| 『戦争という犯罪について』 |
勿論、戦争は犯罪です。しかし、人類は、または人間は犯罪を犯す動物です。
だから、人間から犯罪がなくならない限り、戦争はなくならないのです。
これは自明のことのように思えます。いや、あえて言います。人類は、時として戦争を望んでいるのです。ヨーロッパを見てください。この2000年間、戦争をしない時期が100年以上続いたことがあるでしょうか。第2次大戦が終わって60年も経っていないのに、イスラエルとパレスチナ、ボスニア。ナチズムを生み、世界から非難をあびたドイツさえ、ユーゴ制裁に軍を出したほどです。アジアを見てください。インドとパキスタン、たった今も、ベトナム軍はラオスの少数民族を制圧するために出兵しています。
この日本。反戦、平和の姿勢は被爆国日本の崇高な任務のように思えます。戦争放棄は、恒久的のように思えます。しかし、日本はたった一度55年前に戦争に負けたに過ぎません。それまでは勝っていた国です。ヨーロッパの国々に比べればあまりに戦争をする機会の少なかった国が、たった一度負けただけで、人類の平和のメッセンジャーのように振舞うのは、何とも胡散臭く見えます。在日米軍に聞いてみてください。おそらく彼らは、「くよくよするなよ、たった一回負けただけじゃないか。今度は我々と手を組んで勝てばいいんだよ」と軽く言ってのけることでしょう。
先日、NHKで『空爆の下の会話−ある少女の戦争日記−』という番組を見ました。
1999年、NATO軍はユーゴスラビアに対して3ヶ月に渡って空爆を続けました。それはコソボ自治区のアルバニア系住民に対し、虐殺や焼き討ちなどの残虐な行為を続けるユーゴに対する制裁措置でした。そのためユーゴの首都ベオグラードを攻撃したのです。
ベオグラードに住む一人の少女が、その空爆下でアメリカの友人に当てメイルを発信しました。「なぜ、NATO軍は自分たちの街を爆撃するのか」
少女にとって、それは初めて体験する戦争の実感です。メイルを受けたアメリカの友人は、彼女の日記をホームページにします。そのため、彼女が空爆下で毎日綴った日記は、世界の多くの人々に読まれることになり、各地から返事や意見が彼女のもとに寄せられます。
勿論、彼女の境遇に同情し、戦争の悲惨さを知り、励ましを送るものが多くありますが、徐々に、彼女を批判するものも増えてきます。それは、ベオグラード空爆と同時に、コソボのアルバニア系住民に対するユーゴ軍の「民族浄化」の現状がマスコミによって世界中に報道されたからです。
「コソボの人々に比べれば、ベオグラードの空爆がいかほどのものか、甘えるな」
「コソボに対して虐殺行為をはたらいた同じユーゴ人として反省せよ」
「君の国の指導者は、ヒットラーだ。君は現実を知らなすぎる。NATO空爆は人道的正義だ」
少女は苦悩します。今も激しい爆弾が、町を破壊し、友人の命を奪っています。愛する町は瓦礫と化しています。毎日その惨状を見て悲しさで気も狂わんばかりです。しかしそれは自分の国が、ある民族に対してはたらいている残虐な行為に対する制裁なのです。
自分がユーゴ人であろうとなかろうと、いま現実に戦争下にある苦しみを分って欲しい。少女の素朴な訴えは、戦争論にまで広がります。自国がある国や民族に対して戦争を仕掛けている事実、それに対しての国際軍の報復。その関係が、少女には理解できません。
戦争は犯罪である。それならば、コソボを攻めるのも、ベオグラードを攻めるのも同じ犯罪ではないのか。なぜ一方は良くて、一方は犯罪で、それに直接荷担していない、極めて偶然にその国の国民となってしまった自分が責められなくてはならないのか。
少女に批判的な文章を送ってきた人々の多くは、NATOに属する国の人たちでした。
どうしようもなく能天気なアメリカの青年は、自身は裕福な学生生活を送りながら、趣味のように使っているパソコンで少女を口汚く罵ります。「君は愚かだ、君は自分の国がどんなに駄目な国かを分っていない」
しかし、愚かなのはどっちか。もし戦争が、犯罪ならば、このアメリカの青年が属する国こそ、どんなに傲慢で愚かな戦争を繰り返してきた国か。
少女の疑問はもっともだと思います。
なぜNATO側は正義で、ユーゴは犯罪者なのでしょうか。
なぜNATO軍は、コソボにいるユーゴ軍を掃討するという形で戦術を展開しなかったのでしょうか。
なぜ、ベオグラードなのでしょうか。
優秀なCIAという暗殺者組織を持ってすれば、ミロシェビッチを暗殺することぐらい容易いのに、なぜ一般市民を巻き込んだベオグラード空爆をする必要があったのでしょうか。
確かにユーゴのミロシェビッチ大統領は、西側が非難するようなヒットラーのような人物かもしれません。第2のアウシュビッツがコソボに生まれようとしていたのかも知れません。
しかし、なぜ、国際社会は人道をもってこれを制裁しなくてはならないのでしょう。
ドイツの「緑の党」の一人で、外相でもあるヨショカ・フィッシャーはユーゴ空爆に対してこう肯定しました。ドイツも空爆に参戦しました。
「ナチズムが衰退してからこのかた、我々『善良なドイツ国民』は二重のスローガンのもとに政治的な思考を組み立ててきた。これ以上戦争は起こさない。これ以上アウシュビッツは起こさない。しかし今、苦痛とともに自覚せざるを得ない。戦争それ自体がアウシュビッツを引き起こすのではないということを。場合によってはアウシュビッツを阻止するには、たった一つしか方策がない−それは戦争だ−ということを」
ユーゴのアルバニア系住民迫害はアウシュビッツであり、NATOのベオグラード空爆は人道的制裁である、という論理です。
ここにきて『戦争は、犯罪である』という命題は、もはや空虚でしょう。
いい改める必要があります。
『戦争は、いつも正義である、それを仕掛ける国にとって。国家がある限り、戦争は決してなくならない』と。
もし、ユーゴ軍がアルバニアに侵攻したのが犯罪ならば、ロシアがチェチェンに侵攻したのは犯罪ではないのでしょうか、中国がチベットを武力で制圧したのは犯罪ではないのでしょうか、イギリスが北アイルランドに常駐し、北アイルランドの独立を阻止しているのは正義なのでしょうか。パレスチナ住民を追い出したイスラエルを支援するアメリカは?
『善良なNATO加盟国』は、決してロシアや中国、イギリスに空爆という制裁をすることはありません。『善良なアメリカ』は地球を自分たちの支配下におこうとする北半球の同胞に対しては、外交という手段で望み、武力を行使することは決してありえません。
ベオグラードの少女に対して、「反省せよ」と迫ったアメリカ青年は、自分の曽祖父の代にインディアンたちを武力で追い出した虐殺の事実を反省することはありません。
明らかに、ベオグラードの少女が疑問を持ったように、この戦争は不平等です。差別です。他の国が核をもつ事を許さないのに、自分たちはしっかりと保有している傲慢な国々が、バルカンの、彼らに従順でない国を見下し差別しているのです。彼らはアルバニア人さえ差別しています。アルバニア人に対する虐殺は1999年に始まったことではありません。それ以前から、東西冷戦が終わり、旧ユーゴスラビアが分裂を始めた頃から起こっていた事実です。ボスニア内戦もその一つでしょう。サラエボをめぐる民族が血を血で洗う戦いも『善良なNATO』はずっと静観していました。クロアチアが西洋社会に近づき、マルク経済の奴隷になると分ってから、『人道』は発揮されたのです。つまり、自分たちより劣等な民族が、その一部が、自分たちの体制に従順になると分ってから、『人道』ははじめて発動するのです。
実はベオグラードでは、1997年に大きな民主化運動が起こっていました。反ミロシェビッチの波は、市民だけでなく、学生をも巻き込んで、国際社会が後押しすれば、政権も倒れるかというところまで来ていたのです。アジアの国が共産化しそうになった時にCIAが画策したことを思えば、ミロシェビッチを倒すことなど何でもなかったのです。
しかし、西洋社会はこの運動を黙殺しました。なぜなら、ユーゴの人々は、劣等ではなく、誇り高いヨーロッパ人だったからです。反ミロシェビッチの陣営も、西洋に奴隷のように頭を下げる人々ではなかったからです。そんな奴らを助ける『人道的援助』はアメリカにも西洋社会にもなかったのです。
このときに民主化を助ける動きがあれば、それは戦争という血なまぐさい事態にはならなかったと思います。しかしそれは起きなかった。ミロシェビッチという暴れん坊が、もう少し残虐な行為をするまで待ち、国際社会の同意とかが得られ、そして何よりも有り余ったNATO軍の兵器の在庫一掃セールができるチャンスがきたところで『人道的制裁』が始まったのです。
地球の北半分で、経済においても、政治においても、全世界の覇者になろうとしている、『善良な』国家たちは、このように常に自分に都合のいい論理を振り回しています。
冷戦終了後、権力を握った男、ミロシェビッチは、あなたたちの輝かしい歴史を踏襲しているだけの哀しい男ではありませんか。
アルジェリア人を人間扱いしなかったフランス、アフリカ諸国を自分のうちのゴミ捨て場のように蹂躙してきたイギリス、原住民を時間をかけて追い出し、フロンティアなどと美辞麗句で飾っているアメリカ、アメリカはついこの前まで『ベトコン』をどぶネズミのように蔑視してきた国じゃありませんか。
フセインや、ミロシェビッチは、そうした先輩たちを真似しているだけじゃありませんか。北朝鮮の金正日だって、先輩の真似をしているだけです。お手本は西洋社会にあるのです。
だから極端に言えば、高度資本主義、グローバル化という名の経済全体主義に対して追い詰められたイスラム社会が、ロマ民族が、またはミロシェビッチが、半狂乱になって、それがたとえ独裁という、または侵略という目に見えやすい衣装で暴れていようとも、人道という欺瞞的な仮面に包まれた北半球ファシズムに比べれば、私には数段好ましいものに思えるのです。
オーストリアのハイダーの自由党が多くの支持を集めた背景にもそれは感じられます。ヒットラーの支持者と非難されるこの極右翼政党を政権に参加させたのは、ヨーロッパを覆う経済の全体主義に生理的な危機感を持った民衆の支持があったからでしょう。
勿論、アメリカにもイギリスにもフランスにも、そうした自国の犯罪を自覚し、その上で愛国心を持っている人々がいます。そこには個人個人として、とても愛すべき人間たちがいます。しかしそれは、同じようにユーゴスラヴィアにもいるのです。世界に向かって自分の哀しみを発信した少女もその一人です。
この戦争は、明らかに『人道』などで起こったのではありません。アルバニア系住民を追い出そうとしたミロシェビッチも、ベオグラードに制裁を与えたNATO加盟国も、どちらも等しく、醜い国益のために犯罪を犯したのです。そしてその犯罪は『国家』というものが消滅しない限り、永遠に繰り返されるのです。
ユダヤの娘ハンナ・アーレンとは言いました。
「一般的に言って政治における『心』の役割を、私は全面的に疑っています」
「私はこれまで私の人生で一度もどんな民族なるものもどんな共同体も『愛し』たことがありません。ドイツ人というもの、フランス人というもの、アメリカ人というもの、労働者階級というもの、この種のもの全てそうです。私は私の友人『しか』愛しません。私が身をもって知っている愛も、私が信をおく愛も、人たちへの愛です」
戦争が犯罪なのではありません。国家というものが犯罪そのものなのです。
私たちは国家を無くすため、または無力にするために何ができるのか。それを考えずに反戦や、平和を唱えることは虚しいことではないでしょうか。
戦争は犯罪です。しかしそれは、国家というものを生み出した人類の犯罪なのです。
ちなみに、ベオグラードの少女に対してヨーロッパ、アメリカ、南米、アフリカ、中国などからメッセージが届けられましたが、日本からのものはありませんでした。少なくともNHKの放送を見る限り。 |
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