『ユーゴ・25歳の憂鬱』
10月5日の民主革命後のユーゴスラヴィアに行ってきました。
僕は1997年になぜか急にユーゴに行きたくなり、そこで多くの若者達と友人になりました。
その時、ベオグラードの街は連日1万人以上のデモが繰り広げられていて、その多くは若者たちでした。若者たちはビートルズやローリング・ストーンを歌いながら陽気に民主化運動をしていました。ミロシェビッチを倒せ!です。
でも、1999年。アメリカを主体とするNATO軍は彼らの頭上に3ヶ月に渡り爆弾を落とし続けました。
そして今年、ユーゴは、民衆の力でミロシェビッチを倒しました。
あの時の若者は今何を思っているか。勝利に酔っているか。それとも…。それが気になっての今回の旅でした。
一人の若者に再会しました。ドラガン君、現在25歳です。
97年には、国営テレビでアルバイトをしていました。デモの様子をデジカムで撮影していた僕に興味を持って話し掛けてきて、友達になったのです。
僕らは毎日、この国の政治や経済状況について話し合いました。
彼がよく聞いたのは『日本はなぜあんな経済大国になったか』でした。
彼は、自分の国にまともな職がないこと、親の世代の多くが給料もまともに貰っていないこと、ヨーロッパ諸国に較べ遅れている現状をことあるごとに嘆きました。
ベオグラードは、東欧の都市では近代的です。人々の身なりも洗練されています。
文化程度も高く、若者の多くは英語が堪能です。かつて、ユーゴスラヴィアは、東欧諸国の中では独自の社会主義体制で、比較的裕福な国でした。
それがなぜ? 90年代に入って、連邦の国が次々と独立する中、ユーゴの中心だったセルビア共和国だけが置いてけぼりを食ってしまった。その現実。その中で、自分のグループだけが利益を独占してきたミロシェビッチ政権。憤懣と嘆き。
初めてあった時、僕は彼をカフェに誘いました。彼は、恥ずかしそうに「行きたい。でも申し訳ないが金がない」と言ったものです。人に施しを受けることヘの羞恥、コーヒー一杯の金もままならぬ身の上。
経験から言って、これが東南アジアだったら、僕が奢るのは当たり前。コーヒーどころか食事も払わされて当然といった状況。しかし彼らには、誇り高き歴史と、ヨーロッパ人としての自尊心があるのです。矛盾。物があるのに買えない。豊かな国土があるのに貧しい。
西洋社会の経済封鎖と、ミロシェビッチの独裁は、人々を憂鬱にしていました。
それが1997年。
彼は今、マネーチェンジャーを生業にしていました。道に立ち、ドルやマルクをユーゴの通貨ディナールに替える仕事です。もちろん闇商売です。今はそれしか仕事がない。
こんな仕事は最低だし、すぐにでも辞めたいけど、高卒の彼には、いや、今では大卒でも、ユーゴでまともな仕事を探すのは至難の業なのです。
それでも僕は、「国営放送辞めてよかったじゃないか。だって空爆されたんだろ? ひょっとして勤めていたら死んでかもよ」と慰めにもならない言葉をかけたのでした。
「コシュトニツァ政権になってよくなるんじゃないの」
無責任な発言。でもミロシェビッチを倒したのは、彼ら若者の反体制運動の成果に違いないのです。かつてより希望があるはずなのは、彼も認めていました。
「この10年間。戦争ばかりだった。政治ばかりだった。もううんざりだ。もう政治について話したくもないし、普通の生活、まともな生活ができれば、僕はそれでいいんだ。夏には地中海に泳ぎにいけるバカンスが欲しいし、冬はスキーに行きたいし、小さくてもいいから車が買えて、恋人と月に一度はレストランで食事が出来て、そんな普通の生活ができればそれでいい。僕らの国は、音楽もあるし、文化もあるし、広く豊かな国土があるし、みんな生活を楽しむ人種だし、他の国の人に較べて決して劣っている国民じゃないはずなんだから」
東西冷戦が終わってからの長き10年。クロアチア、ボスニアと続いた無意味にして凄惨な戦争の傷跡。彼の嘆息は、引き裂かれた多くのセルビア人の心情でした。
しかし同時に、NATOによる空爆は、彼らの中に、西洋近代社会に対する深き絶望と憎悪を残してもいました。
97年、民衆が民主化に立ち上がったとき、一つも手を貸してくれなかった民主主義の西洋社会。
そのくせ、コソボ問題が起こると、有無を言わせず、爆撃を始めた人道的西洋社会。
コソボ問題はセルビアにとっては昨日今日に始まった問題ではなく、長い歴史があり、それはユーゴの歴史の問題であり内政の問題である。如何にアルバニア人がセルビア人を迫害したかは誰も報道せず、ベオグラード市民の上に爆弾を落としたNATO。彼らを決して許さない。
民主化を望みながら、民主主義に対する疑問。政治に対する不信。西洋近代社会に対する絶望。NATOへの憎悪。
今ユーゴの若者の前途は極めて複雑です。固有の文化と国民性の死守。期待する少しばかりの経済発展。それを独自の力で成し遂げられるのか。ドル経済、マルク経済の奴隷となってしまうのか。
誇り高きセルビア人は、大戦の時も、東西冷戦の時代も孤高を守ってきた人々で、それは、熾烈なこの10年を生きてきた若いドラガン君の心の中にも生きているのです。
彼は18歳の時に、徴兵され、戦車の操縦士として、クロアチア内戦に連邦軍兵士として従軍しました。
クロアチア内戦は、多数を占めるクロアチア人が独立を決め、それに対して反対したクロアチア内セルビア人との抗争でした。二つの地域に分かれていたセルビア人は、クロアチア共和国軍の前に無残な敗北、というか焼き討ち、虐殺という、その後ボスニアで繰り広げられる民族浄化にも似た悲惨な目に逢うのです。
ドラガン君は、セルビアとクロアチアの国境に配備されました。目の前はすぐ同じセルビア人の村です。その村がクロアチア軍に包囲されている。攻撃され炎に包まれている。
だが、連邦軍の司令官の命令は「国境を越えるな」でした。同胞が今殺されようとしている。しかし助けに行ってはいけない。なぜ? 我々は軍隊なのに。
政治的判断だったのでしょうか。若きドラガン君にはそれが理解できなかった。
真の愛国者だった彼には、ミロシェビッチが、同胞をクロアチア人に殺させ、それを政治的に利用するという策略が許せなかった。自分の国の指導者に対する絶望。
昨年、NATO空爆の時、予備兵の彼にも招集がかかったそうです。ユーゴでは1年間の兵役の後、そんな制度があるようです。その時彼はそれを断ったそうです。
「もう戦争は嫌だから?」と、平和ボケした国からやってきた僕は素直にそう聞きました。
しかし彼は「いや、NATOが攻めてきてるのに、また反撃しちゃダメだといわれるのが嫌だったから」と答えたのでした。
彼は国を愛しているのです。国土を愛しているのです。それを守るためなら戦いも辞さない人間です。
僕は彼を好戦的とは思わなかった。コーヒー一杯奢ってもらうことに恐縮する極めて常識的な、そして「本当なら遠い国から着たGOTOさんにご馳走するのが僕らの国民性なんだけどね」と恥ずかしそうに言う親切で優しい人間だった。
僕はそこに正当な愛国心があると思った。
戦争の良し悪しじゃない。自分の愛するものを守るためなら戦いも辞さないという、ごく自然な感情だ。
だが彼はもう戦争や政治はうんざりなのだ。
「いつか、貴方の国に行けるようになりたい。とにかくまともな暮らし、それがしたい」
彼の望みはひとつだった。

今パレスチナで、イスラエルの機関銃や戦車や攻撃型ヘリコプターを相手に、なんと石で応戦している若者たちがいます。石対機関銃? 勝てるわけないじゃん!
だが彼らを駆り立てるものはなんなのでしょう。
それが知りたいと今思っています。
人間は愚かです。人間は、決して戦争をやめようとはしない。
宗教も愚かです。人を救うはずの宗教が、2000年にわたって多くの人間を虐殺している。
エルサレムでは宗教が今も殺し合いを勧めている。
しかし、イスラエル軍に対して、小さな石を投げる若者たちは必死です。
アメリカをバックに押し寄せる強大な暴力、占領と抑圧の歴史。
彼らにとって、戦うこととは、人間としての尊厳を守ることかもしれないのです。
今、世界に人間の尊厳を蹂躙し、消費こそ人間の幸福だという、グローバル化という全体主義の嵐が吹き荒れています。僕には、ドラガン君の嘆きやパレスチナの小さな石は、それに対する小さな抵抗だと思えるのです。
簡単に戦争反対などとは言えないなと、またまた思ったのでした。