宗教的指導者もいない。
生まれた時から、パレスチナ人自治区に閉じ込められ、一歩も外に出る事が出来ない。
テレビや国際的支援や教育で、この外には自分達とは違う世界があることを彼らは知っている。自分達を取り巻く状況が理不尽なことを知っている。まるでゲットーに閉じ込められたかつてのユダヤ人達と同じ境遇にあることを知っている。
政治の世界は分からないが、自分達の表現方法が今は石を投げること以外にないことを知っている。
俺は理解半分のままカメラを回しつづける。
何人かの少年が、俺に名前を聞く。するとそれで親しくなったつもりか、煙草をねだる。
煙草をやる。また他の少年が煙草をねだる。またやる。するとまた他の少年が…。
きりがない。途中から「甘えんなよ」ということになる。無視する。
と、夕闇も深まった何処かから小石が飛んできた。
「この野郎! 何すんだ?」
煙草をもらえなかった奴らが、俺の足に石を投げつける。なんてこった。
ほうほうの態で逃げ出したものの、初めて目の前にしたパレスチナ少年たちの日常、そうそれはまさに日常の行動だった、それを目の当たりにした俺は、ここには全く違う感性、全く違う生き死にがあることを知った。
それは絶望的までに明るい日常とも言うべきものだった。
石を投げること、どこか遠くの国から来たジャーナリスト気取りの東洋人から煙草をたかること、それは、彼らにとって生きるという意味では同じだった。それに正直であるということにおいて、彼らは裏も表もない滑稽までに切実な現実を生きているのだった。
明日をも知れぬ状況、絶対的近代兵器を持つ敵に生まれてきた時から囲まれている環境、何処へも行けず当たり前のように身を囲む差別と抑圧、それに逆らうことが彼らの日常だった。それしかなかった。敵がはっきりしていた。全てが敵さ、と自覚していた。
それに較べりゃ、日本の閉塞状況なんて笑うにも値しない。生きることの必死さ、その根底からして差がありすぎた。
そいつらが、俺のちんけな日常を嘲笑するように、小石を投げつける。
それはちょっと味わったことのない、俺のたいして確たるものもない存在理由を揺るがしてくれる、ちょっとすがしすがしさを伴った恐怖だった。
以後連日、俺は投石や銃撃や、砲撃のパレスチナで過ごした。
そこにはいつも、投石をしては休み、ヘラヘラなついてくる少年たちがいた。
彼らは絶望的な明るさの中にいた。生きる切実さの中にいた。
そいつらは俺に問い掛けているようだった。
「おい、オッサン、あんたの居場所は何処だい? あんたの敵は何処だい?」
「俺の敵?」
俺は敵を見失った傭兵のように立ちすくんだ。
俺はまたしても「見ることより他に」出来ないおのれを笑った。
迫撃砲が俺のすぐそばのビルを破壊した。
その向こうに、何処までも青いパレスチナの空が広がっていた。
♪こんなはずじゃなかっただろ? 歴史が僕を問いつめる
まぶしいほど青い空の真下で… |
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