| 『マクドナルドなんかいらないよ』 |
ベルリンからプラハ、ウィーン、ブダペストと急ぎ足で旅をしてきました。
ドイツのドレスデンから山の上の国境を越えるとそこはチェコ、ビロード革命後のチェコ。初めてのチェコでまず初めに目撃したのは、零下も10度あろうかという山村の石造りの家。道路に向かって大きな窓。そして窓の中でしなを作って笑顔をふりまく下着姿の美女。なんでも政府公認とか。国境の飾り窓であります。
「ああこれが待ちに待ってたプラハの春の実現ね」と独り言。
だが待てよ。これは果たして長い社会主義体制から解放されたゆえの新商売なのだろうか。
自由主義経済の象徴としての山の上の娼家なのだろうか。
チェコに入る前にドレスデンに寄った。ドレスデンは大戦時に連合軍の最も激しい爆撃のあったところだ。廃墟と化した町の写真が土産物屋で売っていた。それはまさに焼け野原と化した東京そっくりだった。
だが現在、ドレスデンは、かつての教会や王宮、マリア・テレジアイエローの貴族の館などが当時のままに再現されている。石畳もまるで中世からそのまま残っているような錯覚さえ覚える。建築中の博物館や大学も、何処から持ってきたのか、往時を思わせる石で作られようとしている。近代的な建物なんてクソ食らえと頑張っている。
ここでは戦災にあった街を昔のままに復興させようとしているのだ。それは例えば東京のように、古い町が破壊され、その地に新しい建材で、新しい町を作ろうとしたのとは全く違う考え方に思える。なぜか。
ドレスデンは旧東ドイツに位置する町だ。だが町の中心は、ソ連風でもなく、いわば昔のプロシャ風のままだ。それは、大戦や、体制の変化なんかよりもすっとすっと長いドイツ人の歴史が生み出した一番落ち着くかたちだからではないか。
ヨーロッパは幾度も戦火に見舞われた。戦争は50年に一回の行事だった。社会主義体制といってもたかだか50年に満たない。
戦争で破壊されてはそのたびに元に戻し、体制が変わっても根底にある文化は揺るがない。
そんな骨太なヨーロッパ人のメンタリティを見た気がした。
彼らから見れば、たかだか1回、戦争に負けただけで、街の様子も建物も風俗や食生活も変えてしまう、日本のような国は信じられないかもしれない。
彼らには揺るぎのないルーツのようなものがあるのかもしれない。
ひょっとすると、国境の飾り窓も決して新しいということではにかもしれない。
昔からあったものが再び出現した。そっちのほうが正解のような気がした。
少なくともマルクス主義よりも娼婦の歴史のほうが古いのだから。
中部ヨーロッパを旅すると、ドイツ、チェコ、オーストリアの町並みがすこぶる似ていることが分かる。ハンガリーに入って、ブダペストに到着すると、それがなおさら感じられる。
「ああ、ここは400年以上も続いたオーストリア・ハンガリー帝国なんだな」
街の中心にある教会。広い石畳の広場。広場から放射線状に伸びる路地、堅牢な石の建物、地下の酒場、薄明かりのレストラン、そんな中にカフカの家があり、フロイトの家がある。
プラハの春も、ハンガリー動乱も、東西の壁も、「第三の男」もあったけど、数百年にわたって人々が作ってきた大衆文化は決して風化しない。
「漂えど沈まずか」
そんな頑ななヨーロッパの町に、ひときわ美観を損ねるものがある。
マクドナルドである。
プラハで、若者でいっぱいの写真展を見た。
それは昨年の報道写真を展示したものだった。
グランプリに輝いたのは、昨年9月、反グローバリズムのデモで焼き討ちに遭ったマクドナルドの写真だった。
マクドナルドは、グローバリズムの象徴だった。それは何度も同じように復元した街に土足で入ってきた軽薄な田舎ものだった。
戦争があろうが、社会主義があろうが、ヨーロッパの誇りを手放さない人々は、敏感にアメリカ経済帝国主義に反発した。
フランスの社会学者ピエール・ブルデューは言う。
「市場原理万能のグローバル化によって、失業や不安定就労の増大、福祉の切り捨て、年金や医療制度の後退、貧富の差の拡大、文化の画一化などといった社会的な苦しみが世界規模で広がっている」
「結局グローバル化は多国籍企業や米国などの一部の強国の利益にしかならない」
「法外な利益を一握りの企業が占め、貧しきものはさらに貧しくなる。マネー経済は伝統的価値観と摩擦を起こし、人々の格差を広げ、犯罪や民族主義に火をつける」
こんな思いが蔓延している。マクドナルドは、まさに市場原理万能の象徴だ。
オーストリアでハイダーの右翼政党が議席を取ったのは記憶に新しい。人々の頑固な思いに火をつけたのだ。
今ヨーロッパは、伝統を守ることと、それが極右政党の台頭に繋がる危機との狭間にいる。
EU統合という大実験はそうした局面に立たされているといっていいだろう。
しかし、アメリカの一人勝ちへの抵抗、マクドナルドへの反発にはうなずけるものがあった。幾たびも戦争を繰り返して、それが歴史さと開き直るメンタリティにはついて行けないが、デリカシーも文化もないアメリカの軽薄な経済優先主義にはむかう姿は気持ちよかった。
ブダペストの英雄通りの交差点。マックにバーガーキングにタコベルにケンタッキー。日本語堪能なガイドが言った。
「ここはアメリカ通りになってます。アメリカはせっせと私たちを毒殺しているのです」
日本に帰ってきて久しぶりにテレビ朝日「スクープ21」を見た。
マクドナルドとセブンイレブンの広報番組をやっていた。一人勝ちの秘密と題して、両トップを褒め称えていた。一人は「勝てば官軍」をモットーとして、「一強百弱」などと豪語していた。
お手軽で、安価で、個人商店を食いつぶし、方や愛想のないアルバイト店員がやる気のなさそうな応対のコンビニと、方やマニュアルロボットの店員が気味の悪い笑顔をふりまくハンバーガー屋、文化の微塵もなく、儲かれば美徳と言ってはばからない成金野郎をキャスターの鳥越さんも長野さんも絶賛していた。
どんな製法で、どんな添加物やどんな保存料を使っているのかの検証は全くなかった。
こうした明るい話題が必要ですね、とまで言っていた。何処が明るいのですか。まともな神経なら、暗澹とするというのが正しい反応じゃないですか。
これからロケ弁はマックかコンビニ弁当でいいんですね?
そこには、こうした食文化の蔓延、いつでもなんでも手に入り、便利さや経済効率だけが価値であると言う「豊かさの虚妄」に対する批判力は微塵も見られなかった。
拝金主義に対する批判力もなかった。
どうしたことか。
鳥越さん。そうした便利さの中で、そうしたお手軽さが豊かさだと錯覚してきたことから、今の日本の閉塞があるのではないですか。青少年たちが、目的や希望を失っていることを嘆くのならば、こうした経済バブルに浮かれるような輩を人間として持ち上げてはいけないのではないですか。
儲けることが美徳だという価値観の中で、これまで幾度となく私たちは醜い政争を見て来たのではないですか。その嘘の豊かさの中で多くのものを失ってきたんじゃないですか。
批判力を失ったジャーナリズムは悲しい、というより滑稽です。
「ものつくり大学」の設立を小渕がぶち上げた時、そこに労働、通産、建設、文部各省のOBが入っていたことを見抜けなかったメディア。
外務省元室長の機密費流用がこれだけ明らかなのに実名報道できないメディアは、いまとことんアメリカ的拝金主義の手下となってしまったのでしょうか。
批判力を失ったメディアに比べれば、たとえ犯罪だとしても、マクドナルド店を破壊したフランスの農民のほうが僕にはよっぽどすがすがしいのです。
ヨーロッパが今、再び沸きあがろうとしているナショナリズムと、自由な民主主義と、だが守りたい固有の文化や民族性の只中で揺れ動いている時に、日本のテレビが、それも僕がかなり信頼を置いている報道番組が、コンビニの新発売冷やし中華の試食ドキュメントを深刻にリポートしているのを見るのはつらいのです。他にやることないんですか?
という訳で、僕は今、中東とコソボとヨーロッパを覆うナショナリズムと、朝鮮半島と、インドネシアと難民と、なぜだか精神病院とに関心があって、また当分浪人生活かなと思ってます。
ウーム。困ったなぁ。 |
|
|