『トーリ監督の涙』
10月27日(アメリカ26日)。NYヤンキースが優勝した。ミラクルメッツはならなかった。
ヤンキースは強かった。この試合まで、1点差で3勝。1敗は2点差だった。いつも渋い試合をしていた。この日も2対2のまま9回を迎えた。
2アウトから、渋いヒットが出て、2点を取った。その裏は守護神リベラが出て、ピアザを撃ちとって優勝。
ヤンキースの選手は、その瞬間満面の笑みを浮かべて、グランドになだれ込んだ。
それまでのヤンキースの選手たちは、誰もがクールだった。淡々とプレーする姿は、真にプロのものだった。ジーターもウリアムスもオニールも、派手さはないが確実なプレーを見せた。際立ったスターはいなかったが、全員が欠かすことの出来ないそれぞれの存在意義を、さりげなく実証して見せた。まさにチームだった。
それはアメリカ人が愛すハードボイルドな集団だった。
終わるまで決して、笑顔は見せない。勝つのは当然という冷静で、しかし眼光の鋭さは失うことなく、仕事を正確にやり遂げ、それが成就した瞬間に、陽気なアメリカンの笑顔を見せる。かっこよかった。
中でも、シリーズ中ずっとベンチの奥に座り、目深に帽子を被って、恐くて渋い顔をしているトーリ監督は、ハードボイルドそのものだった。
どんな時にも決して動揺することなく、選手のミスも、投手が打たれても、腐った顔せずにすぐ次の手を考える。冷静沈着。ジャン・ギャバンの貫禄。
だが、優勝が決まった瞬間、彼は、子供のような顔になってしまった。涙を溢れさせた。
マスコミが追う中、彼は、迷子の子供のように、よろよろとバックネットのほうに近づいた。観客席に誰かを探し、「降りて来て」と手をふった。
その人が降りてくるのを待つ間、初めてぐったりと疲れた様子を見せた彼は、フェンスに顔をうずめた。すすり泣いているように見えた。
その人が来た。顔を上げたトーリ監督の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
彼の前に、愛する人、妻が立っていた。涼やかな笑顔で彼を見つめていた。
涙の中の笑顔は、少年のそれだった。「誉めてくれ、今日は誉めてくれ」
そう言っているようだった。
優勝という栄光。それを誉めて欲しいのは、オーナーでもGMでもなかった。
一番誉めて欲しいその人は、シーズン中、始終しかめっ面の自分を暖かく見つめてくれていた妻だったのだ。私はそれを見ながらもらい泣きをした。
人はいくつになっても、誰かに誉められたい。認めてもらいたい。一番身近な人に誉めてもらいたいのだった。孤独な戦いを続けてきたのならなおさら。
私はこんな言葉を思い出していた。
『昼間はハードボイルドだが、夜はそうもいかない』
いいシーンを見たと思った。
私はそれから日本シリーズを見る気がしなくなった。