『パレスチナ 投石の構図』
聞きしにまさるしつこさだった。イスラエルを出る前の日、私はプリ・チェックインをした。
帰国当日は朝5時の便だった。空港には3時間前に行かなくてはならないという。寝る時間もない。で前日にチェックインをしておくといいという。プリ・チェックイン。
テルアビブの中央駅近くに、プリ・チェックインの場所はあった。午後1時からだった。
早くついた。腹が減っていた。先に来ていた男性に聞くと駅にキオスクがあるという。
荷物を見ていてくれるという。5分で戻った。
ドアが開いた。二人のセキュリティウーマンが私の前に立った。若い。おそらく20代前半。
パスポートを眺め「このヴィザはどこのだ?」とか、「このカバーに書いてあるピースボートって何だ?」とか聞く。
始めは丁寧に応えていた。
「いつ来て、どこへいったのか?」
私は、11月10日の入国から16日までの行動を懇切丁寧に説明した。
「誰にあったのか?」「全部言うのか?」「全部」「市場のおばちゃんもか?」「接触したなら」
「イブラハムという男と会った」「それは誰だ?」「ガザに住むコーディネーターだ」
「どうして会った?」「ガイドが必要だろ、俺は初めてなんだこの国は」
「彼とどこへ行った?」「いつ?」「会ったその日」「ガザ市内」「ガザ市内のどこ?」
「いろいろ行った」「色々って何処?」「暴動が起こっているところ」「どこ?」「名前なんか知らない」「誰と?」「エブラハムとだよ」
「あなたはさっきイブラハムと言った。なぜ今エブラハムと?」
「知るかそんなの。アラブ人の名前がイブラハムか、エブラハムか、エブラヒムか、俺たち日本人には発音しにくいんだ」
二人は軽蔑したような目で私を見、二人で何やらヘブライ語で話す。でまた質問。
これが約2時間。突っ立ったままでだ。何度も同じ質問を交互にする。ようやく気がついた。
二人は、私が会ったパレスチナ人の名前や行った場所を知りたいのではなかった。そんな出来のいい公安ではなかった。かなりいい加減に10人以上の名を挙げたのにメモもとらなかった。
彼女たちは私の矛盾を探していたのだった。嘘つきかどうかをテストしているのだった。
私はカバンの中にある、パレスチナ人たちの投石闘争のVTRをチェックされることを恐れていたのだが、そんな危惧は必要なかった。
「カバンは誰がパックした?」「自分で」「預かったものはないか?」「ない」
「何を撮影した?」「いろいろ、日本人が500人来たのを知ってるかい?彼らは難民キャンプに行ったんだぜ。」「そんなこと知らない。見せてみろ」
VTRを一部見せてやる。その途端、私が正直者だというのが分かったらしい。
「すいませんでした。この国はテロが多いのです。あなたのカバンに爆弾が隠されているかもしれないので、長々質問しました。気を悪くしないで」
するよ、お姉ちゃん! 急にブリッコするな!
「ああ君たち、言うの忘れたけど、さっきこの荷物置いて5分ほどキヨスクに行ってたんだ。親切なユダヤ人が見てくれていたんだけどね」
二人の顔が引きつった。「何てことするの。荷物を置いていくなんて。モー信じられない! このオジサン」

何を恐れている。何をそんなに恐がっている。イスラエルという国家で、ユダヤ人がパレスチナ自治区の惨状も知らず闊歩しているこのテルアビブで、君たちは何をそんなに被害妄想にとらわれている。理由があるはずだ。身に覚えがあるはずだ。
パレスチナのテロが起こっても仕方がないような、そんな理由を君たちの国家が作ったことを知っているのだ。だから一時も気を緩めることが出来ないのだ。

だったら簡単じゃないか。2時間も煙草を我慢して僕を詰問したお姉ちゃん達よ。

同じ土地の上に二つの民族がいる。後から来たユダヤ人もいるが、元からアラブ社会に住んでいたユダヤ人もいる。そして同じ悠久の歴史をアラブの過酷な自然の中で生きたパレスチナ人がいる。
1948年のイスラエル独立宣言から中東は何度も戦争を繰り返してきた。1967年の第3次中東戦争でイスラエルは現在のパレスチナ自治区、ガザとヨルダン川西岸を占領した。多くのパレスチナ人が、もといた土地を追われ、占領下で暮らした。
イスラエルは占領下の人々に同等の生活を与えなかった。道路、水道、住居、仕事、教育、医療、すべてにおいて差別してきた。
そして1993年、イスラエルは、パレスチナ自治区に暫定自治の期間を与えてから独立させると約束した。占領、暫定自治、独立のプロセスをパレスチナ人は屈辱に耐えながら夢見てきた。
それがどうだ。今もパレスチナ自治区へのイスラエル人入植は着々と進められている。
入植地は、まるで廻りのパレスチナ自治区をあざ笑うかのように、成金的な近代的完備を持って。そして、物々しいイスラエル治安部隊の常駐を持って。
国道は軍隊によって分断され、東京で言えば、同じ都民が港区から新宿区に自由にいけないようにしている。
子供たちは、生まれた時からこうした環境に生きている。彼らの教育水準は決して低くない。何処かの国でアパルトヘイトというのがあったことだって知っている。人種差別が今ここで起こっていることも知っている。子供たちは正当な意見をもっている。「お父さん、お母さん、なぜあなたたちはこんな屈辱的な環境に我慢できるのですか?」
彼らに銃はない。彼らには石しかない。石を投げること、それは彼らの唯一の正当な抵抗の表現だ。
誰に指示されたわけでもない。午前中は真面目に学校だ。昼を済ませ、入植地やチェックポイントにいるイスラエル兵のところに向かう。
奇妙な光景を見た。エルサレム近郊のイスラエルの空港。パレスチナ人自治区に深く侵入して作られたイスラエル専用の空港、金網の中に治安部隊、外にはパレスチナの少年たち。
金網を挟んで談笑してるではないか。私が近づくと、13歳ぐらいの少年が「危ないからあっちへ行け、彼らが撃つぞ」と親切にも言ってくれる。
「でも君たちのほうが…」
少年たちはひとしきり、イスラエル兵に話し掛ける。そして少し距離をおく。
で何が始まる? 5人が10人、10人が20人、やがて200人にも膨れ上がった少年たちは、いっせいに石を投げ始めるのだ。
あるとき、イスラエル兵の側に行ってみた。「恐くないか?」「別に、任務だから」「いくつ今?」「18歳。後3ヶ月で高校を卒業するんだ」「その傷、石が当たったんだろ?」「まあね」
高校生ソルジャーは後1ヶ月の任務を終えれば、バカンスが待っている。国家の兵隊は、仕事だから仕方なく、迫撃砲や、機関銃や、ゴム弾を少年たちに撃ち込んでいる。
でもさすがに10メートル前まで来て石を投げる少年は撃てないよね、人間なら。

それを君も知っている。私は君が水平撃ちをしなかったことを証言してあげる。
ねえ、高校生ソルジャーよ。簡単じゃないか。君たちだってこんなところにいたくない。
帰っちまえよ。国土の80%も頂けばもういいじゃないか。帰って上官や親たちに言えよ。
「あの子たちのほうが正しいよ」って。
そうすれば、プリ・チェックのお姉ちゃん達もあんなにびくびくする必要もなくなるのだ。

イスラエルが近代国家なら、そこに住む人間がまともなら、誰がどう考えても、ここでは不自然なことが起こっている。みんな知っている。イスラエル人の多くが知っている。
なのになぜ? 国家はそれを許さないのか。
国家もまた私たち人間が作ったものなのだ。
国家って本当に必要なの?

日本では、また政治の茶番がひとつ。新聞もテレビも茶番に甘ったれたように付き合っている。松浪君の投げた水も、加藤君の流した涙も、パレスチナの少年たちの石に較べ、まあなんと下品下劣なものだろうか。ただの権力欲しさじゃねえか。そこには尊厳のかけらもない。子供たちの投石は、人間の尊厳を賭けた、死をも賭けた表現なのだった。

* 今回のパレスチナ体験は他にもさまざまなエピソードがありました。また形を変えて。